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2013年01月03日

『共同体経営とは?』-6 日本的経営とは? ~特徴と歴史~

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みなさん、こんにちは。
 
本シリーズは「共同体企業とは何か?」を明らかにすべく、これまで
 
・人類に至る生物進化の歴史と集団性
・人類の統合様式
 
そして前回は、「村落共同体」について追求し、急速に近代化が進んできた日本で、かろうじて残されてきた「共同性」が、「共認時代」における可能性であり実現基盤であることを明らかにしてきました。
 
そして、村落共同体を母胎として現在まで脈脈と受け継がれてきた本源性を有する日本には、これからの時代を切り開く上で、多くの可能性とその突破口になるヒントがまだまだ眠っていそうです。
 
ただ、現代においては前回まで見てきたような「村落共同体」は急速な近代化によって、ほとんどが解体されてしまいました。これまでの日本を支えてきた生産体としての村落共同体はほぼ皆無と言っていいでしょう。
では、今の日本を支える生産体とは? 
それは、あたりまえのことかもしれませんが、「企業」に他なりません。
 
そこで今回は、時代をもう少し現代に戻し、日本の「企業」なかでも、日本特有の経営手法である「日本的経営」というものに焦点をあて、他国とは一線を画した「日本的経営」の特異性と、それらが形成された背景を探り、次代の企業の在り方を探求していきます! 

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1.日本的経営
 
そもそも、なぜ「日本的経営」に焦点をあてていくのか?
実は、この「日本的経営」と言われる経営手法は、グローバリズムの影響を受けて、世界中の企業が欧米化・近代化している他国から見ると非常に特異な点が多く、日本人の国民性や民族性に大きく影響を受けていると考えられるからです。
一口に「日本的経営」と言われても、ピンと来ない方もおられると思いますので、まずは世間一般的に言われる、「日本的経営」の中身と歴史をざっと紹介します。
1-1.日本的経営の一般論
 
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ご存知の方も多いと思いますが、日本的経営とは、集団主義を第一価値とし、共同体をモデルに企業内の秩序と人間関係を規定し、組織の成員の「貢献」と「参加」意欲を喚起する経営手法です。それを実現すべく採られた方法が「終身雇用」「年功序列」「企業内労働組合」であり、一般的に言われる「日本的経営」の三種の神器とされ、現代において主要な特徴として挙げられています。
 

●三種の神器、形成の歴史
【終身雇用、年功序列】
第二次世界大戦前までの日本は企業内で養成した熟練工の定着率が悪く、職の移動は常態化していました。
そこで各企業は、昭和初期頃より「終身雇用」「年功序列制度」を設け、熟練工の定着化を図ったのです。こうして日本的経営の制度が普及するようになりました。
 
【企業内労働組合】
終戦後、日本的経営は、GHQによる財閥解体、労働組合の結成の推奨による経済民主化政策と共に、日本の企業は企業別組合による労使一体による経営と高度成長による右上がりの経済成長で定着しました。
そして、経済成長が横ばいになると、終身雇用放棄論が声高に主張されましたが、賃上げ抑制などを労使協調で乗り越え、1980年代には日本の驚異的な経済成長の立役者となったのです。

1-2.現代における日本的経営の総括
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戦後、猛烈な勢いで成長してきた日本。そしてそれを支えてきたのは前述した日本的経営を軸としてきた日本企業です。村落共同体の時代から塗り重ねられてきた高い集団性と共同性という民族性が私たちの底流に流れていたからこそ、高度経済成長を実現してきました。しかし、現代においてはその日本的経営を主軸とする企業も陰りがでています。
 
「日本的経営」が日本独自の経営手法として、多分に発揮されたのは当時日本がおかれていた外圧状況が大きく関係しています。戦後、敗戦国となった日本は飢餓と貧困の圧力に晒されていました。そうした状況下において、「終身雇用」「年功序列」をはじめとした「日本的経営」がもたらす「安定した雇用環境」は、当時の期待である「豊かさ期待」に即していました。この、大衆の期待に応える経営体制として日本的経営があらゆる企業で受入られてきたのです。
 
しかし、豊かさが実現された現代においては、社会の期待=皆の収束先が不鮮明となり、日本的経営も前時代の遺物として扱われるようになると、「日本的経営」という経営手法では安定した雇用環境を維持しつつも、ぶら下がりによって社員の活力維持ができなくなりました。同時に豊かさが実現された後も推進され続ける市場拡大路線に則り、M&Aやフランチャイズ等のハゲタカ戦略、つまり欧米的な経営手法をとる企業が増えてきました。
 
こうした経営手法は日本に「バブル」をもたらし、一見体制転換を果たした企業郡は成功したかのように見えましたが、ご存知の通りそれも小手先の弥方策でしかなく、バブルの崩壊と共にその脆弱性を露呈することとなっています。今やそのような経営手法を採り続ける企業は、閉塞状況に追いこまれ、現代においてはリストラや身売りを繰り返しています。
 
いわば、現代における「日本的経営」とは、私権の圧力によって歪められ、絡めとられた体制に変わり果て、本来の日本人らしさとはずいぶんかけ離れた手法となりつつあります。
 
これからの時代はより企業のグローバル化を推進していけば道が開かれるのか?と問われても、前述のような状況を見て、多くの方はそこに可能性を見出してはいません。
 
では、どこに活路を見出すのか?
 
目先的な経営手法ではなく、より「本源的」な体制変革を追求していく他ありません。それこそ、やはり歴史事実を遡り、我々日本人が長年積み重ねてきた過去の成功体験に学ぶしかない。 
そこには、日本人だからこそ可能なこれからの時代を切り開くヒントがたくさん込められています。

  
2.日本的経営の形成と背景 
この章では「日本的経営」の形成とその背後に眠る我々の民族性(本源性)との関係を紐解いていきたいと思います。
日本的経営と一口に言ってもこれまで紹介した三種の神器以外にもたくさん特徴があります。今回はその中でも日本人らしい本源性を元に形成されてきた「勤勉性」「終身雇用と年功序列」「談合と護送船団方式」「おもてなしの精神」を取り上げたいと思います。
■『勤勉性』
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そもそも、日本人は勤勉である、という認識は外国から見た日本人に対する感銘点として持ちだされた概念です。では、何故日本人は海外から見て勤勉であると思われたのでしょうか?

日本型経営とは?(再考)より
(前略)
①経営理念・組織風土関係
A.調整型・自然体リーダーシップ:順調な経済成長を阻害しないという前提の基、 組織の構成員間の様々な調整に留意し、流に逆らわず自然体で経営・管理を行う。
B.人間尊重:企業の財産は人材であり、経営者は優れた人材の育成に努めなければ ならないという経営観。それに対し、「長時間の残業」や「定年退職」「出向」「窓際族」など「人間軽視」とも移る現象が批判の対象になっている。
C.団結力・労働意欲:会社の成長、国家経済の成長に向けて異様な団結力を発揮することや、勤勉な国民性は戦後の日本人として長期スパンで捕らえるとその傾向が認められる。
D.愚直の精神:頑なまでに原則を守り、そのために労をいとわずまっとうに仕事する気運。
(中略)
**********************************
(中略)
上記特徴から明らかに言えることは、日本の企業は非常に集団性が強いということでしょう。これは「実現論」第二部でいわれているような日本人の本源性に由来し、縄文時代から戦前まで連綿と続いてきた農業などの生産課題を共有する村落共同体や、武力闘争課題を基に終結した氏族や藩の流れからも、この闘争(生産)課題共認→期待・応望共認→役割共認と言う共認を軸に形成される集団性が、現代の日本人の深層心理の意識→行動をも規定していると言えるでしょう。
(後略)

日本人の勤勉性とは集団性の強さより
最近TVでドイツ人の労働時間について取上げている番組がありました。ヨーロッパの中では比較的勤勉な人種のイメージがありましたが、失業率増によるワークシュアリングによって労働時間が制限され、1年のうち5ヶ月は休暇をとっている形のようです。もっぱらまとまった休暇は家族でのバカンスに充てられているようですが、労働時間が少ない為、おのずと収入も少ないわけで、日常生活を倹約して、まとまった休暇をつかった家族での海外旅行やバカンスによる充足に費やしているようです。番組で彼らは、そうやって人生を謳歌している事を誇らしげに笑顔で語っていました。
その姿を見て、なんともいえない違和感と共に、改めて日本人の勤勉性とは、個人や一家族単位での自己充足ではなく、地域や社会などその人を取り巻く人々や環境など、広い人間関係における集団に対して、働き勤めることによって喜んでもらえる充足を、生きがいにしている民族なのではないかと感じました。その生きがいは、集団内での期待に対して応望することによって得られる充足で、しいては集団みんなの充足。つまりは強い集団性から生起する活力によって、日本人の勤勉性は生まれているのではないかと感じました。
(後略)

いかがでしょう?
こうして、見てみると「勤勉性」の立脚点は規範意識の習熟度に左右されるものであることがわかります。規範は集団の秩序収束、もっと言えば「みんなの成功体験」が結晶化して出来上がるものです。つまり、企業文化の形成過程において尚、集団性や共同性が色濃く残存してきたからこそ、育まれてきたものだったのですね。

■『終身雇用』『年功序列』
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終身雇用と年功序列は、私たちに馴染み深い労働(雇用)環境です。ずいぶん減ったとはいえ、まだまだ根強く残っていると言っていいでしょう。逆に見れば、私たちにとっては、単年度契約で年俸を交渉するような欧米的な労働環境は馴染まない。そこに日本に独特の労働環境が生まれ定着した民族性を見るわけです。終身雇用と年功序列、両者と日本人の民族性の接点を考えてみましょう。

【終身雇用:集団性と安定志向】
日本人の本源にあるのは、安定を尊ぶ姿勢です。縄文以来、豊かな自然を前提にした採集の民としての性質がこの安定志向を形づくっています。くわえて、水稲栽培で不可欠な集団作業が年代を超えた集団性の醸成に一役買いました。結果として、日本の村落共同体は、安定志向(=保守性)と集団性の強さが特徴になってきます。この性質と「終身雇用」は、大変良く馴染みます。
傑出した能力の個性派よりも平均的能力の協調派が、労使協調路線で調整して安定的な職場環境をつくっていく。これが終身雇用の勝ちパターンです。

【年功序列:役割の期待】
村落共同体には、年齢階梯制というシステムがありました。年齢に応じて、子供組・若者組・中年組・長老組などに分かれて序列を形成するものです。当然、年齢が上の組がより高度な課題を分担します。このシステムは年齢≒経験に応じた役割が期待されているところがポイント。高度な役割=責任が重い課題を分担する人が高い序列に位置する合理的なシステムです。
で、現在的な年功序列は、この年齢階梯制を下敷きにして形成されていると考えます。民族性との接点と言うより、原点です。

 

■『談合』『護送船団方式』

【談合】
談合とは「公共工事などの競争入札に際して、指名された複数の業者が事前に落札者を申し合わせる行為」です。つまり、チャンピオンが誰かを予め決めて、チャンピオン以外は高い札(ふだ)を入れるということ。当然、落札者は特定の一社が独占するのではなく、次の入札の機会には別の業者が落札者になります。結果として、仕事が持ちまわり的に、順番に回ってくる。そして、発注者(役所)も談合が行われいてることは知っている(けど言わない)。そしてなぜか、落札額は予算(予定額)ギリギリになるというオマケ付き。広義には、このような官民一体の慣習全体を「談合」と捉えて良いでしょう。
すると、「そんなんじゃ競争にならないじゃないか!」というご意見がありそうですね。「はい、そうです」。競争じゃないんです。なぜなら、競争を回避するための慣習が談合だからです。競争を回避するために、予め話し合いで調停して、同業者全員が皆同じように生き残る。すなわち、共存共栄。これが談合のポイントです。
【護送船団方式】
護送船団方式とは「日本の特定の業界において経営体力・競争力に最も欠ける事業者(企業)が落伍することなく存続していけるよう、行政官庁がその許認可権限などを駆使して業界全体をコントロールしていくこと」です。日本では、護送船団方式と言えば、銀行など金融業で行われてきたものが特に有名です。
太平洋戦争直前の我が国では、金融恐慌が起きて弱小の金融機関が破綻。社会不安が広がったといいます。これを教訓にして、戦後は、大蔵省や日銀が金融機関に対し強力に行政指導を行って過当競争や弱小金融機関の破綻を引き起こさないよう手を尽くします。結果として、戦後からバブル崩壊までの長期間、金融機関の破綻は皆無。「銀行は潰れない」という社会通念が形成されました。
「落伍者を出さない」、「競争を起こさせない」という趣旨で皆が生き残るやり方は、先述の「談合」に通ずるところがあります。社会不安を取り除くためとはいえ、お上が護送船団方式を主導していたのですから、日本人の相互扶助・共存共栄の精神は“筋金入り”です。集団としてみた同業者全体が競争を回避して生き残っていることには変わりがありません。

このような日本独自のシステムが暗黙の規範として共認されてきた背景は古く、それは江戸時代の近江商人の「三方よし」と言われる、経営規範に見て取れます。

「売り手よし、買い手よし、世間良し」の<三方よし>
俗に言われる近江の三方よしとは、「売り手よし、買い手よし、世間良し」のことですが、実は商人の日常規範として家訓に中井治兵衛が書き残したものが発端でした。以下は商人心得の三方です。
1.始末してきばる。
 「始末」は無駄しない倹約するケチではなく、高いものは永く使うと始末ですね。
 「きばる」は本気で取り組むこと。(今でも京都では「おきばりやす」といいますね)
2.利真於勤。
 利益はその任務に懸命の努力した結果対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方で、
 営利至上主義をいましめる。(一生懸命勤勉に働くことが一番)
3.陰徳善事
 人知れずよい行いをすることで、自己顕示や見返りを期待せず人の為に尽くすことだ。
 (学校を建てたり橋の改修したり実際やっていた。因みに明治時代に堺港の整備したのは財界だ)
<江戸の近江商人>
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ひと口に近江商人と言っても商売の方法は様々。中でも特徴的な商売の方法が以下(一部のみ抜粋)。
「薄利多売」-相手を勝たせる 
近江商人は、卸商であるから、得意先もまた商人である。その利益を守ること が営業の重要な秘訣である。売った後で値が上がれば、えられるはずの利益を 捨てて、損をしたようであるが、その方が顧客は喜び、取引の将来が楽しみになる。一取引ごとに極大利益を追求する考え方でなくて、長期的合理性の原点に立つのが近江商人の理念である。
「乗合商い」-助け合いのシステム 
個人企業形態でなく、乗合商合(のりあいあきない)・組合商合 (くみあいあきない)がひろく行なわれていた。合資制度による企業体形成で、少ない自己資金で事業が拡大でき、危険分散 を図れたからである。(小倉榮一郎著『近江商人の経営』より)
「定宿帳」-相互ネットワーク
近江商人たちは、それぞれが競争相手でありライバル関係にあったが、郷党意識は強かった。他国へ出てわらじを脱ぐ宿は「日野定宿」「八幡定宿」などという看板がかけられた旅篭で宿泊し、荷物を預けたりそれぞれの土地の情報交換を行なった。競争しながらも協調していく必要性を充分認識していたのである。

このような精神性をもつ談合や護送船団方式は、同業者全体の(暗黙の)規範として成立しています。ひとつの企業の経営手法という範疇には納まりません。談合の結果、日本全国の数え切れない下請けの職人さんにまで仕事と賃金の確保が約束されるわけですから、全国的な共存共栄のシステムと言えます。
競争を廃した共認の地平で、自主的に仕事の質を向上していく。これこそ日本の本源性ではないかと思います。
一方で、「談合」や「護送船団方式」は、今は存在しません。なぜ、存在しないのか。それは、潰されてしまったからです。
談合や護送船団方式は、慣わし的に存在する保守性の塊のような規範です。“云わずとも知れた”間柄の者が知れば良いため、何一つ明文化されていません。察するもの同士の“想い”にゆだねられる点で、共認によって成立しているといえます。
ところが、これらの共認事項を、資本主義=自由競争の原則に照らすとどうでしょう?
“御礼”のための贈与は賄賂と捉えられるし、“仲間”としての認識は官民癒着と捉えられます。“相互扶助”は他から見れば排他的市場と捉えられるし・・・。このように、古くからの共認による慣習は原則論を主張すると“誰が見ても問題”と捉えられる側面を必然的に内包しているわけです。別の見方をすれば、原則論者にとっては大変揚げ足を取りやすい構造になっているということ。結果として、日本参入を画策する欧米・金貸し勢力は、マスコミを使って揚げ足を取りまくって(批判しまくって)、これらの慣習の多くに悪のレッテルを貼りました。今や、談合には密告制度が設けられ、密告者は救済される一方、その他の者には罰則(長期間指名停止)が適用されるなど、完全に潰されてしまいました。

 
■『おもてなし』
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日本的経営の根幹部分である、日本人の本源性はサービスという領域においても他国とは、一線を画した違いが見られます。
ここで紹介するのは、過去当ブログでも取り上げた記事ですが、改めて「日本的経営」という視点で見ても納得させられる部分があります。

おもてなし~リッツ・カールトンと加賀屋の違い
(前略)
■「心のこもったおもてなし」を掲げる老舗旅館
 一方で日本には多くの有名な老舗旅館があります。中でも注目したいのが、プロが選ぶホテル・旅館100選で、29年連続で1位を獲得している石川県の旅館「加賀屋」です(参照:)。
(中略)
■「おもてなし」とは何か?
 「おもてなしの源流 日本の伝統にサービスの本質を探る」(リクルート ワークス編集部著)では、サービスする人・される人、どちらにとっても味わい深い、日本流「おもてなし」の本質を、「一期一会」「主客共創」といった言葉で紹介しています。以下、上記の書籍紹介文からの引用です。
 >(中略)
花街で極上のおもてなし術を披露する太夫(芸妓の最高位)、老舗の呉服屋の若旦那、海外スターにも人気の温泉地・由布院の旅館経営者、などなど各界一流の「おもてなしの達人」や、松岡正剛さんはじめ日本のおもてなし文化に造詣の深い研究者の皆さんに聞いた話は、まさに目からウロコの連続だった。
 「主人(もてなす側)」と「客(もてなされる側)」が、一方的な関係ではなく共にその場をつくる「共創」の関係を持つこと。お決まりの接客ではなく「一期一会」を演出すること。そして、「ふるまい(態度・振る舞い)」「しつらい(室内装飾・インテリア)」「よそおい(外観・装い)」を兼ね備えること。長い伝統の中で磨かれた日本の「おもてなし」から、もてなす側・もてなされる側双方にとって、より良い「おもてなし」を創造するためのヒントが見えてくる。<
 そしてリッツ・カールトンも、加賀屋も、同じくこの「おもてなし」を掲げています。でも、今回見てきたように、その中身はまったく逆の思想で貫かれています。
 かたや、
お客と接客のプロという個人と個人の対等な関係の中に、「おもてなし」を追求するリッツ・カールトン。
 一方で、
お客ともてなす側が共に一体となって場を創り出す中に、「おもてなし」を追求する加賀屋。
 それは、個人主義的経営と共同体的経営の違いとも言えます。
(後略)

いかがでしょうか?こうして比較してみると、おもてなしの本質の違いが明らかですね。
主体を「私」におくか、「みんな(お客も含めて)」におくかで、おもてなしの本質に明確な違いが見られます。
 
日本のおもてなしの精神は「主客一体の充足」にあり、あくまで共認充足を第一としています。
私たちが、こうした伝統ある旅館のサービスを最も心地よく感じるのは、お互いの底流に流れる日本人の気質があるからでしょう。
その気質こそ、何度も言うように、生命誕生から村落共同体、そして現代に至るまで歴史の中で塗り重ねられてきた、「日本人の本源性」=「集団性・共同性」なのです。

3.共認時代に適した企業の在り方
いかがでしたでしょうか?
村落共同体に引き続き、近現代の日本の生産体である企業を覗き、前時代に栄華を誇った「日本的経営」という特異な経営手法の歴史を紐解いてきました。
一見、単なる一国の変わった経営手法と思われてきた「日本的経営」ですが、このように改めて俯瞰することで、そこには我々日本人の底流に、生命誕生から村落共同体を経て積み重ねられてきた「本源性」があったからこそ、実現されてきた歴史があることがわかりました。
当時の外圧を受け、皆で状況を共認し、その状況下で皆の期待にいかにして応えていくかを模索した結果だと言えます。皆の期待に集団で応える!という、集団性・共同性を持つ日本人。皆の共認を羅針盤にして生きてきた体質が、それこそ縄文時代(一万年前)から続いているのです。
その体質・気質が近代50~100年程度で変わるでしょうか?
変わらないですよね?
飢餓・貧困の圧力を下敷きにした絶対的な「私権圧力」が働いていた時代にあっても、意識の底流部分で「共認」を紐帯にして外圧に適応し豊かさを実現してきた日本
この点が、まぎれもなく日本企業の特異点であり、日本人の本源性です。
そして、今も尚私たちに意識の底流に脈々と流れるこの本源性こそが、閉塞している社会を突破し「共認時代」を実現させていく実現基盤に他ならないのです。
「豊かさの実現」により、「私権時代」から「共認時代」に突入している今、これまでのようなごまかしや小手先の経営手法や体制変革では企業として生き残ることはできません。
「企業の在り方」として、欲望を過剰刺激するような大量生産大量消費の生産体から共認充足を供給する生産体として変革していく必要があります。共認充足が第一価値となった今、ますますその充足の中身(本質)が問われています。
では、「共認時代」に適した企業=生産体のカタチとはいったいどのようなものなのでしょうか?
次回からは、40年前にこの時代転換を予測し、これまでにない新しい生産体として生まれた企業=「共同体企業」の中身について、追求し紹介していきます!
参考サイト
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/107979/1/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E7%A4%BE%E4%BC%9A_3-54.pdf
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=64691
http://www.osaka-sekizai.co.jp/company/president_blog/2012/12/3298/
http://www.narinari.com/Nd/20090111012.html
http://www.sanpo-yoshi.net/about/concept.html
http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2009/06/000655.html
http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2009/08/000674.html

 

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