2022年09月05日
【今週の注目情報】日本ではなぜ「性教育」が進まないのか。
日本の教育において、性を学ぶ機会は少なくなり、その内容も驚くほど変わってきているらしい。
その背景には、日本ならではの思想や、政治も絡んできたりと様々。
日本の性教育の異常さによってもたらされる問題とは何か。
参考:日本の性教育の異常性 引用:「避妊や中絶について教えることができない…」日本の性教育が酷すぎる実情
教育現場では性行為について教えることができない
「身を守る以外にも、生きていく上で絶対に必要な知識ですから避妊や中絶についても生徒にしっかりと教えたいんですが、それが許されないので、現場の教員は頭を悩ませていますよ……」そう語るのは、中学校で教鞭を取る20代の男性。特に保健体育で性教育の授業を行う際は、学校側や保護者から、厳しい監視の目が光るという。
「性教育の他にも、政治の話だったり、あとは家庭に問題がある生徒が助けを求められるような制度を授業で取り扱うと、すぐさま学校から厳重な注意が入るんです。保護者から『うちの子に変なことを教えるな』と苦情が入ることも……。教育委員会から指導が入ったこともあるようで、学校からは『とにかく今まで通り、無難な授業をやってくれ』と言われています」
03年に都立養護学校での性教育が不適切だと都議が非難し、学校や教諭にバッシングが集まったり、18年にも足立区の学校で「性交」「中絶」「避妊」という言葉を使った授業に対して都議が批判するなど、政治まで介入した問題になっています。足立区の場合には、世間から都議に対して異議が唱えられ、教員への処分などは行われませんでしたが、性教育に対して教員や教育現場が委縮したのは間違いありません。
では、なぜ日本の性教育はここまで「はどめ教育」になっているのでしょうか。
引用:日本の性教育はなぜ遅れているのかーー高校生に「人間と性」を教えた元保健体育教員が語る、盛り上がりとバッシング #性のギモン
性教育にブレーキがかかる背景は
日本の性教育で唯一変わってきたのが、アイデンティティーに関することだ。文部科学省は2015年に、性同一性障害や性的マイノリティーとされる児童・生徒に対して、自認する性別の制服や髪形を認める、呼称や名簿順も自認する性別として扱うなど、きめ細かな対応をするように通知を出している。
――制服が男女の区別なく選べる学校も増えています。
「典型的な男の体、女の体ではない人たちがいるということは科学的にも明らかになっています。アイデンティティーに関することは人権の問題として扱われる必要がありますから、文科省もかなり力を入れて対応してきました」 「ところが、セックスがからむとダメなんです。“異性愛絶対主義”になってしまう。生殖の性しか認めないから。中学校の保健体育の学習指導要領でも『思春期になると異性への関心が高まったりする』と書いてありますよ」 「なぜそういうことになってしまうのか。明治期につくられた男性中心、家中心の考え方にいまだに支配されているからです」
――明治時代にまでさかのぼるんですね。
「明治になって、家父長制が法的に確固としたものになりました。近代の家族のあり方です。父親を戸主とし、その下に母親や子どもたちがいると定められました。その価値観のもとでは、異性愛以外の多様な性は認められないし、女性が主体的に考え行動することや、財産を持つこともできなくなりました。戦後になって、個人の尊重、男女平等の世の中に変わりましたが、近代から現代への転換が不十分なまま、制度上でも精神的にも家父長制がずっと残っています」 「男性中心の仕組みが変わっていないのだから、性教育だけが進むはずがありません。先日、ジェンダーギャップ指数が発表されましたが、日本は146カ国中116位でした。上位の国は性教育にも熱心です。日本はブレーキをかけようかけようとしています。仕組みから変えなければ、性教育だけがよくなるなんてあり得ないと思っています」
日本に残る男性中心の思想・価値観が、性の多様性を異性へのものと限定的にとらえ、性交=はしたないものという価値観が性教育に歯止めをかけている。
性教育こそ正しい知識を身に着けることで、望まない妊娠や、新生児遺棄の問題などを解決するものの一つだと考えられる。今一度、性教育を見直して改めて考えていく事が必要。
- posted by yosigoe at : 23:35 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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