2015年02月03日
共同体と死生観~生命循環~
今年2015年は、戦後生まれの団塊世代が65歳以上の高齢者となる年。65歳以上人口は3277万人、高齢化率は26.0%。75歳以上人口は1574万人、後期高齢化率は12.5%となる見通しである。高齢化社会は、どの自治体でも待ったなしの現実課題でもある。病院や老人ホームはもとより、斎場や霊園の建設も急ピッチで進められている。
誰もがいつかは向かう先だが、実は共同体と死の関わりはとても深い。その現実が人と人との靭帯を育むか、ただ過ぎ去っていくのかは、残る人々の認識ひとつでも変わっていく。しばらくは共同体と死生観について紹介してみたい。
縄には特別の意味があった。意味がなければ、何千年ものあいだ飽きもせず、縄目が土器の表面を飾るわけがない。どんな意味があったか。
しめ縄は、2匹の蛇の交尾を表す豊穣のシムボルである、というのは、国際日本文化研究センターの安田喜憲さんの説である。これは卓抜な意見だ。聖と清浄の標識であるしめ縄に、蛇の交尾を見る視点は、尋常じゃない。この視点に立てば、この国の「聖性」の隠れた一面、最も底の部分に光が当てられる。
安田さんによれば、蛇は互いにからまって交尾する。その時間がおそろしく長い。長ければ、半日以上もからまったままだそうである。その長さが、精力の強さ、繁殖力の強さを連想させ、縄文人の蛇信仰を生んだ。そして、安田さんは7000年前の長江稲作文明の蛇信仰と、縄文のそれとを対置するのだが、蛇信仰を持ち出すまでもなく、縄が性的結合のシムボルであったことは、容易に想像できる。
イグサのような強い草の茎、カバやサクラの樹皮などで、縄文の縄は編まれたという。当初は、素材2本だけの縒(よ)り合わせだったろう。太い素材を使って、太い縄を編むときは、夫婦、あるいはムラじゅうの共同作業になる。力を合わせ、2本の茎材をからませて縒り、縒り合わせが性的結合を連想させ、それを暗示する労働歌なども歌われたかもしれない。あるいは男女のかけ合いで。
こうして、縄は性的結合のシムボルとなり、性的結合は、単に快楽のためだけのものではない。祖霊――「祖」という観念が、どの程度発達していたか――死んだ父母、あるいは死児の霊を、竪穴住居の中に祭った小型の石棒に降ろし、更に妻(たち)の胎へ呼び戻す、聖なる再生の儀式でもあったはずだ。
是が非でも、縄文の夫婦は、たくさんの子をつくらねばならなかった。コール&デムニイのモデル生命表というものに、縄文人の死亡率を組み込んで試みた、国学院大学・小林達雄教授の計算によると、縄文の人口を維持するためには、一人の女性が、最低8人の子を産まなければならなかった。
共同体の人口増加を願うなら、当然もっとである。15歳から産み始めたとして、30歳をわずかに越える平均寿命の終わりまでに、9人、10人と産み続けねばならない。そして生まれた子の半数以上は成人せずに死ぬ。縄文の女の胎に、休む暇はなく、竪穴住居の中では、目まぐるしく生と死が入れ替わった。
とめどない生死の交替の中で、死は終わりではない、生死は縄目のように終わりなく循環する、という観念が生まれ、循環をつかさどるのは、祭りを要求する見えない霊の力だが、契機は男女の性的結合そのものにある、と考えられるようになる。今も、性行為を「お祭り」と呼ぶ言い方がある。これなどまさに、何千年を生き続けた、縄文的表現とは言えないだろうか。
縄は性的結合と、同時に、生命循環のシムボルとして聖性を帯び、縄文信仰の原点を表象し、数千年間、土器表面に聖コードを刻み、やがて安田喜憲さんの言う、蛇信仰とも合体してトーンを高め、祭りの場、神域の標示として使われ、更に変遷して、土俵入りの横綱の腰を飾るようにさえなった。
現代人は生と死をあまりに分けて考えてはいないだろうか。個人を主体と認識するから、そのような捉え方となる。
縄文時代の約13000年。人々は生(性)の喜びと祖霊への感謝の念を活力に生きてきた。生死は終わりなく循環する、その象徴が「縄」という観念であった。共同体は、今を生きる人々の集団だけではなく、「時間」もつないでいた。脈々と紡がれる生命の循環。その先に、今の我々も存在しているのだ。
- posted by 岩井G at : 20:00 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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