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2011年08月18日

シリーズ 大震災復興~日本企業の底力!(コラム編)~金貸しに操られた明治以降の民主化と「働くこと」の意味の変化

 
こんにちは 類グループのネットサロンで、大震災復興~日本企業の底力!を一緒に勉強している能多です
  
今回はコラム編と題して、前回の記事シリーズ 大震災復興~日本企業の底力!~3-3金融勢力は民主主義を大衆支配の道具として利用し、共同体を破壊してきた!(リンク)にも出てきた、「民主主義を利用した金貸しの支配体制」が、いつから日本に侵入してきたかを書いていきたいと思います
 
これからも「共同体・類グループの挑戦」をよろしくお願いします!

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◇自給自足から市場化へ(江戸時代から明治時代への移り変わり)
江戸時代まで、日本に暮らしていた人の多くはその生活を自らの手で支えていました。農作物や生活に必要なものを作るということが、自分たちの衣・食・住すべてと密接につながっていたのです。当時の税は村単位での農作物の収穫量の40%~50%であり、収穫が少ないところもほかの農家が補って助け合いながら生活していました。
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しかし、時代が明治に移り変わると、明治政府の手で制度の改正が行われ、それまで自給自足の平和な生活をしていた人々にも変化が表れます。 
      
◇市場化の動きと職業選択の自由
明治時代に入って間もない1871年、明治政府は解放令として「職業選択の自由」を布告します。これによって、いままで農作業をするだけだった農民はもっと豊かな生活がある、という幻想を抱いて都市部にある企業と個人の雇用関係を結んでいきます。そして、いままで強固だった村の集団体制が崩れ、日本は農業生産から工業生産へと転換していくのです
  
 
◇明治政府は地租改正により市場の拡大を図った
さらに1873年、明治政府は地租改正を行いました。改正前までは収穫高によって決まっていた税率も改正後は地価の3%と貨幣を基準に定め、納税方法も村単位ではなく、個人の金納としました。自分の土地を持たない小作人や一家の長男以外の人々は納税することが難しくなるので、都市部へ働きに出たほうが生活が楽になると考えます。その結果都市の人口はどんどんと増えていきました。このようにしてますます村の集団は解体し、個人単位での管理=賃金制の動きができていきました
 
 
◇背後にある欧米金融勢力の暗躍
このように次々に政策を打ち出し、一気に日本の市場化を図った明治政府ですが、その背後には欧米金融勢力の暗躍がありました
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以下るいネット明治以降の日本とロスチャイルド家、ロックフェラー家の関係(1)より引用

*************************************明治以降から現在に至る歴史の中で、特に戦争とお金の分野では、いつもロスチャイルド家またロックフェラー家が、深く関わっていました。おもに薩摩藩・長州藩・土佐藩など地方の下級武士たちです。
中でも代表的な維新の三傑といわれるのが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(旧名:桂小五郎)ですが、当時、敵対していた両藩を結びつけたのが坂本龍馬であるとされています。
その背後にトーマス・グラバーというイギリスの武器商人の存在がありました。
龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのです。
実のところ、これは龍馬を使って薩長を結びつけ、その後、両藩を支援して幕府を転覆させるというグラバーの計画でした。
また、それ以前にも敵対していたとされる薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など両者ともに交流のあったグラバーは、彼らにイギリス留学を斡旋し、当地で交流させます。
つまり、龍馬が両者をつなぐ前に海の向こうではグラバーの仲介で、薩摩と長州はすでに結びついていたのです。
ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。
いわば、ロスチャイルド家当主の手先化した若者たちによって、明治の日本が作られていたわけです。
*************************************

このように外国の金貸しに日本はまんまと操られ、市場化はどんどんと拡大していくのでした
 
 
◇「働くこと」の意味の変化
これまでに書いてきたように都市の人口が急激に増え、賃金制になったことで日本は市場化の道を歩んできました。しかしこうなることによって、西欧の文化がどんどん日本に流入して便利なものが増えてくるということは、決して日本にとって悪くないことのようにも思えます。お金が手に入りさえすれば、便利で裕福な暮らしができ、生活にも困らないという可能性が開かれたように思われます。
 
しかし、市場化によってもたらされたものはそれだけではありません。それまでの自分たちのものは自分で作り困った時には助け合う、労働そのものが生活と結びつき、常に主体的に暮らしを営んでいた江戸時代とはちがい、市場化が進んだ明治以降は人が人と切り離され、労働は自分のために贅沢品を獲得するための手段に変わっていきました。資本家と労働者、使う人と使われる人にわかれ、労働と生活が切り離されて、主体的に働く人はどんどん減っていきました
  
このように、日本は明治以降、職業選択の自由や市場化など民主主義が導入されたと一般的には知られていますが、その実態は、金貸しに操られた明治政府の手によって、庶民は働くことの主体性を失い、集団(会社)や社会のことは何も考えなくても、ひたすら私権獲得のために、金貸しや資本家の都合の良いように働かされる市場社会へと移行していったのでした。

 

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