2019年06月06日
『事実の追求』それは人類が本来持っている力
プラスチック問題をはじめ、所謂環境問題に踊らされている人も多い。
気づいている人も多いだろうが、環境問題は欧米社会が優位性を保つための策謀である。リンク
=以下引用=
>その中でも「温暖化」と「持続性」の二つはかなり大規模で、論理やデータで多くの策略が見られます。まず、「持続性」ですが、石油が枯渇する、気温が上がるということをテコに私たちの文明社会は持続性を持たないという論理ですが、これには2つの間違いがあります。
1.石油や鉄鉱石などの主要資源はまだまだ膨大で枯渇の心配はありません。石油4,000年、鉄鉱石7,000年ぐらいの推定がおそらくは正しいと思います。
2.人類は野生動物の狩猟、田畑の農耕などと進歩し、さらに工業化とともに生産量を飛躍的に拡大してきました。歴史の転換点では「もうすぐ世界は終わりが来る」と言われることが多く、そのたびに、単なる脅しか、困難を克服する技術や社会制度が誕生して社会は持続性を持って続いてきました。むしろ、「今と同じ生活が続く」ということの方が、人類は体験していないのです。
日本人は慎重な性質で脅しに弱く、かつ白人崇拝なので、持続性などのように「ヨーロッパ発の暗い話」には無条件で乗る傾向があります。でも、それは情けない話で欧米とは違う感性をもつアジアの国として、自分たちで考えた思想で行きたいものです。
日本は温帯の島国ですから、気温は周囲の海水温度に左右されやすく、しかも「水」というのは「空気」の3,000倍ほどの熱を持つ力があるので、気温が変わっても容易には海水温は変わりません。中学校で「大陸性気候、海洋性気候」などを習いますが、大陸がマイナス30℃になっても、日本は零下にもならないのが普通で、気温の変化は極めて小さいのです。
地球は今、氷河時代ですから極端に暑くなることはありませんが、もし温暖化しても最初に被害が出るのはアメリカとか中国のような大陸国です。それなのに、アメリカや中国は温暖化対策をせず、日本人がやっているという奇妙な状態です。
さらに「持続性」という点では、温帯の島国ですからいかようにも生きていくことができるのが日本の特徴です。特に、日本は水や塩という生存に必要な資源を豊富に持っていますから、何の心配もありません。何も考えずに「持続性」だけを言うのではなく、具体的に何が不足したり、破壊されたりするのか、それは日本に及ぶのかぐらいは考えてほしいものです。
=引用終わり=
温暖化説にしろ、プラスチック問題にしろ、みんな心のどこかで釈然としない想いがありながらも、
「テレビでああ言っているんだから、正しいのだろう」と事実を追求をすることをあきらめて、無理やり自分を納得させていないだろうか。
「追求をしない」。これは人類が長年続けてきた、自然界での生き残り競争に必須のことを放棄するということ。
つまり、自らの力で生きていくのを放棄することと同義ではないかと思う。
なぜこれほどまでに、「追求をしない」人間が増えてしまったのか。
それは、明治以降続く学校教育の害といって間違いないだろう。 リンク
=引用=
『学校は探究する自由を禁じ、失敗から学ぶことを禁じ、規則と勉強を強制して人間としての成長を阻害しているといえるでしょう。』
=引用終わり=
つまり、学校教育により人類が本来持っていた『探求する・追求する』という能力を失ってしまうのだ。
ではどうするか
⇒子どもであれば、一刻も早く学校を飛び込み出して、とことん現実課題の探求・追求をすること。
追求を重ねることで、なんで?という欠乏、そしてどうする?という可能性探索が習慣づいてくる。
そうしているうちに、世の中に流れる情報に対しても「これは何で?」という疑問・不整合感→「真実は?」という追求が自然とできるようになり、
事実か否かの照準が定まるようになるだろう。
⇒大人はどうするか?
まずは体に染みついた近代観念を取り払うところから始めること。
そのために、潜在思念を開放すること。(高速音読は大人にもお勧め)
潜在思念で感じた不整合を流さずに、なんで?どうする?の追求に向かうこと。
事実の体系を構築するため、構造化能力を身につけること。(図解化演習がベスト!)
そして、最も大切なのが一緒に追求する仲間を見つけること。
これからは、どれだけ追求仲間をつくれるかが、生死を分けるほど重要になってくるでしょう。
- posted by 岩井G at : 21:14 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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