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2015年06月25日

地方紙の研究 ~ プロローグ

前回、堀江貴文氏が地方紙に注目する記事を紹介しました。その約20年前に、実は社会的にも地方紙が注目されたことがあります。月刊「潮」が1998年から3年程連載していた「地方紙の研究」(潮出版社)がそれで、鎌田慧氏の著書です。その内容を引用紹介し、当時の可能性を再確認しながら、これからのマスコミの在り方を考えてみたい。今回はその本の「あとがき」を紹介し、鎌田氏の問題意識を確認してみましょう。

 「地方紙の研究」のタイトルで『潮』に連載を始めたのは、1998年1月号からだった。「地方分権」の論議が強まっていた頃で、一方で産業廃棄物に対する市民運動も盛んになっていた。私は、それらの動きに70年代初め、公害反対の住民運動に続く、地方の新たな胎動を感じさせられていた。だから地方紙がどのように変わろうとしているか、その現状を訪ねる、という編集部の提案に大賛成だった。
「地方主権」とまではまだいかないにせよ、中央集権の枠組みから脱して、地域の独自性を主張しだした地域住民の意識の変化を、私はそれまでに各地を歩いて教えられていた。地域がこれからどう変わろうとしているか、それには地域のマスコミである「地方紙」が大きく係っている。地方自治は、言うまでもなく、民主主義の基盤である。国の交付金による支配と従属の関係は、大きく変わりつつある。地方紙に表れた記事の検証によって、地域の変貌を確認できる。それがテーマであり、方法論だった。

小野秀雄は、『日本新聞発達史』(1922年刊)において、第一次大戦後の地方紙の発展は、東京、大阪などの大都市の新聞勢力範囲外にあったからだ、とする俗論を退け、そこが地方文化の大中心地だったからだ、として次のように続けている。

「都会付近の地方新聞が都会紙の侵入を防ぎ得ざるは、ただに資本の問題ではなく大都会の文化が周囲の地方文化を同化する近代の無為的文化作用の結果である。これに反して大都会より隔絶せる地方又は社会状態を異にせる地方には、必ず一つの文化中心があって、其処に生まれた新聞はその地方相当の発達を遂げる

地域に独自の文化がある限り、独自な地域新聞を必要とする、と言い換えて間違いないようだ。ここに地方紙の存在理由が明確に示されている。けだし、名言である。 (「地方紙の研究」より)

ここを間違えてはならない。文化が新聞を必要とするのである。決して新聞が文化を作るなどと思い上がってはならない。

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 中央集権的な発想からすれば、地方の新聞など、田舎臭いものにしか見えないかもしれない。確かに部数的にいっても、方や全国紙は一千部とか八百万部の大部数を誇っている。それに対して地方紙はいくつか例外はあるにせよ、二十万~三十万部である。  しかし全国紙の地方紙支局の記者たちが嘆いているように、その地方で圧倒的に読まれているのは、地方紙である。まさしく地方の文化に深く係っているからだ。
私が会った地方新聞記者たちが、口を揃えるようにして言ったのは「自分たちはここから逃げられない」だった。云わば運命共同体ということである。
地元に責任を持つ」とも言った。それは全国紙の記者たちは後ろ足で砂をかけるようにして去っていく、との批判と対になっている。批判しっぱなしで、責任を取らないとの反感がある。彼らは三、四年の赴任期間だから行政を憂いなく批判できる、が、我々は一生ここに住み続ける、だから全国紙のように徹底的にやっつけるわけにはいかない、との言い方である。
(中略)

地方紙の最大の弱点は、開発やスポーツ大会などの大イベントを批判できない、という問題である。これは巨大事業が地元に利益をもたらすという、高度成長時代に作られた迷信だが、全国紙が「国益」を批判できないのに似ている。

(中略)

これについては、「よみがえれ地方自治」の連載をやりぬいた『北日本新聞』の次のような指摘は清々しい。(中略)

「新聞はともすれば、現象的なニュースを追うことに一生懸命なあまり、目立たない所で進行している本質の変化に注意を払わなかった。ことに全国紙では、自治体政治のニュースはスキャンダルとして扱われることが多いが、住民の生活と直結した視点から取り上げる機会はまれである。」

もしも全国紙の記者が「地方紙は地方権力に弱い」と批判するならば、地方を支配している中央権力を、中央で撃つのが全国紙の役割のはずだ。ジャーナリズムの世界での分断は、都市、地方を問わず、住民にとっての不幸である。
私が会った記者たちは、自分が生まれ育った故郷を大事なものとしていた。それは決して排外的な愛郷心というようなものではない。自分の家族や隣人の現在と未来を大事に考えている、ということである。(「地方紙の研究」より)

20年経過しても、ここで書かれている新聞社の本質はまるで変わっていない。自己修正力がなく他紙に右へ倣えで、旧態依然とした体質は今日まで続いている。

 二十万~三十万という部数は決して少ないものではない。最近は、インターネットでアクセスしてくる、遠隔地の読者もいる。さらに地方紙といえども、テーマによっては県外へ取材に出たり、海外にまで足を伸ばすようになった。ローカルとグローバルを統合した、情報の「グローカリゼーション」の時代に入ったのだ。
自分のテーマを持って地道に歩けば「中央」にいる記者よりも、遥かに地に足のついた、やりがいのある取材活動ができる時代になった。小野秀雄が八十年前に力説していたように、生活や経済を含めた「地方の文化」を作り出す地方紙の役割が、さらに増大したと言える。

(中略)

各地の風土の中にある編集局を訪ね歩きながら、私は各紙がどのような記事に力を入れているのか、それがどのような記者によって担われているのかを確かめていた。

それと同時に、どのようにして地域の新聞が創刊されたのか、そして戦争に向かう1940年代にどのような形で軍部によって統合させられたか、それを検証するのも、この仕事のもう一つのテーマだった。日本における「言論の自由」とは政府の強権と弾圧の歴史に無関心では語ることが出来ないからである。

庶民の生活の場から未来を見通すような思想は、決して東京の永田町や霞ヶ関の記者クラブで獲得することは出来ない。それは山や川や林や森や海や田園、あるいは工場などにいる人々との対話を通じて初めて可能になる。地域を回るフットワークと柔らかな視線の先にこそ、何かが見えるようになる。地方にはまだまだ発掘されていない、重要な宝物が埋まっている。(「地方紙の研究」より)

「日本人は日本を知らない」と時々言われる。もしかしたら、地域すら知らないかもしれない。地域の宝物を探し伝えることは、刺激的なスキャンダルより、求められている活動だろう。

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