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2014年04月25日

「大転換期を生き抜く」シリーズ3-3音♪リズム♪人類の追求~共感・共鳴・共認機能の解明~

部族の踊り

第一弾~リズムと生命活動の関連性~
第二弾~リズムと人類進化・脳進化~
に続き今回は、

第三弾 共感・共鳴・共認機能の解明 です☆

誰かと共感や共鳴をしてとても嬉しくなったり、深い充足感を得たという経験、みなさんありますよね。

例えば、
合唱をしてみんなと一体感が得られた時
 デュエットで相手と息がぴったり合った時
 運動会の行進でみんなと足並みがそろった時
お祭りで踊ってみんなとステップが合った時
etc…

こういう時は、なんともいえない気持ち良さがあり、一種の恍惚感も得られたりしますよね。
この、「同じ動作をする」「リズムを合わせる」ということで、
相手やみんなと一体化する、  充足したり活力が得られる
という事例を他にも見ていきたいと
思います☆

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●共鳴動作は、その動作交換のなかに思わず引き込まれざるをえない魅力があります。

赤ちゃんの共鳴動作

4ヶ月になる赤ん坊と遊んでいるときに、彼女と相当仲良くなってから、彼女の前で私の手のひらをゆっくり開いたり閉じたりした。すると彼女はじっと私の手に見入り、その動きに合わせて―自分の手を見ることなしに―指を開いたり閉めたりしたのであった。何回か続けるうちに、彼女は指ばかりでなく・・・・・。手のひらの動きに合わせるように彼女の口をパクパク動かしはじめ、終わりにはまるで(私の)動きで彼女の呼吸テンポまでコントロールできそうであった。私が手のひらを開閉している間に彼女はほとんどまばたきもせず、私が開閉を止めた時には夢から覚めたように一瞬ポカンとした感じであった。
(共鳴動作を我が国で最初に報告した鈴木葉子氏)

このように、共鳴動作は、自分と他人が未分化なまま混淆し、融け合い、情動的に一体化したような関係でおこっている。

飢えや渇きという生理的な要求を満たす手段として子どもはこの動作をおこなっているのではない。むしろ目の前の刺激の動きに同調し一体化して自分も動くことそのものが快となり、この共鳴動作を活性化しているようである。「通じ合うことへの要求」というと言いすぎだろうか。

母親の語りかけに対する相互同期的行動にしても、共鳴動作にしても、子どもは、相手が人間だから、あるいは自分の母親だからというので反応しているわけではないのだが、その相手をしている母親の方は、子どもの反応を見ていると、「もう自分をわかって応えていてくれるのだ」という喜びの感情が湧いてくるのを禁じえない。そしてまさに「わたしがママよ」とでもいうべきはたらきかけが、さらに子どもの反応性を高めていくのであろう。

このように、共鳴動作はそれが生理的要求の満足ということから離れて、刺激と一体化すること自体に動機付けられ、人がその刺激としての役割をもっとも果しやすい点、しかも相手の人自身もその動作交換のなかに思わず引きこまれざるをえないような魅力をもっている点、そこにコミュニケーションの基盤にふさわしい性質を深く宿している行動といえるだろう。
☆新生児の共鳴動作より

●日本では昔から、田植え時に歌を歌いながら植えていく風習がありました。
大変な作業も、みんなでリズムを合わせたり、歌いながら行うことでと楽しく出来るものですね。


田植えと歌

西日本には鎌倉時代の頃より、田植えの際には音頭取りが打ち合わせるささらの拍子にあわせ、大太鼓や小太鼓、や手打鉦で囃し、早乙女が田植歌を歌いながら植えていくという風習があった。
サンバイ(田の神)を祭って無病息災と豊穣を願う農耕儀礼であるとともに、重労働である田植作業を楽しくこなすための工夫でもある。
やがて田植えの行事は大勢の人々をあつめて一層華やかになり、代掻きの牛は造花で飾った花鞍をのせ、早乙女らは赤い襷や腰巻で着飾り、ハレの日を演出した。その華やかな様子から、花田植の名が付いたと言われている。
壬生の花田植えは、現在西日本に残る花田植えとしては最大の規模を誇り、「川東田楽団」と「壬生田楽団」がその伝統を伝えている。また、その歴史の深さから1976年(昭和51年)には国の重要無形民俗文化財に指定され、2011年(平成23年)11月にはユネスコの無形文化遺産に登録された。
きらびやかな装具をつけた飾り牛、餅の着物に菅笠をかぶった早乙女、見事なバチさばきを見せる囃子手等、そのいずれもが、新緑の山、田んぼの水面にマッチし、初夏の一大絵巻となっている。 リンクより

●ミュージシャンとしての活動や教則本の執筆活動を手がける一方で、ドラムサークルによるメンタルヘルスケアに力を注いでいる橋田ペッカー正人さんの心を解き放つドラムサークルの魅力について紹介します。

【打てば響く、言葉よりも伝わる。】
ペッカーさん
では、最近開催なさっている婚活ドラムサークルなどもその一種なんですか?
ペッカー 婚活ドラムサークルの目的は「打てば響く」人を探すこと。いかに距離があっても音って瞬間的に通じるでしょ?「打てば響く」ことのすごいところ はそこなんだ。いくら高学歴でも高収入でも、結婚したあとに気持ちが合わなければそれで終わり。本当にノンバーバル、非言語なコミュニケーションを使って 打てば響くパートナーを探す場にしてほしいと思う。
言葉でおこなうコミュニケーションよりもドラムサークルでのコミュニケーションの方が深い部分で通じ合えるということでしょうか?
ぺッカー 普段自分たちが行っている全部のコミュニケーションが100パーセントだとすると、言葉によるコミュニケーションはたったの7パーセントにすぎ ないんだね。あと93パーセントは非言語のコミュニケーション。たとえば人の話を聞くとき、よく理解していないのにうなずいてもすぐばれちゃう。逆にしっ かり理解しているときは、笑顔を返すだけで「この人はわかってくれてるな?」って伝わるでしょ。言葉なら分からない様に嘘も言えるけれど、非言語だと直截 的なので真実しか伝わらない。それが本当の深いコミュニケーションなんだと思う。だから僕らは言葉を使わないでコミュニケーションできるドラムサークルを 普及させようとしている。
実際に自殺者が10年連続3万人を超すような今の世の中では、コミュニケーションが切実に必要とされている。コミュニケーション がとれれば、死のうと思う人が少なくなるはず。だから、コミュニケーションする場を作っていきたい。
橋田ペッカー正人氏【リズムを活かして生きる】より

●「人種も言葉も関係ない! みんな同じ人間なんだ!」と気づかせてくれる最高のダンス動画が世界で話題に 

ダンスで繋がる

みなさんはMatthew Hardingという人物をご存知だろうか? 「Matt」という愛称で呼ばれている彼は、2006年に世界各地でダンスする動画をYouTubeに投稿し、大反響を呼んだ。

そして2008年には、世界中の人と一緒に踊る動画を投稿し、さらなる大ヒットを収めた。現在その動画再生回数は4000万回を超えており、今やMattの名は世界の多くの人に知られている。そんな伝説の有名人Matt が4年の時を経て、ついに帰ってきた!

Mattは「Where the Hell is Matt? 2012」という動画に映し出されているように、以前と変わらないそれはもう素敵な笑顔で、世界中の人と楽しそうに踊っている。

しかし動画の内容が、これまでと全く同じというわけではない。きちんとパワーアップしているのだ! 今回Mattは世界各地の踊りを猛練習して、現地の人と一緒に踊っており、世界のダンス文化も動画を通して楽しめるようになっている。

そして動画の最後は、奥さんと子どもとの家族3人でのダンスで締めくくられており、今作品はMattシリーズのなかで史上最高のダンスビデオといっても過言ではない。ダンスの魅力、そして人々の笑顔がいっぱい詰まったこの動画は、現在世界中で話題になっており、多くの人がその楽しくて美しいダンスに心打たれている。

【動画に寄せられていた世界からのコメント】
「Youtubeで最も素晴らしい動画のひとつ」(オーストラリア)
「これ見て、震えた! そして最後に泣いた」(フランス)
「俺はローマでMattと一緒に踊った!」(イタリア)
「いい! とってもいい!」(中国)
「ありがとう、Matt。ありがとう(泣)」(インドネシア)
「人類にはまだ希望はあるね」(アメリカ)
「北朝鮮の人も踊っている! オーマイガー、これは素敵すぎる!」(アメリカ)
「ノーベル平和賞は、人々の距離を最も縮めた人に与えられる。そしてMatthew Hardingがその人物だ!」(フランス)
「私たちはみんな同じ!」(ハンガリー)
「これを見る度に、世界の友情、団結を見ている気がして、泣いてしまう。ありがとう、マット。あなたは私に笑顔を与えてくれた」(ギリシャ)
「胸が痛い……嬉しすぎて」(フィリピン)
「人って、素晴らしいな」(イギリス)

「人に人種も言葉も関係ない、みんな同じ人間なんだ!」と気づかせてくれる今回のダンス動画。もしかしたらこの世で最も美しいものは、人とのつながりなのかもしれない。そう思わせてくれるほどこの動画には、世界を前向きにさせる素敵なパワーが秘められている。
リンクより

このように、人類は言葉以前の段階でも深く繋がることが出来るのですね。
そしてこれは、人類共通の普遍的な構造のようです。
では、そのしくみはいつ頃どのように形成されたのでしょうか?
その根源に迫るために、始原人類の生活を探ってみたいと思います☆

始原人類踊り

足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。そこで、本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。

洞窟の中で餓えに苛まれなが暮らしている。主要な食糧は肉食動物が食べ残した動物の骨であったが、それを拾い集めるのは短時間で済み、何より洞窟の外は危険が一杯なので、長時間も居られなかった。
つまり、大半の時間を洞窟の中で過ごしていたわけで、原始人類はその間、何をしていたのか?

まず考えられることは、エネルギー源としての充足の追求であり、それによって人類は充足機能を発達させてきた。
カタワのサルである人類は地上で適応するために直立歩行の訓練を始め、それが踊りとなり、この右・左と足を踏み鳴らす踊り=祭りが日々の充足源(活力源)となった。リンク

祭りは人類極限時代以来のはるかに根源的なものとして存在していたと考えられます。祭りの原点は集団統合(解脱+闘争)共認の中核であったことは間違いないでしょう。
圧倒的な自然外圧を前にして不全感を解消すべく、足を踏み鳴らし掛け声を発する「踊り」という様式を作り出す(踊り)はバランス感覚を養い二足歩行を可能にし、掛け声は音声機能の発達を促し言葉の発生につながります。
踊りは半睡状態を生み出し、終に自分たちを遥かに超えた畏れ敬う自然の背後に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を見る。このように踊り(=祭り)は、不全を解消する解脱共認であると同時に、生存圧力を克服する可能性共認としての精霊=観念共認を形成するものだったと思われます。

※因みにアボリジニーのビジャンジャジャラ語では、「儀式」という言葉と「歌」、「踊り」という言葉は同一で「インマ」という。儀式めいた集まりだけでなく日常的なミーティングのようなものまで、人々の集まりであればすべてインマと呼び、日常生活と儀式(祭り)の区別がなく連続しています。なお「呪う」も同じ言葉で、夢や話し言葉や歌や念力など、目に見えない力の存在が信じられています(実際彼らは有形な反応を起こす能力を保有している)。日本にもかつて言霊信仰が存在しており、極限時代~採取時代の祭りや精霊信仰の有り様を示唆しています。リンク

何の武器も持たず、動物よりも弱い存在であった始原人類にとって、仲間との共認充足が唯一の活力源。
足を踏み鳴らし、掛け声を発しながらみんなとリズムを合わせることで一体感をや安心感を得、深い充足を味わい、明日も生きていく活力源となていたようです。
遙か昔の始原人類が見いだした充足のしくみが現在の私たちにも連綿と続いているのですね。

でも、現代の私たちはその時代の人類が感じていたような深い共認充足を得ることが出来ているのでしょうか?
そうではないとしたら、豊かな共認充足の回路を再生するにはどうしたら良いのでしょうか?
次回は、そのあたりについて追求していきますので、お楽しみに♪ 

 

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