2019年10月17日
闘争性・追求力を養うにはどうする?
「最近は元気のある男・闘えそうな男がいない」
企業の人事担当と話しをしていてよく聞く言葉です。
「いったいどこにいるんだ?」ともよく聞きますが、よくよく考えてみると、
現代の教育・子育ての現状では「闘える男」なんて育たないのではないかと思います。
逆に考えるとわかりやすいかもしれません。
「闘える男」とはどんな人だと思いますか?
社会に出るとよくわかりますが、闘える男のイメージは、
・第一に仲間のために闘っていること。
・答えがない課題に対して答えを出す追求力があること。
が挙げられるのではないでしょうか。
つまり、『集団=仲間のためにとことん追求していける。』それが闘う男の条件ではないでしょうか。
それが学校教育で身に着くか?答えはNOです。
そもそも学校空間の集団は、共通して取り組む現実課題のない偽の集団。※だからイジメも起こる。
そんな空間で、集団発の闘争性が生じないのは明らかでしょう。
○闘争性・追求力を育むのは?
一方で、そんな学生時代でも闘争性が身につく場はありそうです。
一つは、学生団体等の現実課題に仲間と取り組む集団。
学生主体とはいえ、仲間と『現実課題』に取り組むことが、(特にリーダーにとって)集団=仲間のための追求の必要が生じ、集団発の闘争=追求に向かうことができます。
もう一つが、仕事。類塾の展開する『類学舎』がその成功事例。
現実課題である仕事を通して、子どもたちの活力・追求力が上がっています。リンク
>今、類グループで行われている全日制の類学舎というものがある。
そこは、封鎖された自分の気持ち、学校で低下した追求力、活力を取り戻す場である。
実際に、活力等を取り戻せるのかが問題であるが、いまこれを書いているのは実際に類学舎を体験した本人が書いている。
まず類学舎には学校には無い仕事というものがある。では、実際仕事をして生徒はどう思うのか?
学校より類学舎を優先するようになった。(中3 女子)
おもしろい 人とのしゃべりかたがよくなった
最初は1人だったけどみんなと(他の子)仲良くなった。(小3 男子)
仕事をしたら考え方が変わった 元気が出た 楽しい。(小5 男子)
という意見がたくさんでている。
類学舎に入る前の生徒と今の類学舎の生徒は大人たちが
分かるほどに差があると言っている。
僕は8月類学舎に入ったが、9月に学校に行くと自分でも自覚するほどに僕の活力が下がっている。
これで学校で通っている人の活力と、類学者に通っている生徒との活力の差は明らかであると分かる。
=引用終わり=
○闘争性を塞いでいるのは親にも原因がある
リンク
>■本当に弱い子はいない
先ほどの親の回答は“親の基準”であり、本当に子どもが弱いわけではありません。
子どもは、もしかしたら「いやだ」と言ったら相手が傷つくと考えているのかもしれませんし、実は少しずつ勇気を出してきている可能性だってあります。
親がそうあってほしいと思ってるからそう見えるだけですし、上記の話だと子ども自身が言ったらよくないと思っているからであって、もともと弱い子というのはいないのではないでしょうか?
しかし、親の接し方によっては、“弱い子のまま”になってしまいます。
>親の基準で弱い子というのは、積極的になれない子が挙げられます。
これは自分に自信が持てなかったり、“自己肯定感”が低い子だったりします。
親が子どものやることに対して、「ダメ!」とか「全然できないじゃん」と子どもを否定していたり、子どもが甘えてくる隙がない態度をとっていると、そのような子になってしまいます。
そうなると、何をするにしても「自分はどうせダメなんだ……」と思ってしまってチャレンジができなくなります。もう1つは、逆に甘やかしすぎて“過保護”に育ててしまう場合です。
何でも親が決めてしまう。失敗やケガをする前に親が手を出す。
そうなると、子どもは何でも親がやってくれるので、自分で判断をせずに親に任せてばかりいますし、失敗したときに立ち直れなくなってしまいます。
=引用終わり=
○社会人はどうする?
では、社会人はどうしたらよいのでしょう?
答えは明解で、所属する集団(会社・チーム)のためにとことん追求し続けること。
※その時に、「自分のため」やサラリーマン特有の「与えられる側」の意識は不要。集団を自ら作っていく気概が必要。
★自分から仲間へ、 与えられる側から自らつくる側への転換。その方が仕事は楽しい。
- posted by 岩井G at : 21:32 | コメント (0件) | トラックバック (0)
コメントする