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2016年08月12日

アイヌの川は女性

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女性への感謝。大地・生命の讃歌。アイヌも同様に考えており、特にサケやマスなど貴重な食料を得ていた「川」は女性に見立てられて、川の各所は人体部位名で表されていた。

風の言葉を伝えて ネイティブ・アメリカンの女たち

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水源を「ペッ・キタィ」(pet-kitay 川の頭)とよび、川の中流を「ペッ・ラントム(pet-rantom 川の胸)、川の曲り角を「しットク」(sittok 肘)、幾重にも屈曲して流れている場所を「かンカン」(kankan 腸)あるいは「よシペ」(yospe 腸)、川口を「ォ」(o 陰部)とよぶ。

川は人間の肉体と同様夏やせもする。「さッテク・ナィ」(sattek-nay)とか「さッテクペッ」(sattek-pet)とよび「やせ細った川」を指す。川の水が夏になって枯れて細々と流れている状態を川の夏やせと考えたのである。川はまた眠りもする。樺太では川底を「なィ・イニタラ」(nay-initara 川・枕)という。川はまた死にもする。それで古川を「らィ・ペッ」(ray-pet 死んだ・川)という。

また生殖行為も営むので、二つの川が合流しているのを見て「ウとマム・ペッ」(u-tumam-pet お互いを・抱いている・川、抱き合っている川)とか、「オうコッナィ」(o-u-kot-nay 陰部を・おたがい・につけている・川、交尾している川)とかいって、各地にその地名がある。

生殖の結果、川は子を生み、親子連れで山野を歩くと考えられており、二つの川がある場合、大きい方を「ポろペッ」(大きい川、実は親川と訳すのが正しい)とか、「おンペッ」(老いたる川すなわち親川)とよび、小さい方を「ぽンペッ」(小さい川、子川)とよぶ。本流を「し・ペッ」(si-pet 親・川)、支流を「も・ペッ」(mo-pet 子・川)とよぶのも、そういう考え方のあらわれである。

川を生き物と考えていた他に、もう一つ注意すべきことは、川は海から陸に上がって、村のそばを通って、山の奥へ入り込んで行く生物だということ。現在の我々とは全く反対なのである。

例えば、「オまンペッ」(oman-pet 山奥に行っている川)、「しノマンペッ」(sino-oman-pet ずうっと山奥に行っている川)など。我々が川の出発点と考えている「水源」や「みなもと」は、帰着点と考えて「ペてトク」(pet-etok 川の行く先)とか、「ペッキタィ」(pet-kitay 川の頭のてっぺん)と名づけている。また我々が川の合流するところを落合と名づけているのに対し、「ペてウコピ」(pet-e-uko-opi-i 川が・そこで・互いに・別れて行く・所)という。

アイヌはもともと海岸線に沿って川のそばに点々として部落を作っていた。そして内陸の交通は主として川によっていたのである。部落の近くを流れている川をさかのぼってサケやマスの類をとったり、クマやシカをとったりして暮らしていたところから、川は海からさかのぼって山へ行くものという考え方が生まれてきたのであろう。人間の口が、体内へ食物が入って行く入口であるように、川の口もまたサケやマスなどが海から川の体内(あるいは陸の体内)へ入り込んで行く入口だったのである。

川口のことを別に「オ」(o)ともいって、女性の陰部を指している。女性の性器は、アイヌの物語の中でよく「ら・タ・アン・パロ」(ra-ta-an-paro 下方・に・ある・その口)といわれるように、やはり物の入り込む入口の意味である。また「オむナィ」(O-mu-nay 陰部・ふさがる・川)は、海が荒れると砂が溜まって川口のふさがる川をいい、物が中に入って行かれぬという考え方をあらわしている。(参考:智里真志保著『アイヌ語入門』)

このような集団共認は、とりわけ女性自身の川(川に限らず森羅万象)への同化能力を高めただろうし、その高さゆえに集団全体が女性への期待を込めてそう命名したとも考えられる。「女性は大地」という共認は、(とりわけ生存圧力を主な外圧とした時代)生命を生み育てる性と同一視され、根源的な共認だったのだろう。

現代、女性は「役割」の再生から、同化対象を探し始めている。るいネットでは、人類史(さらにはサル・生物史)をさかのぼって、「充足存在」という、より本質的な概念が提起されている。重要なことは、このような概念=事実認識を共認形成すること。そして同化対象を獲得し「役割」へと固定すること。ここから性の再生も子育て集団も再生されていくように思う。

 

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