2012年06月03日
『企業の進むべき道』6 ~閨閥の歴史に迫る その2:財界編~
今回は
閨閥の歴史に迫る その1:政界を牛耳る歴代宰相・政治家~高級官僚閨閥~
に続き、日本の「財界閨閥」を見ていきます
現代の日本の経済を支配すると言われている、一握りの「閨閥」の中核的家系は、おおむね財界首脳を経験した人物、あるいは現在その立場にある家系によって占められています。
財界閨閥を形成する家系は、権力の三大要素である「名誉」「権力」「財力」のうちの「財力」を担います。
これらの、三つの要素が重視される度合いは、時代の変遷に伴い大きく変化し、新しい勢力(家系)の台頭や、これまでの勢力(家系)の衰退が繰り返されています。
本日は、旧財閥の栄華→近年の財界の動向を土台に、それらの閨閥の変化を大きく3つの時代区分で整理し、当時の外圧状況と、財界閨閥の適応方針として整理したいと思います
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1.戦前の財界 ~富国強兵の外圧下で力をつける財閥~
【外圧:貧困の圧力→身分序列絶対】
戦前は、欧米列強との私権闘争の激化の中で、遅れをとっていた日本は富国強兵政策の下、私権を拡大させていきます。
その中で、力をつけたのが旧財閥(三井、住友、三菱)
江戸~明治にかけて権力を有する将軍家や旧華族、皇族(序列上位者)に召抱えられることで、一気に財力を拡充させてきました。
●金融支配権の獲得
これら三大財閥に共通する点として、両替商や貨幣鋳造権、藩札の売買など、国家を相手にした金融支配権を持ったことで大きくなったということがあります。例えば、三井財閥であれば、江戸時代末期に幕府もいよいよ危ないとなるや、それを見限り朝廷に千両の軍資金を提供し、後は官軍の大スポンサーになりました。明治新政府が樹立すると、政府の重臣である伊藤博文、木戸孝允らと繋がり、新貨幣鋳造の為に必要な御用為替座(現代でいう日本銀行)を独占することで三井財閥の基盤を固めました。
他にも、住友であれば貨幣鋳造に必要な銅・銀を幕府や政府の庇護の下で採掘権を独占してきましたし、三菱であれば明治新政府の高官との関係から、政策情報を手に入れ、次代を先読みし国家(政府)を相手にした商売で莫大な利益を確保してきた歴史があります。
そして、その潤沢な利益を元に、戦時中は政府要人のパトロンとして暗躍し、時の権力者達との共生関係(閨閥)をつくりあげてきました。
●三大財閥の共生関係
さらに、この三大財閥同士の関係も同様に、閨閥(共生関係)にあります。
これまで表向きライバルと見られてきた三大財閥。しかし、ここにきて下の住友閨閥家系図を俯瞰してみてください。実は皆「血の結束」をもった、同閨閥の中にいます。さらに驚くことに、この住友の閨閥には現天皇まで繋がる血筋まで見て取れます。
また、同じ三大財閥である岩崎家とも、三菱創業者(岩崎弥太郎)の孫に自身の家系の娘を嫁がせることで、トップ同士は密接に繋がっています。他にも、三井家、浅野家、安田家とも密接な関係にあるのです。住友家の閨閥を俯瞰すると、単に最上流階層の旧華族や皇室係累に結びついているだけでなく、表向き事業ではライバルを装っている財閥同士のトップ同士は同じ血族関係にあることがわかります。
こうした、財閥系閨閥を眺めて見ると、改めて庶民層とはまったく異なった環境をつくりあげていることが思い知らされます。
●私権拡大に特化した、優れた嗅覚
この時代の各財閥トップ達の特筆すべき点として、「次代を読む嗅覚」が鋭かったことが挙げられます。次代の潮流を見極める為に、各界の有力者と繋がっていったとも考えられます。この時代の転換点と、次代の可能性を見極めるアンテナは非常に優れたものを持っていたのでしょう。
その後、彼らは手に入れた金融支配権という麻薬にとりつかれ、家系で独占すべく財閥を形成し、金融中毒化していきます。当時の三菱、三井、住友がメガバンクとして現代に引き継がれている起点がここにありそうです。
2.戦後の財界 ~戦後復興期の混乱と豊かさ期待に導かれて力をつけた大企業~
【外圧:市場の開放→私権闘争圧力の高まり→競争圧力激化??】
‘45年に敗戦を迎えた日本ではGHQの占領統治下において復興していきます。
財閥解体や公職追放等で、戦前に力を持った、旧財閥や旧華族、皇族の力は削がれました。
その一方で、「復興」と「豊かさ期待」に導かれて台頭してきた勢力が、重厚長大産業を中心とした大企業でした。経済界の実権は表向き財閥から経団連へと移行したように見え、ますが、実際はこの経団連も旧財閥の流れを汲んだ企業が中心でした。
戦前の財界は、三大財閥を頂点として、各財閥が裾野を形成してきた経済連盟会が握っていました。その経済連盟会と勢力を二分していたのが、商工会議所です。日本の経済復興へ向け、各経済団体の連合委員会を復興の母体とする方針へとまとまると、2団体はこの連合委員会の主導権を巡って激しく対立するようになります。なぜなら、この連合委員会こそが、後の経団連の前身となり、戦後経済の主導権を握る鍵となるからです。
しかし、ここで勝者となったのは、旧財閥系の嫡流を受けた経済連盟会でした。この結果、経団連は戦前の財界主流団体の勢力を温存しながら、実態は新興勢力を隠れ蓑に自らは影響力を保持したまま、経済界を牛耳ることになったのです。
●「接ぎ木」で私権を拡大する閨閥
その一例が、当時新興勢力として台頭してきた東芝の社長である石坂泰三が作り上げた閨閥に見てとれます。石坂は戦後倒産寸前まで追い込まれた東芝を立て直した手腕を買われ、1956年に2代目経団連の会長の座につきました。石坂は、古典的な自由主義経済の信奉者で知られています。経団連会長の別名が「財界総理」と例えられたのも、石坂が会長に座ったからだと言われています。
そして、その石坂の作り上げた閨閥は、旧皇族から旧華族、旧三大財閥、旧政府高官、学者、判事と様々な権力者へと拡がっています。戦後の占領政策によって表立って動けなくなった戦前の権力者達が、この時代で勢いのある勢力を取り込み、自らの影響力を保持するために、「接ぎ木」をするように共生関係を作ったと考えるのが自然です。
東芝は戦前から三井財閥の傘下として、あくまで財閥がコントロールする市場の中で成長してきました。しかし戦後の財閥解体によって財閥は表向き力を削がれた形になった一方で、東芝は「市場の開放」によって、自由主義経済の申し子とも言える石坂の手によって、瞬く間に大企業へとのし上がりました。そして三井財閥はというと、大企業となった東芝への影響力は手放さないよう、石坂家との共生関係を濃くしていくのです。実は、前述した経団連の主導を旧財閥系委員会が握ったのも、当時財界への影響力を未だ有していた三井大番頭の池田成彬の計らいであるというから驚きです。
石坂としても、この期に権力者達の仲間入りをし、自身の私権を拡大する為に、自ら喜んで取り入れられていったことは容易に想像できます。
この時代の外圧や大衆の「豊かさ期待」という追い風もあり、お互い共通の収束軸を持った勢力が、結果的に今の支配者層の閨閥モデルを作り上げたともいえます。
●金融中毒化する閨閥
また、戦後も財閥が財界において影響力を維持し続けてきた背景として、1章でも述べた戦前に獲得した「金融支配権」によるところが挙げられます。
戦後GHQによる財閥解体が行われました。しかし、実態は各財閥内夫々でお互いの株を持ち合う「持ち合い会社」になったにすぎず、各財閥系列の市中銀行を中心とした大グループ企業へと代わっただけでした。私権拡大期(市場拡大絶対期)において金融支配権を握っている限りは、市場を支配する力を持っています。
こうして、序列や武力で支配していた時代から、「復興」と「豊かさ」といった大衆期待が後押しとなり、金融・資本こそがものを言う、【市場拡大を絶対】とする時代となり、これまで以上に閨閥の中でも財界が担う役割は大きなものとなりました。
●市場社会の私権闘争圧力の実態
三大財閥にしても、その後の経団連を中心とした新旧勢力の入り交じった閨閥を見ても、いわゆる巨大産業を牛耳る大企業群は、何かしらの血縁関係で繋がっている実態が見えてきます。一見して敵対関係に見えるような同業他社であっても、根っこの部分では遠縁で繋がっている企業間には、果たして本物の同類闘争圧力は働いているのでしょうか?
冷静に俯瞰すれば、大企業群を中心とした「財界」は、政官財の一部、つまりは、自社への利益誘導の為のパイプ作りにこそ、心血を注いできたのであって、決して企業間闘争に力点を置いていたのでは無いことが見えてきます。
私権闘争の世界ですから、例え親族間であっても、骨肉の争いが起こることは稀では有りませんが、事実としてどの大企業も一様に戦後経済成長の道を順当に歩んできた事は間違いありません。つまり、競い合いこそすれ、決して潰し合うような戦略が取られた形跡は一切見当たらないのです。
だとしたら、「私権闘争圧力」はどこに働いていたのか?
それは、閨閥の外側、つまり貧困の圧力を土台とした庶民の間にだけ作られた、人工的な圧力だったのではないでしょうか?
働く為の場を持たない庶民を相手に、給料を餌に私権闘争圧力を生み出し、過酷な労働というムチと少しでも豊かな生活というアメを使い分けて、企業の成長エンジンとしてきただけなのです。世間的には私権闘争圧力を形成しつつ、閨閥という閉じられた世界の中では、下から吸い上げた労働力と上からの金融支配力とを駆使して、見事に地盤固めを行なってきた構造の姿こそが、財界閨閥の実態であったと言えるでしょう。
3.’70年以降の財界 ~金融中毒化した閨閥が生み出した人工市場~
【外圧:豊かさ実現→私権の衰弱⇒収束不全】
‘70年に豊かさを実現した日本では、これまでのように、「作れば売れる」といった売手市場は終焉し、市場は縮小していく段階に入りました。
しかし、閨閥を維持拡大していくこと=企業利益を確保するためには、市場は拡大をし続けなければいけません。特に、金融支配力を中心にこれまで力をつけてきた閨閥にとっては市場の縮小は致命的です。
そこで、敗戦以降序列上位者達が首を切られたことで、新たに台頭してきた官僚達と繋がっていくことになります。(前回記事参照)
市場をムリヤリ拡大して行く為に、力をつけた官僚・政治家・マスコミと共生関係をつくることで国債による人工輸血市場を形成。この時代から、より一層財界は政界と強固な共生関係を作り上げていくことになります。
実際、市場のムリヤリ拡大を推し進めてきた人たちのほとんどが、閨閥の中に存在します。(ex.鳩山家-石橋家(ブリジストン)、中曽根家-鹿島家(鹿島建設)-土光家(東芝一門))
戦後の利権拡大の際に金融支配力をテコに私権拡大を図ったことで、閨閥(特権階級)達は市場縮小期の中で、もはや引くに引けないところまで追い込まれているといえます。
その特権階級の我侭に付き合わされた結果が、誰も返すあての無い、1000兆円という膨大な借金の正体だったのです。
●大衆意識から乖離、自滅していく財界閨閥
閨閥(特権階級)の金融中毒化の一方で、大衆は豊かさ実現による私権衰弱を皮切りに、意識の深層で人類本来の活力源に回帰してきました。それが、近年では、共認回帰の大潮流となり、ますます特権階級との意識の断層は深まっています。
時代は私権収束から共認収束へと大転換しています。それは、大衆の意識潮流が原動力となっているわけですから、もはや現代の大衆にとって私権の拡大・追求というのは期待でもなんでもなく、今や社会閉塞の元凶と捉えています。そんな時代にあって、金融中毒と化した特権階級達は、大衆の期待をよそに、更なる自滅の構造へと進んでいるようにしか見えません。
今現在、大手家電メーカーの一斉赤字という結果もその一例だと言えます。国を挙げてのエコポイント政策でさえも、この危機的な市場縮小期においては焼け石に水でしかありません。今やその構造は誰の目から見ても一目瞭然です。
とうとう、国策頼みの猿芝居も大衆には通用しない時代に入ったということでしょう。
■まとめ
市場の拡大期には、鋭い嗅覚で次代の可能性を読み解き、理に適った方法で私権を拡大してきた、財界閨閥。
しかし、市場縮小期にある現代において、適応方針をまったく見出せずにいます。
’02に世界バブルが崩壊し、私権の拡大の可能性は完全に閉ざされました。大衆の過半は私権に収束し続ける特権階級に潜在的に違和感を感じるようになりました。そして、とうとう3.11以降では大衆の目にも明らかな程、特権階級は無能さを露呈し、あろうことか未だ自身達の利権を守ろうと必死にもがいています。もはや、「暴走」としか言い表せない状況です。
現代の財界総本山である経団連による、経済政策内容の大衆意識とのズレや、社会に与える影響力の弱体化も同様でしょう。
こうして、時代を遡り追求してみると、財界閨閥は、今後ますます共認社会の不適応態として、絶滅の道を歩んでいくとしか思えません。
バブル崩壊以降、少しもよくならない景気。その上、金融危機でいつ失速するか分からなくなった世界経済。それなのに、司令塔たるべき特権階級達は何の答えも出せず空転する一方です。
外圧の働かない場(閨閥)を守り続けてきた方々は、外圧の変化を感知する能力さえも失ってしまっています。外圧、つまり庶民の作り出す現実の期待(空気)を読むことができなくなっており、彼らの出す方策はすべて小手先だけの弥縫策にしかすぎないということでしょう。
一方、常に外圧の働く場に居る庶民は、外圧変化に適応し、ますます共認収束をしています。
実現論には、生物普遍の摂理として、冒頭に下記のような言葉があります。
“生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。”
とあるように、どれだけ外圧を正しく受け、捉えるかに次代の可能性はかかっているのです。逆に言えば、これは『外圧さえ正しく捉えることのできる認識=新概念さえあれば、可能性は無限に拡がる時代に入った!』ことを示しているのです。それは、今後の企業経営も同様。
大衆が生きる生産の場(中小企業群)にこそ、次の時代を切り開いていく可能性を秘めているのではないでしょうか。
参考・引用文献
■鈴木幸夫著(1965)『閨閥 -結婚で固められる日本の支配者集団-』
■佐藤朝泰著(1987)『閨閥 -日本のニュー・エスタブリッシュメント-』
■大森 映著(1988)『日本の財界と閨閥 -伝統と創造に生きる企業人の素顔-』
■神 一行著(2002)『閨閥 改訂新版 -特権階級の盛衰の系譜-』
他画像引用元
http://edoken.shopro.co.jp/test/01/a02.html
http://www.mitsuipr.com/history/column/01/index.html
http://showa.mainichi.jp/news/1956/02/post-d037.html
http://www.mj-sekkei.com/cgi-bin/works/search.cgi?Mode=Preview&Id=28
http://www.komazawa-u.ac.jp/~kobamasa/lecture/japaneco/japec00.htm
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