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2023年03月25日

【新しい言葉】「SDGs」は人類一丸となった追求時代の幕開け?

今や新聞、インターネットや書籍などでおなじみのSDGs。2015年9月の国連サミットで採択されたもので、2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた17の目標、169のターゲットからなる。参照:SDGsとは?外務省ホームページ / MDGsとは?外務省ホームページ

■SDGsはこれまでの環境運動とは一味ちがう
人類が経済発展を旗印に市場を拡大させていく一方で、周辺環境への有害物質の排出、開発行為にともなう生態系そのものへの大規模な改変など、自然環境に対する無視できない負荷が様々な問題をもたらしてきた。「かけがえのない地球」を掲げた1972年のストックホルム国連人間環境会議以降、1997年の「京都議定書」、2015年にはパリ協定が採択されるなど、単に環境保全にとどまらず、持続可能で豊かな生活を求めるための活動が、文字通り世界中で取り組むべき課題としてみなされるようになってきた。

写真はコチラ()()からお借りしました

ところが、これらの問題は、どれもマスコミなどで取り上げられると一時は盛り上がりを見せるものの、そのイベントが終わればいつもの日常に戻る、そういう感覚でとらえてきたのではないだろうか。しかし、今回のSDGsは、これまでとはどこか一味違う。

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まず、国連加盟193か国すべてが「世界を改革する」ため、SDGsという同じ目標達成に取り組むという取り決めが行われたこと自体、画期的である。しかもこれは、この提言を策定する段階から、世界的な家庭用品メーカーであるユニリーバが関わっていたり、また日本の

経団連も積極的に役割を担っていたりと、国境を越えた民間レベル、いわば市場全体での活発な動きとなっているのだ。

<参照>
・国連広報センター(ハイレベル・パネルのメンバーに当時ユニリーバCEOのポール・ポルマン氏の名前がある)
日本:経団連の取り組みなど

今回のSDGs以前からメセナ、CSR*など、自前の経済活動とは一見異なる社会活動に取り組む企業の動きははじまっていた。*Corporate Social Responsibility…企業が社会的存在として果たすべき責任のこと。2010年に国際規格化。

しかし、ここまで世の中の企業がこぞってSDGsに取り組むようになったのはなぜか?この背景には、企業に対する投資の考え方が大きく変わってきたことが挙げられる。

SDGsが提唱される少し前の2006年4月、当時のアナン国連事務総長が各国金融業界に向けて「ESG投資」という考え方を打ち出した。ESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の英語の頭文字で、世界が持続的な発展を続けるために、企業もこれら3つの観点を念頭に置いた取り組みを強化する必要があるとした。

こうしたESGへの取り組みが企業の持続的な成長に不可欠であるという考えが投資家の間にも浸透し、従来の財務状況や業績とともに投資先の判断基準として重要な評価軸になっている。特に、「責任投資原則(PRI)」を国連が発表した2006年以降、ESG投資を行う投資家が急増してきた。このPRIに署名した機関は世界で3038機関(2020年3月末時点)、それらの資産総額は100兆ドルをこえる規模となっている。
日本でも、2015年に運用資金規模が約150兆円と世界有数の規模を持つ年金積立金管理運用独立行政法人(GRIF)が国連責任投資原則(PRI)に署名、総運用資産に占めるESG資産の割合は2018年時点で18%にものぼっている。

こうした状況とSDGsの各指標が意味することを合わせて考えると、現在の企業はもはや社会的な課題を起点としないと事業化できない(資金を集められない、人が集まらない、利益を出せない、評価されない)ところまできているといえるのではないだろうか。

では、こうした世の中の動きを加速させている原動力となっているのは何か?
それは、現代の我々が直面している外圧状況の変化が大きいと思われる。

■国境を越えて広がる環境問題の深刻さ
古くは農薬として広く使用された有機塩素系(DDT)の殺虫剤や、電気機器、熱交換器に利用されたポリ塩化ビフェニル(PCB)、ネオニコチノイド系農薬*などといった化学物質の蔓延による水質汚濁は、相次いで原因物質が製造・使用が禁止されて以降もその影響が尾を引いている。こうした化学物質の拡散や自然破壊は、これまでの公害問題のように原因物質を出した企業や、公害被害救済や対策をとる政府など、誰かが対処すればよし(誰が悪いかの犯人さがし)では済まされなくなり、それこそ皆が一丸となって取り組まないとどうにもならない、という危機感が生まれ始めた。さらには、砂漠化、酸性雨などによる自然破壊の進行など、今起こっている地球環境の現状をみれば、金貸しであれ、政府であれ、消費者であれ、どの立場の人々も己の肉体破壊や環境破壊がもはや無視できない次元までいってしまった、と本気で(心の底から)思っているということではないだろうか。
*ネオニコチノイド系農薬は脊椎動物より昆虫に対して選択的に強い神経毒性を持つ。

■現代科学をもってしても突破口=答えが見えない深刻さ
また、「科学技術」そのものに対する見方も大きく転換しはじめている。これまでは多くの利便性をもたらした科学技術や大元の科学的認識そのものが、実は深刻な肉体破壊につながる元凶であるという認識(というか直観)を抱き始めており、人々はこれまでのような単なる対処療法の繰り返しはもはや見せかけにすぎないとみなすようになってきている(それくらい本気モードになっている)。

つまり、現在の環境問題の深刻さは、もはや特定の地域・国家という枠組みを超え、現代科学を根本から考え直さないと突破できないという事。この危機感や適応欠乏が可能性を求めて市場を動かしているのではないだろうか。
言い換えれば、元来、国を超えて展開する存在である市場にこそ、環境問題・肉体破壊を突破していく実現基盤があると、人々の期待が集まっているという事。従って、市場のなかで生産を営む企業にもこうした現状を突破する期待が集まり、今に至ってはSDGsにどれだけ積極的に取り組んでいるかが企業の評価軸になりつつあるということではないか。

■市場が追求競争の場になっていく
現段階では本質的に有効な中身が見つかっておらず、どんな活動にも収束しきれない(どこか違和感を覚える)のも事実。一見、社会課題に勤しむ企業の動機・目的が、市場で勝つための建前と感じられることすらある。しかし、だからこそ、社会課題を起点とした生産活動の実践は、誰もが納得できる中身を求めての社会構造の解明や自然の摂理のさらなる追求と並行してすすめられるだろう。そこで根本的な解決につながる中身を提示することができれば、その活動はより適応欠乏を満たす中身をともなう本音へと転換していく
そして、そのような中身を提示できる集団や組織が人々に評価され、勝っていく時代になっていくだろう。

また、この流れは、適応欠乏に端を発するがゆえに、少なくとも今人類が直面している「生物としての持続可能性」が見いだせるところまで続くと思われる。つまり、SDGsは一過性のブームではなく、産業や市場の構造をはじめとする我々人類の営み自体が次世代へと大きく転換している契機として生まれたものなのだろう。それは同時に、行き詰った市場自体も新たな拡大の可能性にもなっている。21世紀の市場は、そうして社会課題に端を発した追求競争の場となっていくということではないか。

 

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