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2010年10月06日

★シリーズ『会社って誰のもの?』 ~3-2.貧困の消滅以降の企業の迷走~

★シリーズ3-1では、高度経済成長期の日本を振り返ってみました
株式会社」という形態を活かして、成長を遂げてきた日本企業の様子がよく分かりましたね 😀
(画像はコチラからお借りしました。)
ところが、貧困が消滅した’70年あたりから、その成長に陰りが見え始めます。
国の借金は年々巨大化し、バブル経済とその破綻を経験し、
今や大企業でさえ不祥事や赤字経営に悩む時代になってしまいました
約300年続いている「株式会社」という形態が時代に適応できなくなってきたのでしょうか 🙄
本記事では、「株式会社」の欠陥(違和感を感じる部分)について押さえていこうと思います
応援もよろしくです^^

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1.企業の存在意義とは?~利益第一ではない~
’70年までは、モノが充分にない貧困の時代で、
誰もが給料を数ヶ月分貯めて「三種の神器」を買い求める時代でした。
いわゆる、【作れば売れる】時代
その意味では、大衆も企業も政府もみんな同じ方向を向いていました。
みんなの意識の中心は「豊かになりたい」だったのです☆+゜
例えば、3-1で紹介した政府が取った方針「護送船団方式」や、大衆が「銀行に預金すること=国が豊かになること」と感じていたことにも現れていますね^^
このように国の制度も、そして大衆の行動も、社会の期待に応えることに繋がっていました
ところが、’70年に貧困が消滅し、豊かさが実現されると、徐々に大衆の意識が変わっていきます。
例えば、60年代後半頃から公害問題について頻繁に騒がれるようになりました。そしてその後企業が次々に敗訴していった事象は、大衆が「利益絶対>公害」を許さなくなった象徴的な事例でしょう。(「豊かさ期待」が大きい時代は、工場のスモックなど気にもされなかったそうです!!
利益を出すだけではない、企業の存在意義が問われるようになってきたことが分かります。

企業の存在意義とは?
 それが、’70年以降、貧困が消滅してから、企業の存在意義や目的が揺らぎ出す。その結果がまずは政治家への金権汚職などの問題(政治家と企業の癒着)となり、’80年代末には「リクルート事件」でその頂点に達したといえる。’90年代には官庁組織も巻き込んでの制度汚職へと発展する。そして、’90年代後半には考えられない大企業、有名企業が倒産することで企業組織の崩壊は現実のものとなる。
 この企業(倫理)の崩壊の過程は、かっての時代の統合軸であった「私権(お金や地位、名誉)」の崩壊の過程だともいえる。しかし、多くの企業は、私権に替わる新たな統合軸を発見できずにいる。それは言い換えれば、かっての「豊かになりたい(貧困の克服)」というみんな期待に替わるあらたな期待の発掘だといえる。

この、新たな期待とは「みんな(社会)の役に立ちたい 」→「そのための場に参加したい 」ではないでしょうか^^
しかし制度はそのままです。
むしろ大衆の意識とは別のところで、一部の人間(主に特権階級)の私権収束に導かれて
1-3で紹介した「新会社法」のような、特権階級に有利な制度が創られていっています
この制度と意識のズレによって、本来の目的を見失って迷走してしまう企業も少なくありません
企業の存在意義は、大衆の新たな期待を掴み、それに応えていくこと☆
いつの時代も、この軸が大切になるのですね
2.株主優先主義の弊害~「三方よし」はどこへ~
株式会社には法人格があり、そもそも「モノ」+「ヒト」の二つの側面があります。
売り買いする対象、私権の対象としての「モノ 」と、
社会に貢献する存在としての「ヒト 」です。
しかし、「株式会社」の最大のメリットは『お金を集めること』なので、
しばしば「モノ」としてのみ認識され、「ヒト」としての側面が忘れられてしまうことがあります。。
それゆえに、このシリーズの発端にもなった「ある日、突然、会社が売却された!」なんて事態も起こり得るのでしょうね(>_<)
また、集団が存続するためには、ときには長期的な戦略により、
最初は利益が出なくても取り組んでいく必要のある問題も出てきます。
しかし、株主の利益を優先されると、そのような利益の出ない方針は却下される運命に・・・;;
常に短期間で利益が出る戦略を重視しなければならないという弊害が出てきます。
株主の利益、すなわち私益のために、企業という集団全体が振り回されていくことに。。。
また、「トヨタ下請け叩きの実態」などのように、
現場で働く人のことよりも、政府と経営のトップの癒着により、税制などの特権
(ex.トヨタやキャノンは消費税が上がれば儲かるカラクリ:輸出戻し税)を守る方針が優先されている事例もあります。
ここには、近江商人の「三方よし 」のような精神は見当たりませんね(>_<。。 元々「モノ」+「ヒト」で成り立っていた株式会社が、「モノ」の側面だけになってしまったら、お金を集めの道具に等しくなり、バブル化したり、大破綻したりと、暴走するのは当然とも言えるでしょう。 会社は単なる私権主体ではなく、社会的主体。 そのことを認識できる制度・仕組みにを創っていくことが、今後重要になってくるのではないでしょうか
3.株主と経営者と労働者の分離~場の独占~
株式会社の特徴にあるように、最高決議には『株主』しか参加できません。
その会社で働く人たちは、自分たちの会社を「もっと良くしたい!」「もっと考えていきたい!」と思っても、考える場は、株主(及び経営者)が独占している状態です。
労働者は経営に口を出せません。
そのため、労働者は「言われたことをやるだけ」というぶら下がり意識になってしまうことも少なくありません
この違和感の根底にあるのは、次のような意識ではないでしょうか。

本来、経営と労働は一体不可分である
この15年で、日本の労働環境は様変わりした。終身雇用制度に代わって、成果主義に基づく新たな雇用・報酬制度が数多くの企業で導入された。派遣社員を始めとする、様々な雇用形態が世に広まった。そして直近では、労働基準法の遵守が声高に叫ばれる。
しかし、いずれも社会的な活力の再生にはつながっていない。それどころか、社会に無用な対立構造を作り出し、助長させ、私たち自身を疲弊させる要因となっている。
潜在意識下では活力構造のパラダイム転換を捉えながらも、頭の先では既得権益の死守に奔走してしまった。この15年は、そういう時代ではなかったか。一部の人々にとって都合よく正当化された、目先の論理ばかりが撒き散らされた結果、出来上がった現実の職場は矛盾だらけである。働くことに価値を見出せない若者が増えているのも、当然と言える。
そもそも、【経営者⇔労働者】という枠組み=前提ありきで答えを出そうとする時点で、既にズレている。共同体が成立しえた時代に遡って事実を捉え直せば、生産の場においてそれらは元々一体不可分のものであったことに気付く。だから問題の立て方としては、『元々一体不可分であったものが、なぜ分化したのか⇒パラダイム転換を経て、これからの生産の場はどうあるべきか?』が正解ではないか。
既に共認原理へと転換している現在、社会的な活力の再生、その突破口は『期待・応望を中心軸とする共認充足の場を、集団を超えて広げていく』ことにあり、日々の生産活動≒労働の場は、実現基盤の中核に位置する。
よって、認識闘争、その要となるテーマは『労働の価値を問い直す』ことであり、『働くとは?』に対する答え=グランドセオリーを導き出すことが社会の期待である。そして【経営者でも労働者でもない、専門技術者たちによる自主管理共同体】は、その答えを体現する者として、社会からの評価を自ら積極的に受け、現実に勝ち抜いていく必要がある。

【経営者⇔労働者】という枠組みの中では、もはや答えは見つからないということ
そして大衆の「みんなの役に立ちたい、場に参加したい 」という期待に応えるならば、自分たちの生産の場を、自らで決定していく仕組みを作っていくこと=最高決議の場を解放していくことがポイントになってくるのではないでしょうか☆
■まとめ
株式会社の欠陥(違和感の出所)を挙げてみましたが、
根本原因は大衆の「豊かさ期待」に変わる新たな期待に応える仕組みにはなっていないという点が大きいことが分かります。
しかし、今はまだ制度は変わっていないものの、既存の制度の枠組みに捉われない新たな取り組みを模索する企業 も増えてきました。
次回は潜在的に大衆の意識を捉え、新しい企業のあり方としてヒントになる企業の事例をいくつか紹介したいと思います 😉
お楽しみに

 

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