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2013年10月31日

「大転換期を生き抜く」シリーズ第二章 『技術革新・新エネルギー需要』 2-3.資源戦争 その3『食糧』-後編-

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画像はこちらからお借りしました。
 
『食糧』問題、前回は日本の現状を見てみましたが、今回は世界の現状、そして自分たちの食を取り戻すにはどうしたらいいのか?を考えていきたいと思います 😮

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■世界の食の現状はどうなっているのでしょうか?
 
◆食糧は足りないの?
 
「足りています」 😮 実は現在、世界には総人口が2倍になっても維持できるほどの穀物生産力があります。ところが、世界には飢餓が存在します。何故でしょうか?あるところにはあるし、ないところにはないと考えるしかありません
 
◆食糧の偏在
 

1人当たりの食糧供給量を比較すると、日本では必要なカロリーより 26%も多く、エチオピアでは18%不足しています。 食べるものがいつでも十分手にはいるのは、世界のおよそ2割の人だけなのです。
穀物は人間が食べるだけではなく、先進国では穀物の 6割(約4億トン)が、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜のえさになっています。牛肉1キロ作るために穀物8キロ、豚肉1キロ作るために穀物4キロ、鶏肉1キロ作るために穀物2キロを消費しています。
結果として、世界の 2割足らずの先進国にすむ私たちが世界の穀物の半分以上消費しているのです。
参考:世界には富と人口、食料と飢餓が偏在している

 
◆世界一の食べ物を捨てる国・・・日本
 

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日本は年間 5800万トンの食糧を輸入しながら、その3分の1(1940万トン)を捨てています。

食糧の廃棄率では世界一の消費大国アメリカを上回り、廃棄量は世界の食料援助総量740万トンをはるかに上回り、3000万人分(途上国の5000万人分)の年間食料に匹敵しています。
参考:世界には富と人口、食料と飢餓が偏在している
画像はこちらからお借りしました。

 
◆発展途上国が食糧輸入国
 
発展途上国は、農業従事者比率が高いです。ところが、食糧輸入国であることがほとんどです。なぜでしょうか?その答えは、古く植民地支配まで遡ります。
たとえば、アフリカ。植民地支配以前のアフリカでは、伝統的な農業によって食糧の自給自足が実現されていました。ところが、ヨーロッパから侵略され、強制的に商品作物を栽培させられたのです(プランテーション )。その代表が綿花。どれだけ作っても食べられません。この流れは、第二次大戦以降も変わりませんでした。結果として、大規模に農業が行われているものの、慢性的に食糧不足に悩まされることになります。ここに余剰作物をもてあましていた先進国が売り込みます。さらに・・・
 
◆「緑の革命」の真実
 
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高収量品種は、F1種と呼ばれる1世代限りの種です。緑の革命を持続していくには、新しい種を買い続けなければなりません。また、それとセットとなる化学肥料や農薬、生産機械も先進国から買うことになります。結果として、多額が必要になり、世界銀行の融資のお世話になります。行く末は、財政破綻。IMFの介入を受けて、先進国の属国に転落していく、という不可逆のシナリオです。
参考:途上国を市場に巻き込んだ「緑の革命」
画像はこちらからお借りしました。
 
◆「金貸し」の存在
 
高収量品種の研究を後押ししていたのは、実は、ロックフェラー財団でした。穀物メジャーと呼ばれる超大企業のカーギル、高収量品種を製造販売するモンサントもロックフェラー財団の配下にあります。そして、世界の穀物流通市場は、ロックフェラー配下のカーギルとADMで、なんと75%を独占しています。
金貸しは、穀物メジャー・種子メーカー・肥料メーカー・農薬メーカーを配下に納め、食糧の生産~流通~価格決定のほぼ全行程を独占しています。まさに、世界規模での食糧支配をほぼ実現しています。
参考:『グランドセオリー「農から始まる日本の再生」』
参考:食糧危機の嘘と真実②
 
■自分たちの食を取り戻すには、どうしたらいいでしょうか?
 
◆市場原理からの脱却
 
生きるための必需品である食糧の確保を「もうかるか否か」の市場原理のモノサシで測るのは、明らかに違和感があります。
 

日本の自給率低下の大きな要因となった海外の言い分はこうだ。
「工業製品はいくらでも輸出するのに、自分に不利な農産物だけは保護するというのでは、あまりにも虫が良すぎるではないか」
「これまで国内農業を保護するため高関税で輸入しないといいながら、困った時には輸入させろというのは虫がよすぎる」リンク
もちろん、米国や食糧メジャーが儲かるよう用意周到に仕組まれた上での巧妙なレトリックだが、この論理にじりじり押し切られることで日本の農と食は骨抜きにされてきた。これに対するスタンスを固めることが最重要課題だが、全てを市場化する自由経済原理の土俵に乗っている限り、答えは無い。こと食に関しては「安くて質の良いもの」(輸入小麦がそうだ)という、一般的な消費者感覚すら転換が求められているように思う。
これからの食の確保に求められる課題より

参考:たねを守るひとたちのつながり“たねの交換会” 
 
◆補助金に代わり、食糧生産の活力源となる“支援金”制度等、政策上からもいろいろな方法が考えられます。
 
その一つの案を紹介します。  

交付方法を助成金から融資に切り替え、明確な黒字経営計画を提出した農家にのみ融資する方法。融資の審査は地方銀行や信用金庫、ノンバンクなどの地方に密着した金融機関に行わせれば、これまで農業生産に疎かった機関も、地域バンカーとして中長期的に農産業を育成・伸張させていく役割も担ってもらえそう、というもの。
例えば融資の返済期限を5年に設定し、5年目に黒字化に成功すれば全額返済免除。期間中の利益も全て免税。一方で、赤字農家はもちろん全額返済が必要。こうすることで、経営努力をして黒字を達成するという、当たり前の業界風土を農業界に根付かせることが出来る、というのが狙い。
「返済しないといけないなら要らない」という、擬似農家の辞退者が出てくるのも狙い、といいます。そうすることで、本当に必要としている農業者に厚く『支援金』が行き渡るという意図だと思われます。無条件でバラ撒く補助金では社会の活力源にはなりませんが、これなら、有権者の合意も得られることでしょう。
ちょっと、いい提言「黒字化優遇制度」より

 
◆自然の摂理や生命原理に則った“食”~身土不二~ 
 

1、身土不二・身土不二は仏教から由来している言葉で、身体(肉体と精神)と環境とが一体であり、森羅万象に当てはまる概念である。
 
(2)「食」は、その土地に育った植物を食べて、その食べ物に順応して動物は淘汰されてきた。熱い所で採れた野菜は身体を冷やす作用があり、寒い所で採れて野菜は身体を暖める作用があるため、気温に順応できるようになってくる。また、環境や風土により焼く、炒める、炊くなどの調理法にも影響を及ぼし、それが受け継がれて伝統食が培われてきたと推測できる。
 
類似語で地産地消があるが、その土地で採れた物はその土地で消費されるべきものであるという概念である。物流もその地域に限られるというものである。また、その土地で循環させ、ゴミは他の地区に持ち出さない。その地域でリサイクルするのが理想とする概念だと考えられる。身土不二は生命現象を含む、すべてを包括する概念であって、地産地消はその一部の概念である。
「医食農同源」より

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画像はこちらからお借りしました。
 
◆食糧生産は、本来誰もが担うべき課題ではないでしょうか!?
 

農業は、市場原理(取引原理)の中では、常に搾取され続けてきました。利潤追求を第一義とした結果、食物そのものの安全性が疑問視されるまでになりました。農業と市場原理は水と油のようなもので、馴染まないのではないでしょうか。
 
市場社会以前は、村という生活の全てを包摂した共認空間の中で、国民の大多数が農業に従事していました。食物生産という誰もが必要とする普遍課題である以上、農業は共認原理(統合原理)の中で営まれるべきものであり、社会統合課題と同じ地平にあるのだと思います。
就農人口も専業農家も減り続け、専業として農業をやる人が極少数となってしまったという現象は、逆に、農業は万人が担うものになるという将来像を暗示しているのではないでしょうか。兼業農家が増えているということは、農業は半専任(副業)でもできるという可能性を示唆しているのではないでしょうか。
社会を構成する万人が農業を担うこと。半専任(副業)でないとしても、成人する前や年老いてから全員が農業を営むという形で、万人が農業を担うことは可能だろうと思います。市場の枠内にある農業の現状からは、距離があるかもしれませんが、農業の問題も、このような実現イメージを頭に置きながら議論することも必要かと思います。
農業も万人が担うべきものではないかより

参考:『市民皆農の時代へ』という考え方 
 
■まとめ
 
最初にも記しましたが、生存上一番重要な食糧は他国・他集団に依存するのではなく、自集団内での自給自足が自然の理だと思います。
食の生産を取り戻すためには・・・
 ○市場原理からの脱却
 ○補助金に代わる、“支援金”制度等の政策
 ○自然の摂理や生命原理に則った「身土不二」
 ○誰もが食糧生産を担う

 
というのが必要になってきます。
人々の意識も、農業に関心を示す人たち、貸し農園の登場、既に自分たちで農作物を作り出している人たち・・・と、自分たちの食べるものは自分たちで作っていくという自給期待の潮流が顕在化しています。
近い未来に向けて、自分たちの食を取り戻していきましょう

 

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