2014年02月15日
「大転換期を生き抜く」シリーズ第二章 『技術革新・新エネルギー需要』 2-8 原発 安全なはずが無いのに推進されるのは何故か?-1
2011年3月11日忘れもしない、東北大震災と福島原発の爆発事故。未だ真相があやふやなまま、一向に解決の目処が立っていないにも関わらず、マスコミ報道はすっかり鳴りを潜めています。なぜ、これ程重大で日本どころか世界的に深刻な影響をもたらしている放射能汚染問題が隠蔽され続けているのでしょうか?
つい先日は、原発をめぐる見解が争点の一つとなった都知事選も、あまりにも解りやすいシナリオ通りの結果となりました。脱原発票が二分され、推進派の舛添氏が勝利。投票率は40%を切り、何故か注目度の低い選挙としての結果が残されました。前評判とは裏腹の低い投票率となった背景は、またもや不正選挙の疑いがプンプンします。
ふつうに考えて、細川の票を150万から200万削った感じでしょうね。 投票率と共に ― 平成26年 東京都知事選挙 開票結果
そして、
原発事故後2年が経過した現在、「3.11以降の死亡者数が、第二次大戦に匹敵するほど急増」
するといった事態が明らかになっています。いくら情報を隠蔽しようとも、事実は隠しきれるものではありません。特定秘密保護法案を強行採決しなければならないほど、国は強引に事実を隠し通そうと必死になっているのです。
今やマスコミもガッチリと情報統制側に回っており、呑気に五輪招致を歓迎し、相も変わらずくだらない番組で庶民の思考停止に精を出す始末。まるで役に立ちません。
子供に投票権があったら全員原発反対かも
子供だけなら原発は明日にでも廃止。そこを惑わす大人の邪心と無知。子供の危機感と本当のことを知りたい!を充たし、この非常時に本当のスキンシップをしてあげられるのは、子供同士の共感と事実を発信する大人だけなのだと想いました。
7年後に東京五輪が決定した瞬間、テレビでのお祭り騒ぎをよそに、子どもたちは極めて冷静に、福島原発の対策が先じゃないの?オリンピックなんてやってる場合なの?と至極全うな意見を述べていました。
そうです。まさに浮かれている場合では無く、今も原発の危険性と隣合わせの日常に在る事を忘れてはなりません。
■改めて事実の検証 どっからどうみても安全では無い
放射能の危険性は、誰もが直感的に感じ取っているはずです。そして、その直感は正しいのです。
『原発がどんなものか知ってほしい』~ある現場技術者からの告発~
から抜粋します。
□素人が造る原発
・いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎ。現場にプロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていない。
□放射能垂れ流しの海
・冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまう。
□内部被爆が一番怖い
・原発の中ではホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでおり、口や鼻から入ると、それが内部被曝になる。
・私はその内部被曝を百回以上もして、癌になった。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思った。(大変ありがたい事です)
□廃炉も解体も出来ない原発
・最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いていおり、そんな原発が十一もある。
・また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるが、廃炉にはできない。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかない。それが一〇〇万キロワットというような大きな原発だと、本当にどうしようもない。
□住民の被曝と恐ろしい差別
・日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。原発にある高い排気塔からは、二四時間放射能を出していおり、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝している。
・話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」
と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
□原発がある限り、安心できない
・今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。
・ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。
この技術者の告発は、当事者として原発建設に関わってきた当事者としての言葉であると感じます。そして、誰もが直感的に感じ取っている事がやはり正しいのだと言うことが良く解ります。
狂気の近代科学技術
原発の安全性についてはよく『安全神話』という言葉が使われます。今どき絶対安全なんて電力会社の言う事を信じる人がいるのでしょうか?安全神話・・と言われている時点でお仕舞いでしょう。本当に安全なものに安全神話など必要ありません。
原発で使用するウラン燃料は、1日運転しただけでも広島に落とされた原爆のウランより多いのです。1年以上運転した原発は、原発一基につき、広島原発の1000倍以上の死の灰が詰まっているのです。大きな原発事故が起これば、広島とは比較にならないくらい大量の放射能が外部の広範囲にばら撒かれる事になるのです。
チェルノブイリやスリーマイル島のように、炉心溶融[meltdown]が起こって、放射能が外部にばら撒かれたら、被害は途方もありません。被曝して後にがんで死亡する人数も含めれば、死者も100万人以上になる可能性も低くはないでしょう。日本本土で原発事故が起これば、たった一基の事故でも第二次世界大戦以上の被害になる可能性もあるのです。
原発事故の原因としては、よく危惧されている地震の他に、火山の爆発、航空機や隕石などの落下、なども考えられます。日本の原子炉建屋は、壁は非常に強く出来ていますが、屋根はかなり弱く、爆発物で無くとも、上空から重いものを落とされただけで、簡単に突き抜けてしまうくらいの強度だそうです。燃料棒の交換などのために格納容器の天井を取り外し、燃料棒の上にある全ての機器が取り外されたときに、砲丸投げの砲丸程度[7kg]のものでも、上空の高い位置から落とされて燃料棒や周辺の配管が直撃されれば、炉心溶融を起こす可能性も十分にあるとの事です。・・・狂気の沙汰と言えましょう。
勿論、戦争にでもなれば、真っ先に原発が狙われるでしょう。日本を狙うミサイルに核弾頭を装備する必要もありません。原子炉にはミサイルに搭載出来る量よりも遥かに大量のウランやプルトニウムが詰まっているのです。通常核爆弾の何倍(何十倍、何百倍)もの威力でしょう。日本の隣国が核弾頭を持っているとかいないとか騒がれていますが、核弾頭を持たなくとも、日本に核爆弾以上の損害をもたらす事が十分に可能なのです。・・・狂気の沙汰と言えましょう。
原発はたとえ事故を起こさなかったとしても、そこには毎日大量の放射能を被爆しながら労働している人達がいるのです。いわゆる被爆労働者です。
【安全神話の闇に葬られる原発被曝労働者】
原発は近代科学の粋を集め、コンピューターによる遠隔操作ばかりで運転されているのではないのです。そのイメージとは全く正反対の、重装備に身を固め、ボロ雑巾で床やパイプに付着する放射能除染作業や労働服の洗濯、大小パイプの点検、補修、ヒビ割れ箇所の溶接、放射能汚泥タンクの掃除やピンホールの穴埋め、蒸気発生器の点検・補修等、何百種類におよぶ原発内作業なくして原発は1日たりとも動かないのです。
これまで日本だけでも百万人以上の下請け労働者達が被爆労働に従事し、何十万人が放射能被爆に苦しんで、そのうち何割かの人達が亡くなっています。(・・このあたりの数字は、隠蔽されていて正確には出されていません。)
この事実をマスコミはほとんど報道せず、闇から闇に葬り去られてきました。全く酷い話だと思います。こんな非人道的な労働が行われているだけでも、原発は狂気の沙汰と言えましょう。その部分を抜きに労働基本法だとか人権問題を論じるマスコミは偽善と言うしかありません。
原発は、発電が終わってからも狂気の沙汰はずっと続きます。それは放射性廃棄物です。放射能の強さは時間のみの関数ですから、時間を短縮して放射能を無くすことは不可能です。無理に無くそうと物理的な処理を施そうとすると、それよりもっと多量の放射能を産み出すだけです。半減期が長い放射性元素の放射能が許容量になるまでには数万年管理しなければなりません。・・・たかが数十年の発電の代償として、数万年の管理が必要な発電を実行するなんて、まさしく狂気の沙汰です。
この事実から十分解るように、どこで切ってもやはり
「原発は事故を起さなくても危険きわまりない」
代物である事は、今や明確なものとなりました。福島原発事故は多大な被害をもたらし、かつ未だ終息の見通しも立っていません。
しかし、事故が起こったおかげで、私達はようやく自分たちの置かれている状況がどれほど危険で狂った状況であるかを改めて認識するきっかけともなりました。ここでしっかり方向転換を図らないと、将来に向けての展望など、何も語れません。
とは言え、国会を取り巻くデモを繰り返すことが解決に向けての道程かと言えば、決してそうとも言えないのが実情です。それは、今回の事故が起こるまで私達が本当に危機感をもってこの問題を認識してこなかった実態が示す通り。
そして、単なる反対運動では決して現実は変えられない上に、過去そうした運動の尽くは、ガス抜きに使われ、旧体制の補完運動に成り下がってきた歴史をしっかりと総括しなければなりません。
チンケな運動(要求運動の終焉)
錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある
運動信仰を捨てて、共認革命を
社会に関心を持つ人の多くが、未だに社会変革と云えば身体を張って行動することだという行動信仰(古いパラダイム)に囚われ続けている。しかし、(云うまでもないことだが)社会を変える為に必要なのは人々の意識を変えてゆくことであり、従って旧思想に代る新理論を構築することが何よりも急がれるのであって、旧思想に依拠したままチンケな運動をいくら続けても社会は全く変わらない。
とりわけ心すべきは、今も何らかの社会活動をしている人々である。彼らの多くは、自分たちの行動が社会の役に立っていると信じている。だが、旧思想に依拠した体制の補完運動は、いつまでも体制を維持させ、社会をますます閉塞させているだけなのである。むしろ、社会変革の志を抱く貴重な人材をことごとく体制補完運動に収束させ、一切の変革の芽を摘み取ってゆく既成運動こそ、社会変革の最大のガンになっていると云うべきだろう。
疾うに武力支配の時代は去り、今や(貧困の消滅によって)私権そのものが衰弱してゆく時代である。そこでは、武力でも資本力でもなく、文字通り人々の共認力が全てである。従って、人々の意識を変えることさえ出来れば、社会は変わる。逆に、旧思想(恋愛・自由・個人・人権という支配観念)に支配された人々の意識が変わらない限り、社会は(基本的には)変わらない。人々の意識を支配観念から解放する共認革命だけが、閉塞状態に陥ったこの社会を根本から変えてゆける。今、必要なのは共認革命である。
今回の都知事選が、原発を巡っての茶番が演じられた構造も全く同じであろう。見せかけの2項対立の構造を作り出し、あたかも解りやすい選択肢を選ばせた上で諦めさせる思考。こうして、多くの人々に不可能視の芽を植え付けていく。こうして、あらゆる運動が体制補完に使われてきた史実を、しっかりと総括しなければならない。
では、現実を変えるにはどうしたら良いのか?
その為には、まず現状の力の構造を根底部分にまで掘り下げて明確に捉えた上で、その力を超えるだけの事実をもって地道な共認形成に取り組むことだ。
次回、第二部では、原発を取り巻く根深い利権構造と、目先の危機も含めての対策を考えて行きたい。
- posted by kawa_it at : 21:21 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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