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2012年06月16日

日本のものづくり 製造業はどうなる?~前編~

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「建設産業・都市の未来はどうなる?」リンク リンク
「情報通信産業に期待されていることは?」リンク リンク
「環境産業の可能性はどこにあるのか?」リンク リンク
に続いて今回は、「日本のものづくり 製造業はどうなる?」について分析していこうと思います 🙂

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戦後の日本の急成長を支えてきた製造業ですが、今や国内市場はとことん縮小し、製造業が生き残るためには、否応なく勝敗の見えない海外進出という道を進まざるを得ない状況です。
しかし、一方で日本産業の空洞化、技術力の衰えが深刻化し、国家の命運を左右する問題として認識されています。今後も多くの製造業は、この板ばさみの状況に答えを見出せず、ますます閉塞していくことが予測されます。
製造業はこれからどのような道を歩んでゆけばよいのでしょうか。今回は製造業の今後の可能性を探ってゆきましょう 😮
まずは日本の製造業の変遷を大きく押さえてゆきます。
◆社会・経済の動きと産業界の主な動き120609%E5%B2%A9%E4%BA%95%EF%BC%A7%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8%EF%BC%88%E8%A3%BD%E9%80%A0%E6%A5%AD%E7%94%A8%29.jpg
画像の確認
■戦後~1970年 戦後復興~高度経済成長期
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この復興と成長を支えたのが製造業であり、時代を導き、日本の産業基盤を作り上げてきました。
戦後の繊維、一次金属の製造に始まり、電化製品の大量生産により、三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を一気に普及させ、日本の豊かさを実現してきました。
1953年には720万人だった製造業の就業者数も1970年には1377万人と約2倍に急増し、日本の雇用の約3割を支え、GDPに占める製造業の生産高の割合も27%から35%へと増加しています。
1964年までは、内需主導で成長し続けてきた製造業ですが、国内の物的飽和が進んできた64年以降、自動車産業を中心に外需主導へと舵を切り始め、徐々に輸出を拡大し、製造業全体が海外需要に依存し始めます。
■1970年~1990年 豊かさ実現~バブル突入
120609%E5%B2%A9%E4%BA%95%EF%BC%A7%E2%91%A3%E4%B8%BB%E8%A6%81%E8%BC%B8%E5%87%BA%E5%93%81%E3%81%AE%E9%95%B7%E6%9C%9F%E6%8E%A8%E7%A7%BB.JPG1970年の豊かさ実現以降、物的欠乏は衰弱し、市場は縮小してゆきます。この縮小を補うために、国債発行によるバラマキ政策やバブル誘導により、見せかけの成長を促し続けてきた「まやかしの成長」の時代です。
75年以降、金融緩和政策が推進され、徐々に実態の生産とは異なる位相の金融経済へと移行してゆきます。実態消費が伸びない中、ばら撒かれた余剰資本は土地や証券などに向かい、経済はバブルへと突入していきます。
製造業においては、内需縮小に加え、73年の石油ショックにより、石油依存型の製造業(特に鉄鋼、非金属、化学、紙・パルプ)は大きく成長率を下げてゆきます。
この期間に労働人口は急増していますが、製造業の就業者数はほぼ横ばいとなります。またGDPに占める製造業の生産割合は70年の35%から90年には26%にまで減少し、リーディングセクターとしての役割を終えてゆきました。
ニクソンショックや変動相場制の導入により円高が進んだ‘75年以降、製造業のあらゆる分野で生産量は縮小してゆくなかで、唯一、大きく外需を伸ばし成長したのが、輸送機械製造=自動車産業です。
自動車産業は多くの雇用を創出し、効率よく外貨を稼ぐことができる産業です。また、石油や道路の需要を生み出すなど、自動車産業が伸びることで関連産業の市場拡大の起爆剤ともなります。それ故、輸出割戻し税や自動車関連税の減税、輸出優位の為替介入といった国策的優遇措置もとられてきました。現在でもエコカー補助金をはじめとした優遇措置がとられており、この頃から市場拡大を軸とした政策の姿勢は全く変わっていません。
輸送機器の輸出もはじめは経済力がある欧米先進国を中心とした輸出でしたが、さらなる市場拡大を狙ってアジア諸国にも進出。輸送機器の製造業は、グローバル経済の立役者となり、強引な市場拡大がさらに推進されることになります。
■1990年~現在 バブル崩壊以降、答えのない茨の道
1990年~91年にかけてバブルが崩壊。各産業は軒並みマイナス成長となり、社会は一気に閉塞してゆきます。’90年代末には決して潰れないと思われていた大企業の倒産が続き、日本的経済が悉く否定され、アメリカ型経営へと傾倒してゆきます。
この頃、日本の製造業は戦後初のマイナス成長となりました。1992年をピークに製造業の就業者数も減りはじめ、2010年には1049万人と、1960頃と同水準となっています。またGDPに占める製造業の生産高の割合も09年には18%にまで低下しました。
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海外生産比率は上昇し続け、特に、輸送機械、電気機械といった高付加価値かつ海外需要も高いものは製造業全体の中でも海外生産比率は突出しており、2006年には30~40%の売上げを海外生産に依存するに至っています。
市場拡大に変わる新たな可能性が提示されない限り、この流れは今後もさらに加速してゆき、生き残りのために半強制的に海外進出を迫られる国内の製造業は、衰退の一途となることは目に見えています。
このような危機的状況に置かれた製造業ですが、その突破口はどこにあるのでしょうか?
まずはこのような状況に陥ってしまった根本原因を探っていきます 😮
画像はこちらからお借りしました。
■1990年代アメリカ型経営導入が製造業衰退に拍車をかけた
1970年の豊かさの実現以降、物的需要が縮小していく中で1971年のニクソンショックに端を発する円高圧力や世界的競争圧力が高まる中でも、日本経済は勝ってきました。1970年代末には世界的にジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるまでに、日本的経営が賞賛されていました。
現在苦境に立たされている製造業、その大きな転換点は90年代初めのバブル崩壊に端を発するアメリカ型経営の導入によるものです。
1980年代から双子の赤字で悩まされるアメリカは、その原因としてアジア諸国をはじめとする世界的な貯蓄過剰が対米投資の主な財源になっていると考え、海外諸国にも市場開放を迫ってきました。
日本がその最大のターゲットとなり、バブル崩壊以前も日米貿易不均衡の是正を目的とした日米構造協議といった市場開放圧力をかけられていました。その動きがバブル崩壊後に一段と加速します。日本経済を立て直すためにという大義名分の下で、アメリカからの年次改革要望書の要求を呑む形で、橋本龍太郎の金融ビッグバン、小泉純一郎の聖域なき構造改革といった、新自由主義的な市場開放政策がとられていきました。
その中で日本的経営からアメリカ型経営に転換していった一番の要因は、企業間による株の持ち合いが解消され外国資本が導入されていったことです。
バブル崩壊以前は日本では企業間で株の持ち合いや、銀行が取引のある会社の株を持って安定株主を確保する傾向が強く残っていました。
しかし、バブル崩壊による株価下落に伴い、含み損となって企業の会計を圧迫する負担要因となっていったため、自社の経営を守るためだけに今まで協力関係にあった株を売却し、次第に株の持ち合い関係を解消されていきます。
また政策としても、1997年には外為法(外国為替取引に関する法律)の改正により、外為取引への規制が緩和され、また、2001年3月決算から金融ビッグバン政策の一つとして市場経済重視の時価会計が導入されました。2007年には新会社法が施行され、三角合併が解禁されることになりました。その第一号がシティグループによる日興コーディアルグループの買収です。
上記のような新自由主義的な市場開放政策がとられていった結果、東京証券取引所の外国法人による株式保有比率は1990年時には4.7%でしたが、2010年には26.7%まで上昇しており、日本市場の外国資本による支配が進んでいる結果となっています。
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また日本を代表する多くの企業が、外資系企業又はそれに準ずる外国資本比率が高い企業となっています。(外資系企業の明確な定義は定められていませんが、経済産業省の行っている「外資系企業動向調査」は外資比率が3分の1超を占める企業をその調査の対象としているため、この中でもこの定めを準用します。)
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このような外国資本流入による圧力に伴い、アメリカ型経営が導入されていき、株主の利益を第一とする短期的視点に立った経営管理体制に変わっていきました。
効率性を重視する経営体制のもと、当時、日本経団連会長の御手洗氏が会長を兼任していたキャノンを筆頭に2007年まで業績は右肩上りで成果をあげていきました。しかし、これは日本経団連による、派遣法改正等の新自由主義的政策への政治的圧力を高めた結果でもあるのです。
しかし、これらによっても2007年のサブプライムローン問題に端を発する金融危機の影響に対応できないでいます。リストラや派遣切りといったことが社会問題化する中で、日本社会の活力を失われてしまいました
この現況の中でも、日本経団連を筆頭とするグローバル企業は、TPP推進や消費税増税、原発稼働等、新自由主義的な株主利益を第一とした主張を掲げ、一般民衆との意識の乖離がますます顕著になっています。
■製造業を支える国の制度
最もわかりやすい身近な政策の事例としては、地球温暖化対策推進と経済の活性化を目的と謳ったエコカー補助金や家電エコポイントがあります。この政策により一定の経済効果があったことは周知の事実であり、当然製造業にはとてもおいしい機会であったことは間違いありません。
国は地球環境のことを考えるといいながら、環境に良いとは言いがたい大量生産消費を促すという、だまし以外なにものでもない制度を実行してまで製造業を支えています。このような政策は国民の物的欠乏の衰弱や、バブル崩壊により冷え込んだ製造業市場の活性化を経団連が国に要求した結果に実行されたと思われます。
過去にも経済の活性化を謳った政策である箱物行政も、製造業を大きく支援する政策になっていたことは間違いありません。
このように経済の活性化と連動して、製造業への援助になっていたことがわかります。
現在でも日本の経済は製造業の輸出により支えられているよう言われているため、製造業を重視した政策がとられることは当たり前のようになっていますが、実際には製造業が占めるGDPの割合も2割を切っているのが実情です。
参考TPPをめぐる俗論を反証する①~横行する数字のトリック、おかしな議論への反証
国策では常に製造業を優先しており、農業などは関税の撤廃などにより厳しい状況に追いやられてきました。他の産業を犠牲にしてまで生き長らえさせてもらっていたいにも関わらず、人件費の安い海外への移転やリストラを容赦なく行い、国内の雇用に貢献することもなく、自分たちの利益のみを追求しています。 😡
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画像はこちらからお借りしました。
このように国の力を借りたとしても、国民の物的欠乏の衰弱だけでなく、バブル崩壊により経済はガタガタになってしまい、このような外圧状況の中では製造業は国の援助を受けることにより何とか生き残っているとも言える産業になってしまったのです。
このような状況を打開するような案を打ち出せない国は、唯々経団連の要求に従って援助を続けていましたが、すでに、国も援助する余裕がなくなってきています。そんな中どのように生き残っていくかを考えていくことが必要になります。しかし、今まで要求ばかりを繰り返し国の援助に頼ってばかりで、生き残るための方法を追求することを怠ってきた多くの企業が海外への移転やリストラといった目先の戦略に収束しているのです 😥

日本の輸出製造業こそが“成長の癌”
筆者の持論で申し訳ないが、日本の輸出製造業の時代は、20年以上前に終わっているのだ。その延命に政治も行政も精を出した結果が、今の日本の成長ホルモン欠乏症になったのである。極論すれば“鎖国経済”が最適なのだが実現自体は簡単ではない。しかし、グローバル経済下であっても、需給地の合致の方向に向かうわけで、簡単にいえば世界の製造業は“地産地消経済”に収斂されていくのが筋なのだ。とどのつまり、現地生産、現地消費と云う、あまりにも当たり前な、原始的発想に至るのである。
 つまり、製造業は、国内消費分が国内生産であり、海外の需給は、現地で需給に応じるのが、すべての理にかなっている。経済理論から、様々なテクニカルな提案があっても、この“地産地消経済”を真っ向撃破出来る論理はない。それでは、日本経済は衰退するばかりだと云う悲観論があるが、それは創造力の欠如であり、それこそ成長を拒否する論理だ。人間の力は無限だ。何もなくなった大地を与えられれば、そこに何かを産みだす。それが人類ってものだよ。その手伝いを官僚達にやって貰わなくても構わない。まして、20世紀の遺物のような輸出系製造業の連中に手伝って貰う筋合いなどゼロである。

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本来ならば企業とは社会に貢献するために存在するべきであり、そうでなければ存在している必要はなくなります。
画像はこちらからお借りしました。

 

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