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2022年09月23日

【実現塾】9/10 「始原人類の世界観」~万物は、常に動きながら一体化していく

前回の実現塾では、初期人類がどのように一体化し、集団を作っていったのか、集団の様式はどのようなものだったのかを追求していきました。
初期人類は、普段から常に同期して一体化しているからこそ、集団としてもどう存続していくのかをみんなで判断している。そのためリーダーも存在しない、一体化を軸に統合された集団を形成していることがわかりました。

今回は、より初期人類に迫っていき、どういう世界を見て、世界をどう捉えていたのかを探っていきます。

「万物は循環している」
縄文人がとらえた世界観を紹介していきます。【月と蛇と縄文人】(大島直行)より

【月】
月は、形を推移させながら、約 28 日ごとに消滅し、3 日間の闇ののち 再び立ち現れる。
このような月を、縄文の人々は再生の象徴と考えたようだ。同時に月は干潮、満潮に代表されるように、生命の源である水を司る大本でもある。
【蛇】
蛇は何度も脱皮を繰り返しながら、或いは冬眠を行い、そのたびに再生する「 甦り」の象徴である。
また蛇は男根に喩えられ、月から命の水を運ぶものとして意識された。そして蛇が交尾の際に絡み合う 姿は、縄とそっくりであり、縄も生命エネルギーを象徴するものとして捉えられていたのである。
【縄文土器】
特徴は文字通り「縄の文様」が 施されていることにある。縄とは上述するように、交尾する蛇を表したものである。
底が尖っている土器もかなりあり、これは実用性という観点からはかなり不便に作られている。かつ過剰とも言えるほど装飾が施されている。
【石斧】
縄文の磨製石器である石斧は緑色系(碧、翡翠)の石で作られているものが多い。これらの石は乾燥下ではくすんだ色だが、水に濡らすと鮮やかな緑色になるものが多い。
また、これらの石は柔らかく加工しやすいが、柔らかければ硬いものが切れないという矛盾がある。筆者はこの碧の斧は、植物の再生を表す「新芽」の象徴であり、同時にこれは「嬰児(みどりご)」の象徴であると捉えている。
【竪穴式住居】
縄文人は既に高床式の建物を造る技術があったにもかかわらず、竪穴式住居を捨てようとしなかった。また縄文人は好んで、日当たりの悪い、やや湿った場を居住地と
して意識的に選んでいる。アイヌを始め多くの未開民族の伝承に依れば、彼等は屋内を子宮に喩え、囲炉裏は生命の 源である食物に火を加え変容させる儀礼的な場であるとしている。
【貝塚】
人骨も埋葬されている事から見て、筆者は単なるゴミ捨て場との見方を否定する。
縄文人は万物に生命が宿っていると見ていた。とりわけ貝は女性器に似ることから、水と再生のシンボルと捉えられてきた。筆者は子宮に見立てた楕円形の穴を掘り、その上に貝を盛り上げて子宮を形取っていたのではないかとする。

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⇒縄文人の世界観に触れていくと、始原人類には「死」という概念自体なかったと思われる
貝塚に死んだ人も一緒に埋葬されていたり、集落の真ん中に位置していたりと、現代の「死」の捉え方(死=怖いもの、恐れ)ではなく、再生や甦りの一部と捉えていたと思われる。

★始原人類は、「万物は様相を変えながら、常に循環している」と世界を捉えていた

■言葉から見る始原人類の世界観

○大和言葉「おかげ様」
感謝の気持ちを表すとき、たとえ、言葉を向ける相手に直接何かしてもらったわけではなくても「おかげ様で」と言います。「陰は隠れて見えない部分。目には見えない力の存在や、様々なことは巡り巡って繋がっていることを前提にしているからこそ、そう感じられるのでしょう。他にも、「お互い様」「いただきます」「有難い」など、直接特定の誰かに向けたわけではない言葉が日本にはたくさんあります。

○インディアンの教え(イロコイ族)
二本足も四つ足も、大地も大空も、すべてはつねに動いている。
ただちがうのは、その動きが速いか遅いかだけである。すべては生きている。石であれハマグリ(中身も貝殻も)であれ、すべてはエネルギーをもち、それゆえに生きているのだ。さらにそれぞれは、ほかの場所のほかの現実とも関係し合っている。
宇宙は三次元のクモの巣のようなもので、二本の糸が交差するすべての点が、ほかのあらゆる点と繋がっている。<大いなる生命の織物>のどの部分を触っても、かならずほかのあらゆる部分に影 響を及ぼすだろう。
ようするに、ありとあらゆる存在がつながっていて、ほかのあらゆる存在と関係し合っているということだ。だとしたら、私たちは宇宙の中で兄弟姉妹だとは言えまいか。すべての要素のあいだに本当のバランスがとれたとき、一つの輪が生まれる。バランスの悪い輪は卵型になる。<一族の輪>がまんまるであるためには、相違を持つさまざまなものどうしでもバランスがとれていなければならない。
そうした相違としては、老いと若さ、女と男、四つ足を狩る者と種を植えてその実を集める者、などがあげられる。さらに対比の要素は二元とはかぎらず、四元だったり多元だったりするかもしれない。バランスはつねに継続の必須条件である。

○インディアンの教え(ナバァホ族)
俺は大地の果てまで出かけてみた。俺は水の涸れ果てるところまで出かけてみた。
俺は空がおしまいになるところまで出かけてみた。俺は山のつきるところまで出かけてみた。
そして、俺は自分の友でないものなど、ひとつも見かけなかった。

○インディアンの教え(ソーク族)
私の前を歩くな。私が 従うとは限らない。私の後を歩くな。私が導くとは限らない。私とともに歩け。私たちは一つなのだから。

⇒目に見えていない、でもその背後にはエネルギーがあることを始原人類は捉えていたと思われる
また、言葉からも、常に万物は動き回っていることが感じ取れる。そして、動きながらもつながっている。バランスし、調和している。
★万物は常に動きながらつながっている。常に循環しながらバランスし、調和している

■始原人類から見る「一体化」とは

今までの一体化のイメージは密着やスキンシップなど「静的」なものだった。
しかし、始原人類の世界観を見てみると、一体化とは「動いているからこそ」だと思われる。
★一体化とは、固定的ではなく、流動的であり、常に動いているからこそ一体化できる
万物は常に動いて、関係しあって循環している。その流れにのって調和を行うことで一体化できる

 

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