2020年07月17日
【実現塾】サル時代の同類闘争と共認機能1 ~ 原猿の(+)(-)価値混濁 → 親和本能の混濁 ⇒ 一体充足
サル・人類だけがもつ「共認機能」の形成過程を見ていくと、共認機能の原点は、親和本能も含めた「一体充足」を得ることだとわかります。
人格形成、活力そして能力獲得において、親和本能も含めた「一体充足」が決定的に重要です。
現在の子どもたちが、学校の強制圧力で、本来、(+)対象の仲間との関係が混濁し、(+)の遊び本能・追求本能を封鎖され「一体充足」のない状況は、原猿が直面した極限状況よりも酷いかもしれません。
「実現論 第一部 前史、ニ.サル時代の同類闘争と共認機能1」
かくして、樹上逃避機能を獲得したが故に死なずに、かといって縄張りもなく中途半端に生き残ることになった原猿たちは、本能が機能不全に陥ってしまう。
しかも彼らは、絶えざる縄張り侵犯による過剰な緊張や怯えや飢えの苦痛など、全ゆる不全感に恒常的に苦しめられることになる。同じ性闘争本能を持つ草食動物や肉食動物がぶつかったのは本能の適応不足=限界であり、それは全ての生き物の本能が孕んでいる限界と同質のものであるが故に、彼らの限界も他の生物と同様に、無自覚のDNA変異によって克服されていった。
しかし、原猿がぶつかったのは単なる本能の限界ではなく、絶えず生存の危機に晒され不全感覚が刺激され続けるという自覚的な不全状態である。同類なのに、常に敵視され、攻撃され、恒常的に怯えと飢えに苛まれ続ける状態は、何よりもまず、親和本能を混濁させる。この親和本能の不全(同類に対して怯え続けている状態)は、親和本能だけではどうにもならない未明課題だったのである。
樹上機能(後ろ足の指で手と同じ様に枝を掴める)を発達させた原猿は、樹上という楽園で繁殖していく。しかし、樹上の繁殖限界に達すると、これまでの生物が経験したことのない全く新しい外圧(→同類圧力)に直面する。
縄張りをもてないのに中途半端に生き残り続ける(原猿)弱オスは、どこかの縄張りを侵犯し続ける状況になり、常に縄張りをもつ(原猿)覇者から敵視・攻撃され、恒常的な緊張や怯えの不全を抱え続けることになる。
本来、親和充足の(+)対象である同類から、常に敵視・攻撃され不全を抱ええ続けることで、(+)と(-)がぶつかり合う価値混濁をおこし親和本能を混濁させる。
そのなかで、同じように縄張りを持てない弱オス同士で、はじめは「警戒心」(-解消)から同類(弱オス同士)を“注視”し続ける。
そのうちに相手が襲ってこないことがわかり安心し、充足を覚えるようになる。
そうして一度充足を感じると、今度は警戒心(-解消)からではなく、もっと「(+)の充足」を求めて同類(弱オス同士)を“注視”するようになる。
そうして遂に、相手も同じだということがわかり充足するようなる。
警戒心発の注視、(-)解消の危機発ではなく、(+)の充足を求めて注視することで、相手も同じだと「同一視」することで充足を得る。
そうすると、より(+)の充足を求め、弱オス同士で親和行為(スキンシップなど)に収束し、ついに「一体充足」を得るようになる。
これにより、不全感に苛まれ本能が混濁した(原猿)弱オスたちは、意識を統合できるようになる。
これが、サル・人類の意識の第一の統合様式たる「共感統合」の原基構造。
サル・人類だけがもつ共認機能の原点は、「一体充足」を得ること。
親和本能も含め「一体充足」を求めてサル・人類は進化してきた。
赤ちゃんは、母親からの(母乳など)スキンシップを通じ親和充足を得て成長する。
そして、母親をはじめ周りの対象と「一体化」しようと、直視し「真似る」ことを通じて能力を獲得し成長する。
(※親和本能回路(オキシトシンetc.)には、一体欠乏 → 一体充足回路が形成されている。)
「真似る」という言葉が発展して「学ぶ」という言葉になったが、その原点は「一体充足」を得る事。一体化するために真似をする。
子供の頃に、どれだけ親和充足、一体充足を積めたかが、一生の活力と能力を規定する。
原猿が獲得した共感回路の構造認識に照らせば、本来(+)の遊び本能と追求本能を封鎖(-視)し、勉強を強制され続け逃げ場のない現代の子どもたちの置かれている状況は、原猿より酷い。
今回はここまで。
次回は、一体充足から共感回路を獲得した原猿が、真猿に向けてどのように進化していったか?
by 麻丘
- posted by komasagg at : 15:16 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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