2010年03月07日
企業活力再生コンサルへの道~リクルートを支える2つの『場』~
こんにちは 😀
元気&活力のある企業、真っ先に思い浮かんだのは、リクルート。
先日もバイト募集の件でリクルート系人材会社の営業マンに仕事を依頼したのですが、イキイキしていて「仕事おもしろいんだろうな」と感じさせてくれる人でした
業績UPの企業を調べてみると、社長や幹部が”元リクルート”であることもしばしば。
彼らから溢れてくる活力の源は何なのか?
気になったので、調べてみました。
1.プロフィットセンター制導入による「社員皆経営主義」精神の実現
2.社内報「かもめ」を媒介とする充足の場の提供
どうやら、この2つの『場』に、ヒントがあるようです。
1.プロフィットセンター制導入による「社員皆経営主義」精神の実現
以下、【リクルートの経済学】より引用。
PC 制とは、会社の中に会社(プロフィットセンター)を作り、PC 長を会社の社長として権限を委譲してしまうものである。PC 制を具体的にわかりやすくいうと、ひとつひとつの課や営業所単位まで、ひとつの会社のように決算が可能な会計システムになっている制度である。年間、半期毎にミーティングがあり、営業所の売上、製造原価、総利益、人件費、本部管理費、部の管理費、ビルの家賃、などとても詳細な明細が新人に対しても全部明らかにされている。アルバイトを採用したら採用経費がかかるし、それで本社にいくら払うとか、一定のルールの中でやっている。そのルールの上で、課長や営業所長にはかなり「人事権と予算権」が与えられているから、組織運営の手段を自由に選択しながら業績を上げる競争が促進されていく。つまり、営業所のトップは、リクルートという「のれん」を借りて、収益を生み出す構造を肌で感じることができ、同時に学ぶことができる。
このようにして、リクルートの中にスモールサイズの会社を数多く設立していく。そして、定期的にカンパニーごとの収益計算を行っていき、高い収益にはそれに見合う報酬を与え、社員のインセンティブを高める制度となっている。一方で、赤字会社で将来工黒字化が見込めない事業は、早期に撤退して清算する。このPC 制を導入したことで、上からの命令なく社員一人ひとりが自発的に仕事する風土が生まれ、高い業績を上げれば若くても大きなPC のトップに昇進できる。そしてPC 長として高い成績を上げれば、事業部長になる。
これがリクルートで経営者を育てる仕組みになった。会社の中に会社があり、競い合う。会社の中の会社で高業績をあげた人が、リクルートの組織の階段を昇っていく。当然、リクルート自身も高収益企業となる。そして、PC 制が浸透するにつれて、「リクルートは商売の勉強が出来る会社」となり、起業家精神旺盛な人が入社してくるようになったのではないだろうか。PC 制のもと、組織の拡大とともに社員が互いに競争しつつ発展するようになっていったと考えられる。
企業が置かれた外圧状況を、社員一人一人が肌身に感じることができる制度の導入。しかし、これだけでは足りない。自分たちの事業部のことしか考えなくなり、会社全体で見ればバラバラになってしまう危険がある。そこで、リクルートにはもう一つの『場』が設けられています。
2.社内報「かもめ」を媒体とする、充足の場の提供
以下、【リクルート社内報のDNA】より引用
プロフィットセンター制によって、各グループが利益の競争を行うリクルート。江副氏は、これを“リクルート連邦”と呼ぶ。人材輩出企業とも呼ばれる同社だが、それは企業精神旺盛な人を採用し、プロフィットセンターのトップに据えることで拡大してきたリクルートのDNAとも呼べるものだ。ところが、連邦制を進めるとコミュニケーション上の問題が生じる。
「リクルート連邦といっても、そうすると会社がバラバラになってしまうんです。そうならないように、社内報を作ってきた」
目的は、会社の情報を共有すること。自分のプロフィットセンターのことしか分からなくなることを避けるための社内報なのである。さらに「この営業マンはいくら売った」といった情報を掲載して競争的風土を作ることも、これがリクルートの社風にマッチした。
「20に制限したが、削っても削っても社内報が増える。地区とか事業部とか。放っておいても社内報が増えるという会社も珍しい」
大きな企業ならば社内報を持っているところは少なくないだろう。昨今ならブログや社内SNSなどの、ITを活用した社内報的なツールも増えている。ではリクルートの社内報はなぜ自発的に増え、また効果が上がったのか。
「経営批判もどんどんやるんですね。悪い情報もどんどん載せるということが、御用社内報ではないことにつながる」
だから社内報は完全に社員のためのものだ。多くの企業では、IR担当役員や広報担当などが社内報を担当しているのだが、リクルートでは社内報の担当役員がいない。さらに社内だけでなく、外にも積極的に配っている。
「こんな社内のことが書かれた社内報を外に配っていると問題も起きますよ──という指摘も受け、実際そうなったわけですが(笑)。それでもマイナスよりもプラスの面が多かったと思っている」
「はっきり言って経営者がチェックしている社内報は社員から支持されない。これははっきりしている。誰のために社内報を作っているのかというと、会社のためじゃなくて社員のため」
リクルートは“コトバでやる気を出していく”。そんな風土の会社だと言われることがある。例えば「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というコトバは江副氏が1968年当時に作った社訓だ。リクルートを巣立った人材の中には、今だにこのコトバを忘れず、拠り所としている人もいる。勤めていた企業の社訓を、退社後も大事にするような風土──そんな社風が社内報に対する江副氏の言葉にも表れている。
社内報「かもめ」で扱われる内容は、イベントの報告や仕事の報告など様々ですが、特筆すべきは、実に多くの社員が登場する点にあります。全国各地に拠点があるにも関わらず、どこで誰がどんな仕事をしているのか知られているのは社内報によるところが大きいようです。このような社内報の存在によって他の社員に見られ、知られる事でモチベーションにつながっているのだと思います。
また、社会的にも大きな影響を与えたリクルート事件の際には、社長自らインタビューに答える形で社内報に登場。外部からの厳しい指摘の意見なども積極的に掲載することで、結果的に折れかけた社員たちの心を支える媒体にもなったそうです。
社内報「かもめ」は、社員たちを支える充足の『場』を提供している。
そして、その編集に携わっている社員のほとんどは、女性だそうです。
最後に、るいネット【リクルートの女性力】でも紹介されている「かもめ」の初代編集長、福西七重さんのインタビューを載せておきます。彼女の人となりが伝わってくる内容です。
リクルートに入られて、最初から社内報編集でした?
「いいえ。人事、総務、採用、経理、営業企画、秘書など、同時期に二つの仕事を兼務したことが多かったんです。社内報の仕事は46年の6月かう創刊号が出たのは8月」
なぜ編集にまわったんだと思います?
「いろいろなセクションでの経験があったからでしょうか。社内事情に詳しかったし、社内に知り合いも多かったから」
そのころの福西さんは、どんな社員?
「マジメで、明るくて、働きもので、かわゆい女の子でした(笑い)。それが、そのころのリクルートの典型的女性社員でしたね」
じゃ、現在の典型的リクルートマンは?
「頭がよくて、自信たっぷり。仲間意織が強く、案外世間知らず。世界は自分を中心に回ってくれないと困る、という人間集団。善人の集団です」
編集は、最初は一人で?
「ええ、6年間はたった一人で。ゼロからの創刊でしたから何もわからず、いたって軽い気持ちでスタートしたんですが、まさかこんなにしんどい仕事だとは!(笑い)」
いまだから笑って言える?
「そうなんです。まずエディタースクールへ通って編集全般の勉強。ついで、デザイン教室でデザインの勉強。それからマスコミ学校へ通ってコピーライティングの勉強。もちろん自費で授業料を払ってです。すべて夜学、あ、この言いかたた古いかな(笑い)。学校が終わってから、会社や自宅で原稿を書くことなんて、しょっちゅうでしたよ」
編集面で心がけたことというと?
「まず全社員の顔と人となりを覚えること。それから、社員をわけへだてなく好きになること」
特別に好きになった人って、いない?
「あんまり切り込んでこないでください(笑い)」
わけへだてなく愛しすぎたんじゃないですか。
「ご想像におまかせします(笑い)」
いい奥さまになれるのに。
「フフフ、そう思います。家庭の奥さまって、働く女性以上に賢くなければいけないと思います」
◆「世界は自分を中心にまわっている」と思っているリクルートマンの中で、福西七重は、「世界はみんなを中心にまわっている」と思っている、ただ一人の人かもしれない。ある人は彼女のことを、「リクルートの母」と呼ぶ。
【充足が活力を生み、活力が成果を生む】
リクルートの強さは、この認識を肉体化しているからこそなんだと思います。
- posted by taka at : 17:59 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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