☆ランキング☆
にほんブログ村 経営ブログへ

最新記事一覧

最新コメント

最新トラックバック

2021年05月21日

3/13【実現塾】やる気を生み出すには?1「活力どん底の日本人の可能性(本能編)」

3000年来の人類の生きる目標は、私権(身分・お金)の獲得。
それは万人に「貧困という絶対的な圧力」が働いていたから。
それが'70年代、日本が世界のトップをきって豊かさを実現すると、私権の圧力が一気に衰弱し、★現在の日本人の活力はどこから見てもドン底
〇大人の労働意欲の世界比較のデータ「前向きに仕事をしている社員6%
〇性の衰弱:セックスレス、若者に“女は厄介”“性を嫌悪”という意識が蔓延
〇本来元気なはずの子供が、ゾンビみたい。

Q.貧困が消滅したのは先進国共通なのに、なぜ日本の活力がどん底になったのだろうか?
★3/13実現塾(リンク)は、このことについて歴史を遡って追求しました。今回はその要約です。

にほんブログ村 経営ブログへ

【Q.1】日本人の活力が、ダントツで世界最下位なのはなんで?
5500年前イラン高原の気象が長期乾燥化する。それにより餓え死の危機に瀕した遊牧部族が、農耕部族に襲いかかり略奪・皆殺しする“人類最初の戦争”が起こる。
・この略奪闘争が、西洋にも東洋にも伝播して「原始共同体が悉く破壊」され、大陸全体が「力の原理=私権原理」によって統合されることになった。
・その結果、乾燥化が厳しかった西洋は、共同体に代わり人工でつくられた集団を統合するために西欧人独特の契約観念を生み出す。一方、まだ乾燥化が緩やかであった東洋は、皆殺しまではいかず、負けた方が強い方に服属することで部族の共同体が残存された。
・そして日本は、大陸から離れた島国なので、略奪闘争の伝播に巻き込まれることなく、共認原理の原始共同体のまま「縄文体質」のまま生きていた。

Q.そもそも縄文体質とは?
<西欧>        <日本(縄文)>
・自然との関係   敵対・征服 ex.)西欧科学    調和・一体化
・人間関係     自己正当化・他者否定     周りと一体化

★要は、「溶け合うのか or 闘い潰すのか」の違い。
ただし、西欧人だって、赤ん坊がみんなそうであるように最初は一体化欠乏の塊。根本には縄文精神がある。

Q.日本の縄文体質がこわされたのはいつ?
2300~2200年前、中国での戦乱で敗れた呉や越の軍団、あるいは始皇帝配下の徐福の率いる大船団が、日本各地に上陸し各地に小さな国を作っていった。
・私権原理を知らず共認原理しか持ち合わせていない縄文人は、力の原理の渡来人に簡単に服属し、あるいは歓迎して受け入れた。そして、彼ら渡来人が支配者となっていった。

・続いて1500~1400年前、高句麗に敗れた新羅や、唐・新羅に敗れた百済の王族・貴族たちが、次々と日本に渡来。天皇を頂点とする国家を形成した。
・しかし、共認原理の縄文人は、力の原理に対応する術を持たない。そもそも「縄文人は“みんな仲間」でみんな歓迎の体質。そのため、戦争は起きず、渡来した彼らはたちまち支配層になっていく。そして、庶民(縄文人)は彼ら支配階級をを「おかみ」と奉って切り離し、自分たちは村落共同体を維持して相変わらず共認原理で生きてきた。
・しかしそれは、村落共同体を超えた社会や国家のことは「自分とは関係ない」と捨象する意識を根付かせることになった。

・そして、黒船の脅威に晒された明治維新になって、盲目的に西欧思想を吸収する。
・そして、第二次大戦の敗戦後にGHQから支配されると、強制圧力をもって個人・自由・民主主義が植え付けられていく。
・ただし、私権意識が入り込むものの、それはごく一部のインテリのみにとどまり、庶民には浸透しなかった。
・そうして日本人の活力は上り調子で、貧困を克服し豊かさを実現する'70年頃に最高潮を迎える。そこから一気にドン底へ向かっていく。

Q.何があった?
・’70年代の前の高度成長期(’55~‘65)において、「農村から都市へ」により、村落共同体・大家族が崩壊していく。
・それに伴い、見合い結婚から“恋愛結婚”が主流となり、「核家族」ができあがる。

◎結局、朝鮮から来た支配階級は3000年前から私権収束しているが、大半の農漁民はほぼ縄文体質のままで、庶民が私権収束を強めていったのは、せいぜい明治以降150年に過ぎない。

◎その150年間でも庶民が本当に私権収束したのは、’70年豊かさを実現する過程で、村落共同体が崩壊する「核家族」になってから。

◎縄文体質と自我・私権はもともと背反するので、私権の衰弱スピードは日本人が段違いに速い。私権が衰弱すれば、私権と一体化されてきた独占欲の性も、どこよりも速く衰弱する。

◎それが、日本人の活力がダントツで世界最下位である理由である。と同時に、日本人の私権収束が段違いに弱いということは、脱私権⇒本源収束の可能性をどこよりも豊かに秘めているということでもある。
 

【Q.2】科挙の時代から、入試は私権を獲得するためにある。’70年以降、私権は衰弱する一方なのに、庶民が受験戦争に没入していったのは、なんで?
・昔も今も、試験に通って支配階級になれるのは、上位10%以下。大学進学者が5割を超えた現在、大卒の大半は出世できないし、選択肢も増えない
・それどころか、昔の東大・京大生はそれなりに優秀だったが、’70年以降、時代が進むにつれて人間力・追求力の欠如した暗記脳の人材ばかりになってゆき、東大・京大生の大半が、出世どころか使い物にならなくなってきている
・昔は、肉体的な私権欠乏が強く、いわば本能的な欠乏が受験勉強とそれなりに繋がっていた。しかし、今や肉体的な私権欠乏はとことん衰弱しており、彼らが受験に向かう主動機は、専ら「親の期待に応えること」しかない。その場合、たとえ大半の親が学歴・成績期待を持っているとしても、それはあくまでも個人的な期待であり社会的な期待ではない

・つまり、20年前に経団連が提起したように、社会では誰も、役に立たない受験勉強など期待していない。社会が期待しているのは人間力と追求力であり、役に立たない五教科の知識などではない。
・従って、親の期待発の受験勉強は、社会が期待しているものではないし、子どもの本能的欠乏とも繋がらないので、子どもの内部では肉体的な拒絶反応が生起し、子どもにとって死ぬほど苦しい作業となる。その死ぬほど苦しい勉強をやり続けるうちに、子どもたちの活力はどんどん失われ、ゾンビのようになってゆく。

◎要するに、社会が期待していない、役に立たない勉強を強制するのは、明らかに、子どもに対する虐待である。

【Q.3】やりたいことがない⇒肉体的な欠乏がない⇒遊び本能や性本能や追求本能が封鎖されている。それらの本能を封鎖しているものは何か?

Q.なぜ大半の親が学歴・成績信仰に染まり、子どもに勉強を強制するのか?
・昔は、村落共同体や大家族の中で子育てが行われてきた。しかし’70年以降、恋愛発の核家族が主流になっていったが、この核家族は、自分第一の恋愛を起点にしているので、地域共同体や大家族との繋がりを断ち切った、自分たちだけの空間となる。
・そこで、子育てを経験したことのない自分第一の親たちは、どうしたらいいか分からないので、手っ取り早く、子育ての成果指標としての学歴・成績に収束していった。その結果が、’70年以降の受験戦争の激化であり、学生の無能化であり、子どものゾンビ化である。

★今、何よりも必要なのは、本能を解放すること⇒まず外遊び!

・それだけではない。乳幼児にとって、母親からの授乳をはじめとするスキンシップ充足や、安心感や期待の相互充足は、食べ物を与えられること以上に重要な生命線であるが、自分第一の母親たちは、充分なスキンシップ充足や安心感や充足期待を与えずに、自分の期待や理屈ばかりを押し付けてきた
・その場合、生命線たる親和充足を得られない乳幼児は、自分の欠乏を全面封鎖して、ひたすら母親の期待に応えようとする。こうして、大半の本能が封鎖され、ひたすら周りの期待に合わせようとする表層的な子どもが量産されてきた。彼らには、肉体的な欠乏がない。そのうえ、自己肯定感も低い。従って、心の底から充足することがない。
 

◎この親和欠損・期待欠損を突破するのは、外遊びしかない!
つまり、外遊びによる遊び本能と追求本能の解放を突破口として、本物の仲間充足や庇護・依存の関係充足を再生してゆくしかない。

 

コメントする

comment form

trackbacks

trackbackURL: