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2013年06月13日

「大転換を生き抜く」シリーズ①~市場の拡大限界と暴走 ~1.1 実態データから読み解く、物的豊かさの実現=貧困消滅~

 
 世界的な先進国である日本が世界有数の借金大国であることはみなさんご存じだと思います。それもその額944兆円以上(2013年6月現在) 幸せいっぱいで子供が生まれても、生まれた瞬間から子供に743万もの借金を背負わせてしまうのです 😥 でも、どうしてそうなってしまったのでしょうか?原因を追及していきましょう 😉
 

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①日本の転換点はどこだった?~日本の借金が増加に転じ、実態成長がマイナスに転じ始めたのは1970年頃から~
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<参考1><参考2>
 
 上表は日本の借金残高と実質のGDP(国民総生産)、両者の差から見ることができる実質成長率=正味生産高、日本の実質成長率を表したものです。
 日本の実質GDPは、戦後同じ成長率を保ちながらドンドン上昇していきます。しかし、70年頃から実質GDPは増えていくにも関わらず、借金残高はドンドン増えていくようになります。日本の生産指数は増えているのに借金も増えていくという不思議な状態。もう気づいた方もいると思いますが、実は、日本の実質成長率=正味生産高は70年頃から減少に転じているのです。このターニングポイントとなった70年頃、いったい何が起こったのでしょうか(?0?)
 
 
②戦後の日本の変遷~民主化政策~
 
 その背景を知るには、それまでの政府の動きを把握しておく必要がありそうです。なぜなら、戦後の急激な生活基盤再生には日本の民主化政策が大きく関わっているからです。まずは、少しだけ日本の戦後を振り返ってみましょう。
 

戦後経済復興期【1945年~53年(朝鮮戦争休戦)】
             ↓
内需主導型の本格的な経済成長期【1954年~64年】
             ↓
内需主導から外需主導への移行期【1965年~69年】

  
 戦後GHQは日本の民主化を押し進め、日本を民主主義を軸とした国へ徹底的に改革させていきます。自由、平等、権利を基底に、財閥解体、労働民主化、農地解放、労働運動を起こさせ、当時最大の敵であった共産主義に対抗しうる民主主義国日本を作り上げていきます。そこに朝鮮特需、マスコミの物欲の刺激が加わり、脱貧困を基底とした強烈な私権欠乏と戦争による生産基盤を整えた日本は、市場拡大をテーゼに一気に経済成長を遂げていきます。
<参考3>
 
 こうして民主化に伴う私権の肥大化によって急激な変化を迎えることになった日本ですが、70年頃、民衆の生活はどんな変化を見せていたのでしょうか。まずは、生活基盤たる「住」と「食」について見ていきましょう
 
 
③「住」と「食」の変化
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<参考4><参考5>
 
 戦後の生存圧力上昇から真っ先に変化を見せたのは「食」でした。アメリカからの食料輸入が激増し、日本の文化と融合しながら、60年代には国民の食糧難は回避されていきます。一方、その当時「住」の方は住宅供給量が徐々に増え始め、私権欠乏肥大化も相乗し、一戸建て住宅の建設が急増していきます。
 さらに70年代になると、「食」は高級化・多様化を通じ、食料飽和の状態に転じます。「住」の方も同様に、ニュータウン計画の増大から住宅供給飽和の状態に転じることになります。
つまり、生活基盤たる「住」「食」は70年代に物的飽和を迎えているのです。
 
 
④物的飽和から生まれる消費の変化
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<参考6><参考7>
 
 上表は、主要耐久消費財の世帯普及率の推移を示しています。カラーテレビ・冷蔵庫・洗濯機・掃除機が1960年代から1970年代にかけて急速に伸び、1975年には全て90%を超えています。下表は、海外旅行客数の推移を示しています。漸増を続けていた1960年代に対して1970年からは急にその数が増加しています。
 つまり、生活基盤たる「住」「食」が満たされ、生きるためだけではなく、生活の利便性に消費をつぎ込んでいったのです 8)
 
 
⑤物的飽和から生まれる職場の変化
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<参考8><参考9>
 
 さらに物的飽和の影響は私たちの職場をも変えていきます。上表は労働組合員数・雇用者数・推定組織率の推移と労働争議の件数・参加人数の推移を表しています。安保闘争等を経験しながら、70年代まで徐々に労働組合員数を増やし、1974年に労働争議が最大となった後、急速に減少していきます。その動きに応じ、企業の雇用状況も変化を見せます。
 下表は週休二日制を取り入れた企業数の割合を企業規模別に示しています。1970年までは企業の規模に関わらず、ほぼゼロだった週休二日制も1970年を契機に大企業を中心に激増しています。
 労働争議数が激減し、労働時間の減少、主要耐久消費財や海外旅行のような余剰消費が増加していったということは、物的飽和により溢れたエネルギーの矛先が消費活動に転換された結果という事です。戦後の民主化政策によって私権欠乏が高まっていた労働者達は、日本の経済成長を支える・促進させるはずが、知らず知らずのうちに経済成長を止める存在となっていったとも捉えられますね。
 
 
⑥新たな時代の幕開け
 
 こうして見てきた貧困消滅と物的飽和ですが、実はこの現象は人類史上初めての大きなパラダイム転換だったのです。
 
 これまで人類は貧困を克服するために観念機能を用いて多くの技術を開発してきました。肉食動物に囲まれ逃げるしかなかった原始人類時代に生き残るために観念機能を発達させ、コミュニケーション能力、信仰思想、さらには外敵に対抗できるだけの道具を生みだし、わずかながら自ら食料を確保できるようになります。
 敵が同類しかいなくなり、同類闘争圧力が高まってくると、貧困を契機に世界の人口集中域で戦争が生起し始め、この武力集団を統合するのに私権の序列原理を特化させた国家が誕生します。この私権という統合様式の下、武力となる兵士へ食料を届けるため農業技術が発展し、財や土地は王に集約されていきますが、当然、物的欠乏が続く限り、庶民から特権階級へ物が集約される構造は変わりません。つまり、戦争を起こすことで貧困を作り出し、私権欠乏を囃し立て、富を吸い取り、また貧困を作り出すということを繰り返してきたのです。
 戦争が縮小し始めると次は法が力を持ってきますが、それに応じ、国の統合機関が王から官僚へ変わっても、特権階級が貧困を作り出すという流れは全く変わりませんでした。なぜなら、法という権力によって官僚達が富を集めていったからです。
 
 だから、本当は貧困を克服したいのに、私権という統合様式によって序列が作られるが為に、誰かが富を集め、誰かが貧困に貧するという格差関係はなくならない。つまり、私権統合システムは貧困があり続けるからこそ成立できてきたのです。
 もうお分かりですね。70年代、物的飽和を迎え、人類史上初めて貧困が消滅したということは、私権という強力な統合様式が終わりを迎え、新たな統合様式に変わったということなのです。
 
 

実現論:序2(下) 私権時代から共認時代への大転換
 
 つまり、この40年の間に、人々は、もっとも深い潜在思念の地平で、私権収束から共認収束への大転換を成し遂げたのである。
それは、社会の根底的な統合原理が、私権原理から共認原理へと転換したことを意味する。
 
 物的な豊かさが実現された以上、私権収束→私権統合の社会が終焉し、共認収束→共認統合の社会、すなわち、人々が、状況を共認し、課題を共認し、役割や規範を共認し、それらの共認内容に収束することによって統合される社会に移行してゆくのは必然である。
現在の、意識潮流の先に人々が求めているものも、間違いなく共認社会(古い言葉で言えば、共同体社会)であると言えるだろう。
 
【必要なのは地に足をつけた共同体企業の建設】
 
 共同体社会というと、「社会」の方に目が向かい勝ちだが、重要なのは共同体社会の構成単位=原点となる、集団=企業である。
普通の人にとって、もっとも身近な現実の場は職場である。そこには常に大きな圧力が加わっており、従って、誰もがエネルギーの大半をそこで費やしている。従って、現実を改革したいのなら、まず己の現実の職場を改革すべく尽力すべきだろう。
 
(中略)
 
 統合階級が牛耳る上辺の「社会」がどれほど迷走しようとも、現実の地に共同体を建設することは可能であり、むしろ社会が崩壊に向かっているとすれば、なおさら共同体の建設こそが崩壊を突き抜けて新しい社会を実現してゆく唯一の突破口になるはずである。
 
 すでに、私権原理から共認原理への転換に伴って、共同体を志向する企業が、次々と生まれてきている。それに、貧困が消滅して私権圧力が衰弱し始めた40年前に、すでに、共同体・類グループが登場しており、企業を共同体化する上で必要な様々な成功事例や方法論やそれを支える新しい認識群が蓄積されている。
それを応用すれば、割と簡単に企業を共同体化することができるはずである。
 
すでに、社会の統合原理は、私権原理から共認原理に転換した。それに伴って、企業も共同体に転換してゆく時代に入ったのである。

 

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