2011年12月27日
共同体社会の実現に向けて【15】 企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする(中)
前回の記事、共同体社会の実現に向けて【14】 企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする(上)では、共同体企業のネットワークを中核とする新勢力が打ち出すべき政策として、まず経済破局→リセット後の経済運営を取り上げ、①中央銀行の廃止と国家紙幣の発行、②ゼロ成長を基本とする、③社会に必要な生産活動の活性化、④財政均衡と税の公正負担の重要性を学びました。
今回は、中央銀行の廃止に次いで共認社会を実現する上で重要な課題である、私権企業の共同体化と、社会統合機関の交代担当制について学びます。4年に1回投票するだけの偽物の民主主義ではなく、自分たちが所属する企業や社会をみんなの手で作り上げていく、本当の共同体社会を実現する上で、この二つは不可欠な事です。
どうしたら私権企業を共同体化することができるのか、社会統合機関を交代担当制にする事は可能なのか、興味を持たれた方は是非応援もお願いします。
【企業の共同体化と統合機関の交代担当制】
順序としては中央銀行廃止の次となるが、共認社会を実現する上で、最も重要になるのは、私権企業の共同体化と、社会統合を担う統合機関の担当の交代担当制である。
企業を共同体に転換させるのは、さほど難しいことではない。まず第一に、資本金(簿価)の2倍程度の国家紙幣を各企業に支給し、各企業がそれを各社員に新株として支給する(その場合、社長etcへの配給上限を、社員平均の10倍以下とする)。こうすれば、社員が株主総会の議決権の過半を握ることができる。次に、会社のあらゆる情報を社内ネットに公開すると共に、その社内ネットを会社の共認形成の中枢機構とする必要がある。
類グループの場合、この社内ネットが最大の共認形成の場になっているだけではなく、最大の活力生成の場にもなっている。企業の共同体化の鍵は、社内ネットの活性化にかかっているといっても過言ではない。従って、社内ネットを活性化させるために、(少なくとも過渡期は)「毎日1時間は社内ネットを読む時間を確保すること」etcを法制化した方がよいかもしれない。
私権企業の共同体化
現在の私権企業の仕組みとは、大量生産・大量消費を是とする市場競争を勝ち抜くためにつくり上げられたものです。大企業というあり方はその典型と言ってもいいでしょう。
私権時代はそれがよかったわけですが、人々の意識が私権収束から共認収束へと大転換した現在においては、共認収束の潮流に即した仕組みにつくり変えていった方がうまくいく状況へと転換しています。
そうした状況に加え、今後経済がリセットされれば、経済的・政治的混乱が生じることは避けられません。人々の意識には共認収束の底流に加えて安定期待が生起し、安定・安心基盤を形成していくことが求められます
以上の現実を直視し、応えるためには、私権企業の共同体化とそれら共同体企業のネットワークを形成していくことこそが求められます。もはや私権追求に都合のよい体制を維持する必然性もなく、大企業を共認形成が可能な企業規模へ縮小することも十分に可能です。冷静に現実を見据えれば、私権企業の共同体化を阻む要因はほとんど存在しません。
共同体企業がネットワーク化することにより、企業内部はもちろん、一企業を超えたネットワークにおいても状況・課題・役割の共認によって充足を深め、期待される役割が常に仕事になっていくことで、どのような状況においても安定・安心基盤となり得るのです。
共同体化の鍵は社内ネットの活性化
企業を共同体化していくということは、共認原理で企業を統合していくということです。そのためには、状況の共認⇒課題の共認⇒規範の共認をどこまで深め、社員の活力を上昇させられるかということがポイントになります。
しかし、対面共認だけではスピードや共認域の広さに限界があります。この壁を乗り越える仕組みが社内ネットなのです。社内ネットがあれば、全社員がリアルタイムで状況や成功体験、可能性が共認でき、対面共認とも相まって共認充足→活力を上昇させていくことができます。また、経済リセット後の激動期は、状況の共認が平常時以上に重要になり、ますます社内ネットの効用は大きくなります。
【企業の共同体化と統合機関の交代担当制】 705~707
次に、なんとしても断行する必要があるのは、社会統合の交代担当制である。なぜそれが不可欠になるのか?本来、統合機関は、個々の集団を超えた、超集団的な地平に存在するものである。ところが省庁や大学やマスコミという組織は、単なる一集団に過ぎない。しかし、集団というものは、必ず自集団の利益第一に収束するものであって、集団を超えた社会統合を担う機関が、単なる集団に過ぎないようでは話にならない。集団を超えた社会統合機関には、それにふさわしい体制が必要である。
現在、社会統合の課題を担っているのは官僚(司法を含む)をはじめ学者やマスコミだが、彼らはエリート意識に凝り固まった私権主義者であるだけではなく、信じられないくらい無能化しているので、民間企業の人材と入れ替えた方が、はるかに上手くいくだろう。しかし、民間から出向した者が、そのまま居ついたのでは、官僚体質に染まり、同じように無能化してしまう。従って、統合3年・民間3年ぐらいで交代する参勤交代制が良いだろう。民間3年後、優秀なら統合機関に再任される。つまり、連続3年以上の統合機関勤務を禁じるわけである。そうすれば、親方日の丸の官僚主義に陥ることもなくなり、民間≒庶民の暮らしぶりも分かっているので、統合機関に出向しても現在より遥かにましな案を生み出せるだろう。とりあえず、毎年2割ぐらいずつ上から順に入れ替えていけば、5年で一巡し、それ以降は、旧勢力1:新勢力2くらいの比率で統合課題を担ってゆくことになる。この交代担当制を実現するためには、各省庁や県・市・町庁や、各大学や各マスコミに常駐して担当者を選考する人事委員会が決定的な役割を果たすことになる。おそらく、人事委員だけでも、十万人は必要になるだろう。それは当然、これから共認社会を実現してゆく新勢力に結集した人々によって担われることになる。
※この交代制に対しては、分業による効率化という反論が予想される。しかし、分業による効率化が有効なのはせいぜい5年くらいで、後は惰性でやっているような者が多い。従って、優秀な者なら3年勤務1回でほぼ吸収できるし、特に優秀でなくても3年勤務を2回やれば習熟できる。これは、かつての「百姓」という言葉が示しているように、もともと人間の能力は、3つも4つもの職能をこなせるように出来ているからである。従って、何より効率を重視する民間企業でも、多能工の育成や、職能転換を伴う配置転換はざらに行われている。更に言えば、そもそもここまで無能化した統合機関は、はじめから分業効率論の成立範囲外にある。
現代の統合階級の問題点
現代の統合階級(官僚、学者、マスコミ)は、国民に選ばれたわけでもないのに、政治家を隠れ蓑にして特権階級に居座り続けています。
原発問題やTPP、世界経済危機を始め、多くの社会問題が次々と上がっている中で、官僚・学者は全く答えを出せていないのは誰の目にも明らかです 😡
マスコミも無責任な批判、扇動、捏造を繰り返すばかりで社会の傍観者でしかありません。彼らの発信は社会統合どころか社会混迷の元凶となっています。
試験エリートである彼らは、与えられた既存の枠を疑うこともなく、大衆の意識も捉えられないため、急激に変化していく社会に対して、答えを出していくことはできません
また、集団がもつ原理的性質から、集団の意識は必然的に自集団第一(身内贔屓)となります。予算獲得しか頭にない各省庁や自らの利益になる発信しかできない学者、マスコミなどをみても、彼らは自集団の利益しか頭にないことは明白です。単一集団が特権を握り、社会統合を担うこと自体に構造的欠陥をはらんでいるのです。
参考投稿
潮流7:暴走する社会(特権階級の暴走と下層階級の暴走)
インテリ統合階級は秩序破壊の元凶
【実現論図解】及びその補足 『単一集団には社会を統合する資格はない。』
交代担当制の方が優れているポイント
大衆の意識は急激に変化しており、既存の制度・体制の多くは実態に即していないのが現状です。
社会統合を、社会の当事者である大衆が担うことで、現実の意識を捉えた新たな制度を実現してゆくことができるのです。
また、交代担当制は特定の集団に特権を固定化することがないため、ある単一集団の利権獲得や暴走を封鎖し、超集団的な社会統合機関を実現してゆくことができるのです。画像はこちらからお借りしました。
参考投稿
官僚制の突破口は「半専任・半事業の社会統合ネットワーク」
【企業の共同体化と統合機関の交代担当制】 708
また、諸悪の根源である受験制度も抜本的に改める必要がある。最も深刻なのは中学受験で、現在の難関中学は、小2~3年生の頃から勉強漬けの生活を送らなければ合格できなくなってしまっている。その結果、エリート意識ばかり強く、そのくせ勉強しか出来ない無能な子供たちが大量生産されてゆく。統合階級の無能化は、既にこの年令から始まっている。従って、とりあえず応急措置として、旧帝大や医学部の入試では、難関中学出身者の偏差値を10ポイント下げるとか、あるいはクラブ活動etc五教科以外の内申点を基準にして、内申点3:試験点2に切り換えるetcの策が必要だろう。
試験エリートの問題点
現代の社会統合を担っている官僚=試験エリートですが、彼らは試験の点数は良かったかもしれませんが、社会課題に対しては及第点とは言えません。
その試験エリートの無能さは受験制度に起因しています
受験制度=試験制度は、諸外国からの競争圧力を受けて明治政府が打ち出した中央集権制のもとにエリート養成という目的から試験により官僚を選ぶというのが始まりです。
それ以降現在まで、学歴信仰、学歴序列という形で深く浸透してきました。
しかしその試験エリートが、果たして有能と言えるのでしょうか?太平洋戦争では実態に則した判断が出来ずに敗戦という結果をもたらしましたし、高度経済成長は、アメリカの用意したストーリーに乗っかっただけで官僚が尽力したわけではありません。現代の様々な問題にも一切答えを出すことが出来ていません。試験は既存の答えを機械的に理解・暗記するだけのものであり、現実の課題(未明課題)に答えを出していく力は身につかないのです。
とりわけ無能化してきたのは、‘70年貧困の消滅→私権圧力が衰弱してきた以降です。
本当の目的意識(肉体的欠乏に根ざした目的)をもたずに、試験制度発の「合格」という無機的な目的意識を植え付けられひたすら試験勉強にはげみ「特権」を手に入れ、その後は与えられた枠組みの中での特権の維持と行使、更には支配の快感に溺れ暴走していくという劣化の道を辿っているのです。それも、試験制度のもたらす弊害によるもので、制度そのものを抜本的に変えていかなければならないのです。
参考投稿
3/28なんでや劇場レポート(5) 試験エリートは無能⇒10年後には社会統合気運
特権階級の自家中毒
勉強だけができる子にしたくない!【7】:中間まとめ(試験エリートの無能が明らかに・・・そして人々の意識は・・・)
「共認社会の実現」に向けた社会統合システムの骨格は、①私権企業の共同体化、②社会統合機関の交代担当制、③受験制度の抜本的改革が大きな柱となります。
現代社会は、民主主義と言いながらその実態は4年に一度どうでもよい政治家を選ぶ選挙に投票すするだけで、人生のなかで最も大きな比重を占める職場は権力体のままであり、実際の社会統合は国民に選ばれた訳ではない試験エリートの官僚・学者・マスコミによって牛耳られています。民主主義は、金貸し支配を実現するために、一部の特権階級が社会を支配するためにつくられた私権時代の社会ステムです。民(たみ)が主(あるじ)という言葉はごまかしで、実態は資本主義(金貸しが主)です。中央銀行制度を廃止すれば金貸支配は終焉します。その上で企業を共同体化し、社会統合機関を共同体ネットワークの構成員による担当交代制にすることで、民主主義に名を借りた金貸し支配のための社会システムを、社会の成員が自ら社会を運営する共同体社会のシステムに組み替える事が出来ます。
共同体社会の実現に向けて、前回は経済運営、今回は社会統合システムを学びましたが、次回は、共同体企業ネットワークを支える社会の最基底部である、家庭、子育てなども含めた、農(漁)村共同体の建設を取り上げます
- posted by misima at : 13:49 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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