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2013年01月24日

『共同体経営とは?』9-2~共同体の根本規範とは?=合議制システム~

『合議体制の実現~平板会議の欠陥とその突破口として確立された劇場会議~』
 続いて、25年前「査察担当」として全社の統合課題を担っておられた営業部長Y・Kさんと、企画長のY・Sさんにお話を伺いました。
 数々の失敗を全員の合議を採りながら乗り越えてきた類グループですが、全員参加の合議制という形は一般的に困難と感じる方が多いと思います。それを可能にしているのが、現在も組織統合の要となっている「劇場会議」という会議体制だと思いますが、この会議体制を敷くまでにもたくさんの壁があったのではないでしょうか?
 
Y・Sさん:それはもう色んなことがありましたよ。(笑)当時はバブル景気全盛ということもあって、人材を拡大し組織を大きくしていくにつれて体制的な課題が常態化してたよね?
Y・Kさん:そうだね。査察でどこを見ても問題ばっかり(笑)特に大きな課題だったのが、質問にもある「会議体制問題」になるのかな。

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―――組織の体制課題よりも、会議の体制課題の方が大きかったというのは、意外な気がしますが?
 
Y・Kさん:たしかにそう感じるかもしれないね。ただ、設立当初より成員の総意によって運営されていくことが前提にある我々共同体においては、会議は組織統合の要なんだよ。だから、人材問題や組織体制問題は会議体制問題と言っても過言じゃないんだよね。
Y・Sさん:そうそう。もう少し具体的に言うと、当時はウチも部門毎に集まる小会議体制を敷いていて、指揮系統に従い上から下へ方針を伝達するという、世間でもよく見られる会議体制だったんだけど、これが人材を拡大していくにつれ共同体という集団の中で機能しなくなってたんだよね。
Y・Kさん:指揮系統体制の中での会議の場では、肩書きや能力差とか、そういう序列によって一方的に方針を押し付けられる傾向があるからね。要は私権強者の自我による私的な共認空間が形成されている状況が常態化してたんだよ。
Y・Sさん:今だったら、とんでもないことになるね(笑)
Y・Kさん:まぁ、もちろん当時もとんでもない問題になったんだけどね(笑)本部で決めた方針は下に行くに従って中身が劣化していくし、下は下で上長から中身もよくわからない方針を押し付けられるからたまったもんじゃない。そうすると至るところで価値対立を起こして、反組織的な共認形成ができあがり、会議体制の問題が必然的に組織の統合問題にまで発展してしまうんだよ。劇場会議を確立するまで、この壁に何度ぶち当たってきたか。(笑)
 
―――なるほど、共同体において会議は組織統合の要であることがよくわかりました。次に劇場会議体制の確立に向けてですが、これまでの会議体制の壁を突破できたキッカケはなんだったのでしょう?
 
Y・Kさん:それは、なんといっても当時社長を中心とした本部が分析した「平板会議の下方構築性」という事実を皆で共有したことが大きかったんじゃないかな~。
 
―――すいません。もう少し具体的に教えて下さい。
 
Y・Sさん:平板会議というのは読んで字のごとく、「皆が平等」「対等」という前提の上で成立する会議のことで、類グループは「全員参加の合議制」が設立当初からの根本規範として根付いていたから、「全員参加」という言葉の中身が「皆が平等」という言葉に引きずられて劣化してたんだよ。
Y・Kさん:要は、「参加することに意義がある」という当事者意識の低い成員が集まる場となってしまって、全く中身が深まらず、「答え」に向かう追求ベクトルも生まれない会議になってたんだ。
Y・Sさん:そう。一見「皆平等」って聞こえはいいけど、実際評価圧力のかからない場では当事者意識の低い者は会議にもたれかかるし、有効な方針を提示されても、他の劣化した方針と対等に扱うことになる。結果、答えの出ない会議を延々続けて、最終的には上長の鶴の一声で判断が下される。こんな会議じゃ中身のある議論ができないのは当然だよね(笑)
Y・Kさん:今では当たり前の認識だけど、当時この認識に辿りつくまで何年もかかったんだよ。
 
―――当事者意識の低いぶらさがりの成員が集まる「平板会議」の場では、有効な方針や提案があっても下方へ劣化していく。これが平板会議の欠陥「下方構築性」ということですね。
 
Y・Kさん:そういうこと。この事実認識を得て、「どうする?」と可能性を模索し、その突破口として生まれたのが、「劇場会議」なんだ。
 
―――なるほど!では、「平板会議」と「劇場会議」とでは何が違うのでしょう??劇場会議も「全員参加の合議制」のシステムであり、「全員参加」という点では変わりはないように思います。
 
Y・Kさん:端的に言えば、平板会議のように「皆が平等」という前提とは違い、劇場会議では扱う議論の中身に従い、「人材の能力ヒエラルキーに沿って役割を期待し運営する」点が大きな違いだね。
Y・Sさん:どういうことかと言うと、成員には元から当事者意識の高いものに従って、発言力、提案力、統合力にヒエラルキーがあるよね。要はその現実を「事実」として認めたということ。「ヒエラルキーはあってあたり前」この事実認識に沿って、会議運営をし、全員が参加することのできるカタチを試行錯誤した中で生まれたのが「劇場会議」なんだ。
Y・Kさん:そうだね。その具体的な運営方法として、「内野」と「外野」という「役割」を作ったんだ。当事者意識が高く鋭い切り口を提示できる者、議論で扱われる分野に精通している者とか、「答え」を出す為に議論をリードすることを期待される成員は「内野」。一方「外野」はその追求の過程に注目し評価圧力を形成する。時には自分が持つ意見が皆にとって役に立つと思う時は、自由に発信してもOKというカタチをとったんだよ。
 
―――つまり、劇場会議の体制と運営方法も、類グループの根本である「事実の共認」によって実現してきた経緯があるのですね。
 
Y・Kさん:その通り。常に事実の追求と実践によって失敗を塗り重ねながら今のカタチになってるんだよ。
Y・Sさん:実際、今の劇場会議体制に成るまでにも、色んなことを皆で試したよね?(笑)最初は長机を内側に置いて、外側は菱形で囲むように配置したりとか。
Y・Kさん:そうそう!社長は、「もっと昔の寄り合いのように円形にはできないか?」とか言うもんだからホント色々試しながら設営してたもんな~(笑)
Y・Sさん:今じゃ当たり前のように皆が参加してるけど、失敗と成功を繰り返し、その結果=「事実」を見直しながら、皆がよいと思えるカタチにするまでに10年程かかった場なんだ。
 
―――劇場会議の確立の背景にあるのも、やはり「失敗の歴史」というわけですね。では最後に、会議体制を大きく変えたことで感じた効用や変化等をお聞かせ下さい。
 
Y・Sさん:そうだね~、議論の中身が高度化したのは言うまでもないんだけど、一番大きい変化は「皆で答えに向かって追求していく場ができた!」ということかな。
Y・Kさん:たしかに。市場が縮小し、あらゆる企業が有効な方針や答えを出せない現代において、この変化はとても大きかった。日々の仕事や実践課題は常に社会状況の変化と共に変化していくものだから、先行きの見えない現代では課題はどんどん複雑化していくし、未明課題ばかり。その中にあって「皆で考えれば答えは見出せる!」という自信と、実際に現実に使える「認識」「答え」を追求できる場や風土が形成できたこと。これらはこれからの時代を生き抜く上で大きな強みだと自信を持って言えるし、最大の効用じゃないかな。
 
―――そうですね。こうしてお話を聞いてみると、紆余曲折様々な組織課題を抱えながらも40年間業界の最前線で闘ってこれたのも、こつこつと先人達が築き上げていただいた歴史があったからこそなんだということに気付き、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。本日は、貴重なお話をありがとうございました。

 
このように、“事実の共認”を軸に、合議体制を支える組織基盤を構築し、合議体制の実現体を作り上げた共同体“類”。実現過程の中で得られた認識群は社会の事実の集積であると同時に、進化の基盤になっているようですね。
 
最大の効用は、インタビュー時にお聞かせ頂いたように、複雑化し、加速化する社会の変化に対し、“事実の共認”を基に、自ら変化し次の答えを出していける強い組織を作ることができたというところなのでしょう。現実社会では今までやったことのある課題なんてほんのわずかですし、経験したことのない未明課題がほとんど。その課題に対してしっかりと実現基盤を示し、厳しい現実圧力を突破していかなければならず、当然、集団を統合していかなければ組織は社会で勝っていけません。私権で集団を統合していくことが限界を迎え、市場拡大絶対で肥大化されてきた物的生産の時代から意識生産の時代へと進化しようとしている現在、生物進化の歴史という普遍性に基づき、“事実の共認”によって常に進化し続けてきた類グループの合議体制には大きな可能性が秘められていそうですね。
 

人間の進化の歴史=現実対象→事実の共認・蓄積(実現論前史“へ”)
 
人類の最先端機能たる観念機能は、あくまでも本能回路や共認回路を充足する為にある。もっと簡単に言えば、現実課題に応えるためにあり、行動を導く為にある。従って、観念機能は、精霊信仰以来一貫して目の前の現実世界(自然や同類)を対象化してきた。そして現実対象→事実認識の蓄積によって、人類の生存様式を進化させてきた。
 
しかし、本源集団が解体された私権統合社会では、現実課題に応える為の観念機能は専ら私権の獲得に収束し、自分のことしか考えられない人間を作り出した。当然その私権闘争は、本源価値を抑圧し、解体してゆく。しかし、共認回路の充足の必要は、絶対である(サル・人類はそれなしには生きられない)。そこで、 観念機能は(私権追求とは別に)現実には失われてゆく本源価値を、頭の中だけで対象化することによって、共認回路を充足させる方向に向かった。こうして、 現実対象不在の架空観念(神や愛や自由、つまり古代宗教や近代思想)が捏造されていった。それによって、人類を進化させてきた観念機能の認識ベクトルは、 現実対象から不在対象(頭の中に内在する本源価値)へと180度逆転させられてしまったのである。それだけではない。本来の観念機能は、本能課題や共認課 題に直結して行動と一体となって作動するが、現実対象を捨象したこの即自観念(頭の中に内在する本源価値を言葉化しただけの観念)は、現実の一切の活動から切り離され、ただ「観念」それ自体の為に存在する。これは観念の倒錯である。
(以下、省略)

 

<参考>
 
実現論ヘ.人類:極限時代の観念機能
実現論序イ.徹底した現実直視と事実の共認
「共同体の挑戦シリーズ3」~合議制のカギは事実の共認にある~
「共同体=共認統合体」と言う認識と「事実共認の合議制」と言う実現システム

 

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