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2022年09月25日

日本の山林は危機的状況 どうしたらいい?

今回は日本の山林資源について考えてみたい。

(映画のトトロの舞台は昭和30年代前半の里山だといわれている。緑がいっぱいだが……)

 

自然志向の広まりで、最近は農業に関心を寄せる人が多い。しかし、山林を開墾して里山が拓けてないと、畑や水田はつくれない。農にとって山林はとても重要なファクターだ。

農だけでなく、自然環境保護の上でも山林管理は重要である。こう書くと「山の木々が切られたり、折られたりしないように、開発から山林を守らないといけないよね」と思う人が多い。だが、驚くかもしれないがその認識は間違っている。

では正しい認識を示そう。わが国の山林は「開発されなくなって」衰えていったのだ。

「開発されないから山林が衰えていった?」。こう聞けば、多くの人は怪訝に思うかもしれない。なぜなら多くの人は、戦後の開発によって、山の木々が切り倒され、売り物にされたと思っているからだ。そしてその結果、戦後に自然破壊が進んだ――と考えている人が多い。だが、それは正しくはない。何度も繰り返すが、わが国の山林は人の手が入らなくなったから衰えていったのである。次にそれを詳細に考えてみよう。

 

●面積は増えず体積だけが増加

多くの人は、「戦後の経済復興で山の木々が切り倒され、材木として大量に売られたから、山林の自然破壊が進んだ」と考える。上でも述べたが、これは山林問題を考える際で、最も重大な事実誤認だ。

戦後、山林の性急な開発は確かにあった。郊外の住宅地を開発する。電車道を延線する。レジャー施設やゴルフ場を開発するなどだ。「そら、やっぱり開発したんじゃないか」という声が聞こえてくる。しかし、戦後、住宅やゴルフ場などが経った用地はもとは、地元住民がすでに開拓していた土地である。

開発側としては全くの未開の山林を拓いていくよりも、すでに開拓されている土地を買えば金も手間もかからない。なぜなら用地を個別に買収していくのは実に骨の折れる仕事だからだ。

また、個別買収よりも、まとまった用地を買う方がいい。そして、里山でまとまった用地を買うとは「入会地」を買収することにほかならない。

入会地とは、村が共同の作業をするために共同所有にしている土地のこと。そこは草原になっていたりする、いわばすでに”開発された土地”だ。入会地は面積が広いので開発計画は一気に進む。

さて、ここでも疑問が浮かんでくるだろう。

「農や村全体のために使用する入会地を明け渡せば、村の仕事や生活は成り立たなくなるのでは?」

その通りだ。成り立たない。しかし、ここで視点を変えてみたい。「入会地がなくなったら、共同作業ができなくなる」ではなく、「もう共同作業ができなくっていたので、入会地は必要なくなっていた」という具合に。

里山にとって入会地は戦後、必要な存在ではなくなっていた。なぜ入会地が必要なくなったのか。それを考えるには食糧問題、エネルギー問題、木材需給問題の3つからを考えなければならない。

まず、戦後に起きたのは食糧不足だ。それを解消するためには食糧を増産しなければならないが、人の手で増やすことができる生産量は限りがあった。解消するためには農業の機械化が必要だが、そのためにはエネルギーの安定供給が不可欠。しかし、当時はエネルギー不足が起きていた(それは農業分野だけに起きていたわけでなく全産業で起きていた)。そこで政府はエネルギー不足を解消するために、1962年、原油の自由化に踏み切った。これによって農業でも一気に農業の機械化が進んで、省力化が可能になった。機械化のための耕地整理も積極的に行われ、農地の集約化が進んだ。

また、エネルギーの自由化は化学肥料の生産量も上げた。この化学肥料増産によって収穫量が増えた。逆に収穫量増加はコメ余りによる価格低下を招いた。その結果、減反と兼農化と離農が進行することになった。これによって稲作放棄地が増大し、その跡地は山林に飲み込まれていった。

加えて、農業の機械化は家畜の減少にもつながった。一方、化学肥料の使用増加は、家畜が必要とする緑肥や堆肥の減少を招いた(家畜や肥料に必要な草は入会地でまかなっていた)。

自然肥料は化学肥料に押され減少し、家畜用の草も必要なくなった。どちらも入会地で生産されるものだ。つまり、食糧問題とエネルギー問題の解決が入会地を無用にしていったのだ。

入会地の減少の要因はもう一つある。「国土緑化計画」だ。戦中と戦後すぐの木材需要急増の乱伐、またそれによって土壌流亡が起こるなど、山林は荒れた。それを回復するために、1950年、国土緑化計画がスタートした。もちろん、緑化計画は国土の回復だけでなく、木材不足を解消するためでもあった。

国土緑化計画とは、端的に言えば、山林を拡大造林化(人工林化)することに他ならなかった。ただ、人工林を増やそうとしても、そうすぐに成木に育つわけではない(とはいえ、わが国の樹木の生長は欧州のそれと比べ格段に速い。気候がなす長所だ)。

結局、木材不足は短期に解消されず、1964年、ついに木材自由化に踏み切り、海外から安い木材が輸入されることになった。加えて、1950年に拡大造林によって育った木が育ち、木材は供給過剰になっていった。

木材輸入の自由化、拡大造林・人工林化によって、木材価格は常に上昇を抑える圧力がかかるようになってしまったのだ。実際は1980年までは木材価格は上がったが、それは林業が儲かる形での価格上昇ではなく、上げないと商売が成り立たないというものだった。

なお、1980年をピークに木材価格は下降を辿っている。(リンク

 

●山林を守るには

このように山林はさまざまな要因が複雑に絡まり・重なり、山林は木材として活用されなくなっていき、今に至っている。

戦後・戦中の山林が乱伐されていたことは先に述べた。戦中は軍需物資としての木材、戦後は復興の建材、エネルギーとしての木炭が急増した。山林は当然、はげ山だった。

しかし、実は、日本の歴史を振り返ると、山林がどこもうっそうとした緑で覆われていた時代の方が少ない。葛飾北斎などの浮世に描かれている山々を見てみれば、よく分かる。描かれているのははげ山だ。また東大寺の建立につかわれた巨木は四国から運ばれてきたという。それほど近隣には大きな木々がなかった、つまり伐採されていたことを示す。

(トトロの森の舞台となったのは昭和30年代前半の埼玉の狭山丘陵だといわれているが、実際にはこの時期の山林ははげ山だったという。トトロ制作スタッフは現在の同地をロケハンしたのでこういう緑いっぱいの背景となってしまったが、これは誤り)

はげ山がいいというのではない。適切な資源保護は必要だ。だが、使用しないとどんどん木々は増えていく。その増え方がいびつなのだ。

森林研究者の白井裕子氏によると、わが国の森林は、面積は一定のまま、みるみるその容積を増やしている。氏の著書「森林の崩壊 国土をめぐる負の連鎖」(新潮新書)によると、1995年の木の蓄積量が35億㎥に対し、2002年には40億㎥と5億㎥もの容積を増加せている。さらに、統計上、毎年8000万㎥以上もの容積を増加させているという。一方で木材自給率は2割程度と、国内で需要をまかなえる量があるにもかかわらず、使われていない。

ちなみに世界の森林面積は毎年1000万ヘクタール減っている。世界と日本の自然環境を一緒にしてはいけない。

「しかし、緑が多いということは自然環境を保護していることだろ? だったらいいことだろ」と思うかもしれない。

里山の木々を管理しないとどうなるか。植相遷移が起こり、そこはやがて雑木林になっていく。雑木林となった生態系は生物種が単純化する。今いわれている生物多様性とは真逆の状況になるわけだ。

入会地のような草原がなくなると、オオタカのエサ(げっ歯類など)の住処がなくなり、オオタカもエサが獲れなくなる。「オオタカの住む森を守れ」というキャッチコピーのキャンペーンが以前あったが、うっそうとした森が増えるほど、オオタカにとって厳しい環境になる。

最近では山林からクマが里山に出没し、農作物を荒らし、時には人を襲うなどの被害が報じられている。これについて「人間が自然環境を開発しているからクマの住む場所がなくなって里に下りてきているのだ」という見方がある。しかし、これも間違いだ。住む山林が減少してクマが追い詰められているのではなく。人手がなくなった里山がどんどん縮小して山林がヒトの居住地域に迫っている、その必然としてクマが里に現れているのだ。人里が森林に飲み込まれていっている、という見方が正しい。

自然はある程度、人の手を入れてこそ(かく乱)、豊かになる。自然を守るためには改めて、自然をイメージだけで判断しないこと。そして自然をほったらかしにしないで人が関わっていく利用していくようにしなければならない。

なお、里山についてより知りたいなら、自然生態学を研究している星昇さん(当時、宮田昇名義)の講演ブックレックレットが静岡大学から公開されているので一読を。リンク

 

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