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2011年01月31日

共認時代への道しるべ~潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向

こんにちは 😀 よしたつです
『共認時代への道しるべ』と題して、連続で秀作の『潮流』シリーズを紹介してきました。3回目となる今回のテーマは、日本の戦後復興から驚異的な経済成長を遂げ、豊かさを実現し、現在に至るまでの国内における人々の意識の変遷を辿っていきたいと思います。
引用文のあとに、イメージできるように解説を挿みながら展開していきますので、その当時にタイムスリップしながら読み進めてくださいね。

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では、早速本文に入っていきましょう。
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【本文】
’70年、工業生産の発展によって、ほぼ貧困が消滅し、豊かさが実現された。この豊かさの実現=生存圧力の弛緩は、生物が経験したことのない全く新たな事態である。但し、人類は1万数千年前、飢餓から解き放たれた採取部族の時代に、一度、これに近い状態を経験している。

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【解説】
日本は、朝鮮特需の影響で、戦後まもなくして工業化の波に押し寄せられ、市場拡大の可能性を、都市部を中心に広げていった。これにより、急速に便利で豊かになっていく『都市部』と、時代の変化に追いつけずにさびれていく『農村部』との格差が露わになり、農村部の若者たちは都市への生活に強烈に憧れを抱くようになり、潜在的にも、肉体的にも都市部への求心力を強めていった。また、『都市部』側の企業も、そんな若者達の想いを受け入れるだけの需要を持ち合わせていたので、若くて活きの良い労働力かつ消費者を求め、それらの相乗効果で、農村から都市への大移動を急加速に進める起爆剤となったのである。
そして、この当時の状況を物語るように、当時の若者達を『金の卵』と称し、今後の日本の経済成長には欠かせない絶対的な存在として重宝していたことが窺える。
その結果、日本では、戦後すぐに全国で『豊かさの追求』の意識潮流ができあがり、驚異的な経済成長を遂げるに至った。その後、’60年に東京オリンピックや新幹線の開通といったプロジェクトXで紹介されるような国家規模のインフラ整備が実現し、まさに世界が注目する経済大国となった。更に、その恩恵は各世帯の日常生活をも大きく変容させ、当時、利便性の代名詞だった、憧れの商品、三種の神器(洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ)がほぼ全世帯に行き渡る状況を生み出し、『一億総中流意識』という世界でも希有な意識潮流を生み出した
そして、’70年の日本は、戦争への怯えや、飢えの苦しみから解放された、豊かさを実現した。このような、飢えや戦争などの生存圧力が、ほぼゼロになった状態というのは、実は歴史上、集団規模も極めて小さかった、比較的温暖な採取時代の頃のみだった。そして、1万数千年前以来の再来を迎えたという意味においても、’70年は意識潮流のパラダイム転換としても注目に値する年なのであった。

【本文】
一般に危機状況では、危機を突破しようとする意識的な実現志向が強く生起するが、その実現可能性は小さい。他方、充足状況では、無意識に近い弱い実現志向しか生起しないが、その実現可能性は大きい。
豊かさが実現され、生存圧力が弛緩すると、闘争の実現可能性よりも充足の実現可能性の方が大きいので、人々がそちらに向う結果、闘争よりも充足の方が価値が高くなる。つまり、闘争よりも充足の方が、挑戦よりも安定の方が大切になる。従って、闘争(仕事)志向や挑戦(創造)志向よりも、充足志向や安定志向の方が強くなる。

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【解説】
戦争や飢えなどの生存圧力の高かった時代であれば、突破すべき課題は誰もが強く認識する領域であり、それを突破するには困難が多く、実現は難しくなる。ところが、戦争や飢えから解放され、生存圧力が小さくなると、そもそもの課題意識や問題意識が希薄になり、無意識下での課題は極めて個人レベルの欠乏しか生起しないので、その実現可能性は大きくなっていく。
つまり、’70年以前までの日本は、貧困の圧力が闘争(仕事)志向に火をつけ、人をがむしゃらに仕事や挑戦に向かわせていたのに対し、’70年以降は、貧困が消滅し、充足志向や安定志向に向き、健康ブームや公務員人気に火をつけたと言える。

【本文】
また、生存圧力が衰弱し、物的充足が飽和状態に達した状況での新たな(=より大きな)充足可能性は、物的価値ではなく類的価値(人と人との間に生じる欠乏)の充足の中にしかない。そして、類的価値の充足とは、共認充足に他ならない。又、充足志向は安定志向を生み出すが、この安定も相手との共認や規範の共認etc人々の共認によって実現する。従って、生存圧力を脱した人々が志向する充足・安定志向は、必然的に共認収束の大潮流を形成してゆく。
それだけではない。生存圧力が弛緩したことによって私権圧力→私権欠乏も衰弱過程に入ってゆく。つまり、’70年、豊かさの実現(=貧困の消滅)をもって、人々の意識は私権収束から共認収束へと大転換を遂げたのである。従って、資本権力も衰退過程に入り、代わってマスコミの共認権力が第一権力に躍り出る。

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【解説】
’70年以降、生存圧力を脱した人々が志向する充足・安定志向は、必然的に共認収束の大潮流を形成してゆくというのは、豊かさが実現されて以降、自身の行動原理であるはずの豊かになりたい想いは消滅し、自身の中に行動原理が見出せなくなる。そこで、次に出てくる行動原理は「周りはどうなの?」という他者との関係性の中から自身の行動原理を見出すことへと移行する。それが、必然的な共認収束へとつながる。その代表例が、若者の仲間第一の意識や、社会貢献への意識だが、逆に弊害として、マスコミの第一権力化などの問題も発生した。

【本文】
この闘争から充足への基底的な価値転換を受けて、’60年安保闘争、’69年全共闘運動と続いた否定発の反体制運動は、’70年以降一気に衰退してゆく。そして、彼らもまた、安定したサラリーマン生活の中へと埋没していった。こうして、’50年代以来の怒れる若者たちは少数派に転落し、わずかにその名残を暴走族やヤンキーとして留めるだけとなる。
これは、豊かさの実現=生存圧力の弛緩に起因する、男原理主導から女原理主導への転換であるとも云える。(その後の性的商品価値の暴騰とそれによる性権力の暴走も、その一時的な先端現象である。)

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【解説】
’70年に生じたパラダイム転換は、社会運動の衰退や、価値観念の転換をも促した。こうして闘争・挑戦を基調とした男原理社会が幕を閉じると、充足・安定を基調とした女原理社会が芽生え、今につながる。そういう意味では、バブル期の女性の権力肥大は、闘争・挑戦を引きずったまま、女原理に転換した先端現象と読める。

【本文】
しかし、それは行動の大転換となって顕在化した肉体的な潜在思念の大転換であり、現実には市場は利益追求のまま、企業は序列制度のままなので、顕在意識は私権収束→私権統合のままである。むしろ、圧力の衰弱によって、’70年代、’80年代は、いったん私権意識が肥大した面(ex自由な性)もある。
加えて、顕在意識は相変わらず「否定と要求」を正当化する近代思想に支配されたままである。従って、肉体的には「否定」は空中分解したにも拘わらず、外圧=私権圧力が衰弱したことによってむしろ抑圧を解かれた不満や要求や主張が肥大し、マスコミ主導で「人権」「同権」etcの架空観念が、いったんは蔓延してゆく。
同様に、私権追求の欠乏が衰弱してゆく以上、「自由」を追求する欠乏も無意味化し、空中分解してゆくが、顕在意識は相変わらず「自由」という観念に支配されたままで、むしろ外圧が衰弱したことによって「自由」という架空観念がいったんは肥大化し蔓延してゆくことになる。(例えば、この頃「自己実現」などという紛い物も跋扈した。)

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【解説】
豊かさが実現され、人々の意識は潜在的に変化したが、身の回りにある制度や体制が序列制度のまま変化していないため、家庭や企業など、様々なところで歪が生じている。また、その体制や制度を正当化する、根本の観念である近代思想自体が、私有権を要求と正当化するために成立しているゆえに、「否定と要求」の枠から抜け出せないでいる。それが楔となり、現実を捉えることもできずに、目先的な方針しか打ち出せないでいる。そんな状況であっても、その突破口を近代思想に求めるしかないので、結局、何も解決されず逡巡するだけとなる。

【本文】
しかし、その間も、最深部の充足志向は上昇し続け、それに伴って充足発の実現志向も上昇してゆく。そして、それは子供や若者の仲間収束として顕現する。(例えば、私権より何より「仲間第一or仲間絶対」だからこそ、昔からあった「いじめ」が逃げ場のない深刻な問題として浮上したのである。)

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【解説】
充足志向の最深部は、子供や若者の仲間収束として顕現しているが、現状、学校という人工的な寄せ集め集団でしかなく、集団である本質的な意味が見出せないため、無理やり「いじめ」という集団課題を作り出し、集団であることに意味をつけようとする。また、「いじめ」が原因で自殺をするようになったのも、’70年以降である。つまり、仲間収束しているがゆえに、仲間から見放されることは、自分の存在価値を否定されたのと同義になってしまう。そういう意味でも、仲間収束世代にとっては、仲間空間とは絶対であり、そこに可能性も感じながらも、同時に危うさも持ち合わせているのである。

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以上、各段落ことの現象を淡々と見ていく形で展開してきましたが、いかがだったでしょうか?過去から現在までの状況を具体的に思い描くことができたでしょうか?次回の投稿は、日本の経済成長の変遷を辿っていきます。『経済』というシステムに焦点を当てて具体化していきますので楽しみにしてくださいね。では、今回はこの辺で。

 

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