2021年06月08日
文字と書き言葉の弊害+文字がない時代の人類の思考力
突然ですが、話し言葉と書き言葉って聞いたことがあるでしょうか?
話し言葉と書き言葉を比べてみると、書き言葉の情報量は、話し言葉の1000分の1以下とも言われています。
この文章もそうですが、私達が毎日使っている文字や書き言葉。それでは一体、なぜ文字は作られたのでしょうか?
一方で、話し言葉とは何でしょうか?
現代人は、文字を使って話しをしていると考えがちですが、実はそうではないのです。書き言葉と話し言葉の生まれた時期は全然異なり、とりわけ文字の歴史は、人類や話し言葉のの歴史に比べると非常に浅いのです。
確かに、文字を読むより、話を聞いた方が情報量は多いことは、ちょっと考えればわかります。
話し言葉は、単純に相手の言葉をキャッチするのではなく、相手の声色や声の大きさ、抑揚だったり、表情、仕草であったり、書き言葉に比べ圧倒的に情報量が多いです。
昔から、相手に何かを伝えようとした場合、言葉は3割程度。残りの7割はしぐさや表情が規定的と言われています。
一方、書き言葉には文字以外の情報はありません。文字は共有されていなければただの記号のため、意味を知らなれば、何が言いたいかわからない。そういう意味で非常に右脳(潜在意識)との繋がりが弱いと言えます。
⚫文字はいらない?
文字が歴史のどこかで生まれて、現在も使われているということは、何らかのメリットがあります。
文字は約3000年前に、徴税の際、記録するために作られました。つまり、文字や書き言葉は、もともと支配の道具として生み出され、使われてきたのです。
そこから、誰もが使う話し言葉より、支配階級だけが使う文字や書き言葉の方が上等(位が高い)という価値観が形成されていきましたが、それは大いなる錯覚といえます。上等=位が高いのは身分であって、決して文字ではありません。
むしろ、文字は話し言葉に比べて、使い易さという点でも、反復(定着)のし易さという点でも、肉体化(右脳とのつながり)という点でも、ことごとく劣っています。
メリットがあるとすれば、情報を固定化できる。塗り重ねることができる。蓄積できるなどの記録性が高いということです。
⚫文字がない時代の人類の思考力
考えてみてください。人類の歴史が500万年だとすると、3000年前以前は、文字がないまま、話しをしていたということです。
各々話し言葉で会話はしていたと思いますが、文字はなかったのです。どういうこと?と思われるかもしれませんが、イメージしてみるとすごい状態です。
私達は何かを考えるとき、頭の中で文字を使って思考する人がほとんどだと思います。
しかし、文字がない時代の人は、文字に頼ることなく思考できていたのです。今、それができる人がどれだけいるでしょうか?
それだけでもそうとう脳が活性化することがわかります。
まさに、右脳全開。偏重した左脳に頼らない。右脳(本能、共認機能)発で思考をするこということです。受信する情報量も、現代の文字情報とは比べ物にならないほど多かったと考えます。
⚫改めて、書き言葉の最終的な欠陥を、2つ以上挙げると・・・
①書き言葉は、分かったつもりで実は何も分かっていないという文字脳を形成します。その結果、記録の捏造や論理の整合していない説弁が横行し、騙しの温床となるのです。特に、学者やマスコミなど、文字書きを飯のタネとしている特権階級の人たちには要注意。事実を捻じ曲げる、自分達に都合の悪い事実を隠蔽する。巧みに文字を使って、観念支配をしています。人々を思考停止に陥らせているのです。
②書き言葉は、左脳偏重を助長し、右脳を封鎖することによって、人類の活力も追求力も言語能力もとことん劣化させてきました。つまり、人類は、話し言葉によって人類の進化を遂げてきたが、文字と書き言葉が、人類をとことん無能化させてきたと言えます。
- posted by 岩井G at : 18:47 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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