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2013年01月23日

『共同体経営とは?』9-1~共同体の根本規範とは?=合議制システム~

こんにちは。今回も「共同体経営とは何か?」を引き続き追求していきたいと思います 🙂
前回のテーマ「経営者でありながら労働者である仕組み=自主管理体制」の中で、共同体企業とは三位一体(経営者、労働者、株主)の組織であり、そこで決定される方針は多数決でなく「全員の合意形成=合議体制」で行われるというお話をさせて頂きました。
 
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■合議制とは?
会社で何か方針を決定するような時、多数決では誰かスッキリしない人がいるし、上が決定した事だからやるというようなトップダウン式だと理由も分からず、やる気もでない。かといって、みんなで一斉に話し合えば意見がなかなかまとまらない。こうした会議ってみなさん経験あるんじゃないでしょうか。そんな人ほど、全員が納得し、当事者意識を持って行われる合議体制って、本当にできるの? 🙄 と疑問に思ってしまいますよね。まずはその仕組みを見ていきましょう 😛
 

合議体制の構築
(前略)
貧困が消滅すると、私権の確保は第一義的な価値ではなくなり、人々はその為に必死に働こうとはしなくなる。つまり、私権によって企業や社会を統合することが、困難になってゆく。
意識生産では、機械ではなく、働く者の労働力(類的価値を生み出す意識力)が唯一の生産力である。つまり、人間の能力それ自身が生産の主人公となる。そこでは、集団(ひいては社会)を資本力の様な私有権力で統合するよりも、働く仲間たちの共認(役割や規範や方針を認め合うこと)によって統合する方が上手くゆく。つまり、脱貧困の時代には、権力統合体より共認統合体の方が適している。
(中略)
共同体・類は、この様な時代認識に基づいて創られた。従って、創立当初から、経理を含む全情報を全社員に公開する情報公開システムを作り上げ、誰もが状況を把握できるようにして、その上で、全員が取締役となって経営に参画する合議体制を構築し、皆で組織や事業の方向を決定してきた。
(後略)

 
このように、類グループは時代潮流を見据え、全員が三位一体(経営者、労働者、株主)の当事者となって会社を動かしていく仕組みを作り上げてきました。
 

合議体制のカギは事実の共認にある
 
一方、この合議体制の仕組みを動かしていくカギとなるのが事実の共認です。
 

私たちは、現実そのものを対象とする長年の生きた会議経験の中から、合議体制(ひいては真の民主主義)を実現するカギは、論理が整合する事実の共認にあることを、体得してきた。
例え仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理が整合していれば、それを事実として認める。
もちろん、これまで認めてきた「事実」に反する現象が出てくれば、直ちにその現象事実を組み込んで論理=構造認識を組み替える。この様にして、事実の認識体系は無限に進化してゆくことになる。
 逆に、自分にとって都合がいいというだけで、事実に基づく根拠が何もない「主義」や「主張」など、共同体では一切通用しない。もちろん、誤魔化しや言い訳など、通用する訳もない。この徹底した現実直視⇒事実追求の姿勢こそ、常に確かな時代認識を育み、共同体を実現させてきた真の力の源である。

 
このように、類グループは事実を共有することで、全員が納得し、当事者意識を持って行われる合議体制を構築してきました。しかし、この合議体制の実現に辿り着くまでにはたくさんの壁があったのです。中でも、合議体制実現への組織基盤作りと全社員が当事者意識をもって参加する合議型会議“劇場会議”の構築には失敗を乗り越えてきた歴史が詰まっていそう。今回はこの2点に焦点を当て、類創設時からメンバーにインタビューしてみました 😉

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『“親和“の組織基盤の追求 - 組織体制問題(失敗)の歴史から学ぶことばかりだった -』
 
類グループ創立メンバーの一人で40年間勤続しているIさんと、営業部長のSさんからお話を伺いました。
 
―――合議体制を学ぶ中で、類グループでは1990年の後期から、その“核”とも言える劇場会議体制が始まっていることを知りました。時代はバブル景気全盛で社会全体が盲目的になっている時だったのではないかと思われます。事実認識をみんなで共有しようという動きが、この時期に始まったのは何かきっかけがあったのでしょうか?
 
Iさん:具体的に何かがあったから始まったというわけではありません。創立時から考え続けている「事実の追求」が根っこになっているので、ある意味必然だったとも言えると思います。
Sさん:事実認識に関する話で言えば、ずっと追求し続けていたことでした。ただ、類グループの拡大に伴って発生してきたのが、組織体制問題です。恐らくどの経営者も頭を悩ます問題でしょう。しかし、その問題を経営者が一人で孤独に考えて何かを実践しても、組織の成員一人ひとりが問題を主体的に捉えていなければ何も変わりません。そこで80年代の始め頃から“新聞勉強会”というものを、当時の社会問題をネタにして始めました。追求過程の共有が始まったのです。
 
―――事実の追求が創立時から変わらぬ軸としてあるため、必然なのですね。ちなみに“新聞勉強会”では、どのような問題を取り上げたのでしょうか?また、類グループの問題とリンクして追求を深めていったのでしょうか?
 
Sさん:当時問題になっていたことで印象に残っているのは、男女の関係についてです。社会的にも「オバタリアン」というのが問題になっていて、それともリンクしていました(笑)。その中から生まれてきたものが“女性論”です。そうして社会の問題をネタに勉強を進めていく過程で、徐々に歴史を遡って追求を深めていく勉強が活発になりました。追求の過程で仲間意識も高まったと思います。しかし、まだまだ資力がものをいわした時代ですから、自我・私権も色濃く残存していて、退社人材も後を断ちませんでした。そのような状況を「なんで?」と捉えられたことは、新聞勉強会等で追求し続けていたことが生きたのだと思います。
 
―――なるほど。新聞勉強会を通して追求する過程自体を学んだと。退社問題についてはどのような追求があったのですか?
 
Sさん:とにかく私権時代の自我意識による私的判断が色濃く残存していて、本当に大きな問題でした。
Iさん:そう。そこで先ずは、親和なくして組織はつくれないということで、仲良くなろうという動きがありました。しかし、はじめは仲良し集団のようになってしまった(笑)。
Sさん:それでは勝てない。
Iさん:だから今度は圧力が足りないのでは?と親和の止揚が始まりました。“ダメ圧力”なんていうのを試した時期です。机叩きなんてのもやったなー。毎日怒ってばっかり(笑)。
Sさん:当然だけど、それじゃあ上手くいかない(笑)。
Iさん:半年くらいで終わっちゃったよ(笑)。こっちも疲れちゃう。やっぱり良好な親和関係がつくれてないとダメなんですよ。そこらへんから“追求”を前提とした親和構築が始まりましたね。サークル活動や古典歌謡なんかもその時期です。
Sさん:仲間を知ろうということで、精神分析演習なんていうのもやったね。個室で1人に対して2~3人が、その人の生い立ちなんかを細かく聞くの。僕も聞く役・聞かれる役両方やったなー。
Iさん:まあそんなわけで、組織体制問題との付き合いの歴史のようなものなんです。だから人類が歩んできた歴史をしっかりと押さえなければいけない、という流れにもなりました。江戸時代はどうだったか?縄文は?もっと遡ってサルは?という感じで。
Sさん:とうとう最後には単細胞まで遡っちゃった。でもそうやって歴史を振り返っていくと、やっぱり生物も失敗の連続だったんです。失敗の歴史というのは、適合しないものは淘汰され、良いものは残っていくという根本的な事実を私たちに教えてくれました。
Iさん:そう。だから私たちの組織体制問題も生物史と同じで、失敗の歴史なんです。
 
―――いろいろと試されてきたのですね。展開に臨場感があって具体的なイメージが湧いてきます。失敗から学んで、良い方向へ転換しようという過程がいいですね。先ほどのお話にあった“追求”を前提とした親和構築とは、具体的にどのような試みがなされたのですか?
 
Iさん:ここの転換はすごく重要で、先ずは他者否定をやめようというところから始まりました。常にガタガタだった親和関係を意識(やる気)を高める方向へ持っていこうと考え始めたのです。それは、サル時代まで遡って得た“共認”という認識が大きく影響しています。これまではあまり意識してこなかった“評価”による圧力が有効なのではないか、という認識の転換があったのです。
Sさん:今でこそ“期待”とか“充足”とかよく言うようになったけど、始まりはこの頃だったね。
Iさん:失敗したからこそ、みんなで歴史に立ち戻ることができたし、それによって“共認”という重要な認識を得ることができました。そこで得たものは今でも残っています。良いものは残るんです。また、これまではちょっと硬いなと思うような理論も、みんなが追求して面白い理論へ転換していきました。歴史の話で言えば、本来の姿はどうなっていたんだろう?とか、本当のこと(事実)はどうだったんだろう?といったような純粋な好奇心からくる追求ですね。それを仲間でやる。
Sさん:だから上手くいった。みんなが主体的に取り組めることが、親和構築の鍵だったなんてなかなか気づけなかった。とは言っても、創立当初から「自主管理への招待」という文章があって、それをみんなが心から実感できたことは、組織全体にとっても良いことでした。そういう意味で社長は最初からそれをわかっていたんだからすごいよ(笑)。だから僕はこの文章が好きなんだ。
 
―――共認の圧力という認識の転換ってこの時期だったのですね。失敗の歴史があったから今の共同体の姿がある、ということがとてもよくわかりました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

 
40周年を迎えた共同体・類グループの組織基盤作りの歴史は、生物の進化と同じように逆境・失敗の歴史を積み重ねて進化してきたということを生々しく感じていただけたのではないでしょうか? 😉
 
この組織基盤を土台に、合議体制の実現体を構築していくことになります。それでは、合議体制の実現体の一つ“劇場会議”を実現するまでの歴史を見ていきましょう。
 

 

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