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2011年12月16日

『学習企業せきがはら人間村』という共同体企業

今回紹介するのは、社会に貢献できる人づくりを経営基盤に置くことで社員の活力を上げ、不況の中でも成長を続ける関ヶ原製作所さんです。

同社は、1985年のプラザ合意後の急速な円高のあおりをうけて、2期連続での赤字を余儀なくされました。そんな状況の中で社員の中から出てきたのは、次のような言葉でした。


「利益は二の次でいいではないか、給料があがらないのなら、せめて、明るく楽しい会社にして欲しい。どんなことでも我慢するから、仲間から犠牲者を出すことはやめよう」この言葉に勇気付けられた矢橋社長は、社員とともに、理想とする会社づくりにチャレンジすることになった。

まず、社員と経営陣が徹底的に話し合い、意見をぶつけ合う中で、でてきたのは、関ヶ原製作所を、「楽しい会社」にするために何を成すべきかを、全員が主役となって考えようということだった。


そして、その社員の深い想いに耳を傾け、このような会社経営を実現して来たのです。

この、グループの中心企業の『関ヶ原製作所』は、年商約200億円、社員数 432名、60000平方メートルの工場をもち、油圧機器や鉄道軌道などの大型製品を製作する会社です。これは、当ブログで取り上げてきた共同体的企業の中では、設備投資がかなり大きく、業態としては資本集約型の工業生産にあたります。

他方、工業生産から意識生産への時代変化のなかで、多くの工業生産系企業は活力を失っています。その中で、関ヶ原製作所さんはどのように企業活力を上げてきたのでしょうか?その秘密を探っていきましょう。

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☆☆☆従業員の大量解雇を経て学んだもの

工業生産という業態は、資本家による設備や雇用者への投資を前提に、投下された資本を上回る収益を上げることが経営の基本構造です。よって、収益が下がれば投資を抑えることになります。

そのとき、工業生産では機械のほうが生産の主力であるという認識から、投資削減の為には機械の補助としての従業員を解雇することになります。これが工業生産の経営構造を規定する資本の論理です。

そして、70年代のオイルショックで経営危機に陥った関ヶ原製作所さんは、先の資本の論理に基づき、大量の従業員を解雇しました。その結果、残った社員も含めて、人心は関ヶ原製作所の経営者から離れて行きました。

この時点で、社長の座についた矢橋昭三郎氏は「今後、人を犠牲にした改革は絶対にしたくない」と心に誓ったのでした。それは、資本の力が絶対という工業生産の論理で会社を統合するという、これまでの常識からの脱出の決意でもあったのだと思います。

☆☆☆「明るく楽しい会社」を自ら作り上げていくという組織風土をつくる

そして、大量解雇で経営がそれなりに安定してきた80年代。今度はプラザ合意による円高で、再び経営危機に陥るのです。この時、矢橋昭三郎氏は先の大量解雇時の決意からリストラ策を封印して、社員に皆は会社にどうして欲しいと思っているのか」「どんな運営を望んでいるのか」と問いかけたのです。

そこで出てきたのが、

「利益は二の次でいいではないか、給料があがらないのなら、せめて、明るく楽しい会社にして欲しい。どんなことでも我慢するから、仲間から犠牲者を出すことはやめよう」

という言葉でした。この、『明るく楽しい会社にして欲しい』という社員の期待に応えて、

まずは、社員の中から選抜されたメンバーによって、『広報』『全社行事』『日常活動』『教育』の4つのワーキング・グループをつくることから、この活動はスタートをきった。メンバーは4グループ合わせて16名で、任期は1年(半年毎に半数を入れかえる)。このワーキング・グループが中心となって、社員手帳や社内報の発行、社内運動会や駅伝、マナーやモラルの向上運動が企画され実行に移されていった。

という、社員自らが会社の経営を考えていく組織づくりをスタートさせたのです。

この段階での「楽しい会社」とは、社内運動会などの娯楽的要素が先行して、社員の充足を実現していくことでした。

☆☆☆人間として、いかに生きるかを理念とした『学習企業せきがはら人間村』

そして、80年代後半には会社に活気が戻ってきました。しかしこの時点では、楽しいだけで長続きする会社は出来ないという意識が皆の心の中に自然に芽生え、次の充足の段階に向かったのです。

このような上昇が出来たのも、皆で会社のことを考え作り上げて行く風土が定着し、その成功体験から更なる充足の可能性が見えてきたからだと思います。

そして90年代前半に、娯楽的要素での充足という段階を超えて、次のような『いかに生きるのか』を考える全人教育的な考えに深化しています。

楽しい職場を作るために何が必要なのかを考えると、イベントをただ楽しんでいるだけでいいのかとの思いが出て来るようになる。業績が伸びなければ会社は生き残ることができない。生き残るために、私たちは何を成すべきなのか、私たちに欠けているものはなになのか、じゃ自分たちは何を勉強すればいいのか、組織はどうあるべきなのか、技術に対する考えはどうあるべきなのか、社会とのかかわりはどうあるべきなのか――といった問題意識が自然と発生してくるのだ。

のように『自分たちの充足の基盤は会社の存続のある』ことに気づき、生産過程そのものを改良していったのです。

☆☆☆バブル崩壊以降の不況を受けて、活力の出る生産内容に組み替え

この体制が整ってきた以降の90年代後半に、バブル崩壊後の不況という3度目の試練から生産内容そのものも戦略的に変化させています。

それは、他の企業が大量生産体制に乗らないために撤退していっていた多品種少量生産の製品への移行です。

これらの製品を受注するためには、多方面に渡る絶えざる技術向上が必要になり、技術獲得が、皆の会社を存続させるための重要な課題となります。

その結果、大変な技術習得過程そのものが、皆から期待される技術者の役割になり、それを実現する『ものづくり学校』という制度も作り出し、匠人材の創出 技術・技能のエースとなる人材を戦略的に育成するまでに発展して、関ヶ原製作所の経営を支えています。

このように、社員たちは企業が直面する外圧を自からのものと捉え、それに適応するための方針の立案や、その実現へ向けた自己研鑽を成し遂げていったのです。

☆☆☆せきがはら人間村財団という企業文化を継承・発信する組織を設立

このグループ企業は更に進化しています。それは新しく設立した『せきがはら人間財団』という財団法人に見ることが出来ます。そして、せきがはら人間村財団の小野理事は財団設立時に以下の様に述べています。

現在の日本の会社法では株式会社は株主のもので、株主の権限を最大限に尊重する機関である、というのがスタンダードですが、それを改めて考え直すべき時期にきていると思います。会社は株主利益のためには顧客満足が不可欠なのでお客様のことは必然的に意識します。しかし、従業員や社会の満足といった長期的に考えなければ社会の発展に繋がらないようなことは、確実性が無く時間がかかるのでどうしても後回しにしてしまします。だからセキガハラのように従業員の仕事人生での満足や社会の貢献といったことを会社が考え、実現させていこうとするのは実はとても難しいことなのです。

座談会 人間村の役割より

など、利益に直接結びつく経営指針だけではなく、企業の礎をなす従業員の充足や社会貢献という課題を真正面から捉え、グループ企業が培ってきた、人間を主体とした企業経営がなされているかを診断したり、この理念に沿った経営を実践する活動を社内外に発信したりして、グループ企業の共通理念を継承・発展させる役割を担っています。

☆☆☆工業生産から意識生産への変化に対応する組織作り

生産力史観によると、採取生産→農業生産→工業生産→意識生産という生産様式の変遷が社会関係を規定するとされています。そして、現在、工業生産の時代から意識生産の時代への大転換が進行中です。ところが、当然のことながら、工業生産の時代にも農業生産という業態はあり、意識生産の時代にも工業生産という業態はあります。

そして、今回紹介した関ヶ原グループさんは、大型製品を製作の為の設備投資がかなり大きく、業態としては資本集約型の工業生産にあたります。しかし、そこで働く人の意識は、時代変化を潜在思念で捉えているため、工業生産時代の統合共認軸であった『私権(地位や給料)第一』から『みんな(周りとの充足)第一』に転換しています。それは、

「利益は二の次でいいではないか、給料があがらないのなら、せめて、明るく楽しい会社にして欲しい。どんなことでも我慢するから、仲間から犠牲者を出すことはやめよう」

という言葉に端的に表れています。

こうなると、たとえ工業生産を行う企業でも、誰かの役に立つことの充足や、みんなで充足できる会社をつくっていくことなど、共認充足を得ることが出来る理念や体制や仕組みが必要であり、これを実現してはじめて企業は生き残っていけるということが解ります。給料の多さはすでに第一条件ではなくなっているのです。

そして、共認充足を得ることが出来る理念や体制や仕組みをつくることは、技術や営業を超えて、人間にとって普遍的な課題であり、ここを社員全員が担うこと自体が意識生産の時代に適応した企業だといえるのではないでしょうか?

これらを推し進めると、自ずと共同体になっていきます。『学習企業せきがはら人間村』とは、工業生産という業態の中に、意識生産時代に適合する理念と体制を組み込んだ、新しい時代の共同体企業なのだと思います。

この様な先進的な企業は、多くの工業生産という業態の企業が生き延びていくための、重要な道標になっていくでしょう

 

コメント

私も5年前は日本で農業いけるかな?と思ってましたが、最近 中国の味が穀物も果物もすごくよくなってきました。
きっと日本人が指導しているのではと思うくらいです。
中国に負けないよう頑張ってくださいね。

  • 匿名
  • 2012年8月14日 05:55

コメントありがとうございます。
工業製品なども同様ですが、発展途上国の技術は日進月歩です。
日本と同レベルの技術になるのもそう遠くはないでしょう。
これから日本の最大の強みとなるのは、古来より培ってきた共同性≒組織力や周りの充足を生みだす力なのだと思います。
その可能性を引き出すべく、記事を書いていきますので、今後とも応援よろしくお願いします。

  • misima
  • 2012年8月18日 15:04

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