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2022年05月02日

【言葉の成り立ち】精霊信仰の世界観~精霊を見出せたのは何で?

【言葉の成り立ち】シリーズでは、木から落ちたサルが「目に見える現象の奥に、万物を貫く摂理を見出す」たまでに、何が起きたのか?について追求しています。

前回は、一体充足の回路万物への好奇心をもった大型のテナガザル(原オランウータン)が、足で枝を掴めなくなって地上に降りざるを得なくなったところから人類への進化が始まったのではないか?という事が見えてきました。

今回は、木に登れなくなった先祖返り猿がその逆境をどう乗り越えていったのか?について追求していきたいと思います。

■木に登れないという逆境~外敵どうする?
地上で真っ先に対応しなければならない危機は、トラやワニ、ヘビなどの肉食獣、毒虫などの外敵でしょう。
始原人類の遺跡が洞窟に多く残されている所から見て、先祖返り猿も外敵が侵入できないような洞窟に身を潜め、外敵から逃れていたのではないか?と推測されます。

東南アジアに豊富に存在する竪穴の洞窟(鍾乳洞)画像はコチラからお借りしました

洞窟の入り口すぐそこまで森が迫っている。(画像はコチラからお借りしました)

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■木に登れないという逆境~生きる活力をどうする?
しかし、洞窟に隠れただけでは十分な食料を得ることも、飢えによるエネルギー不足を補う同類との一体充足を得る事もできません。

その上、サルは同類や別種のサルとの闘いを最大の外圧=活力源にしていた生き物。「同類のいない空間に居続ける」ことは、サルが樹上で磨いてきた一番の武器である共認機能(共感や心の機能)が無効となり、活力源も充足源も失って、生きた心地のしない状態だったことが予想されます。

先祖返りザルは、「同類を感じたい」「同類のそばに居たい」という欠乏を募らせていきますが、同類はめったに地上に降りてこないので、ほとんどはここで精神を病んで死んでいったものと考えられます。

しかし現在、人類が存在するという事は、奇跡的にオスとメスが出合い、子孫を遺すことができたという事です。(大型テナガザルのメスは、オランウータン同様ほぼ地上に降りてこないと予想されるので、地上に落ちたメスが樹上のオスを引き寄せたと考えられます)

この絶望的な状況で、同類を見かけたら、目が合ったら、まして交尾までしてくれたら…!相手に対してどんな思いが湧いてくるでしょう?このこみ上げる感覚を言葉にするのは難しいですが、

「一つ一つがありがたい。」もう、「いてくれて、ありがとう!」という境地でしょうか。

これは、原猿やオランウータンが同類に対して感じる充足は、「相手と自分が同じだと感じられて充たされる」というものでしたが、この地上に落ちた先祖返り猿が行き着いたのは、同じだろうが違いがあろうが、「同類がいる」ということに感謝し、充たされる感覚

ここで初めて芽生えた【同類への感謝】が、インディアンや大和言葉に息づく精霊信仰の【感謝】の原点ではないかと思われます。

しかし、これまででは感謝の対象が同類に留まり、万物への感謝や繋がりまでは見えていません。次回以降、万物の感謝の原点となる感覚とはどういうものか?どうやって万物に対象を広げていったのか?について仮説を立てていきたいと思います。

 

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