2010年02月13日
「共同体の挑戦シリーズ4」君は、どこまで次代を読めるか1~精神破壊編
こんにちは!よしたつです 。
共同体の挑戦シリーズも、ちょうど折り返し地点を迎えました!今までの投稿もかなり力作なので是非読んでみてください。共同体企業の魅力が見えてきます 😀 。
1.「共同体の挑戦シリーズ1」~若き事業家たちと確かな時代認識~
2.「共同体の挑戦シリーズ2」~権力体より共同体のほうが適している~
3.「共同体の挑戦シリーズ3」~合議制のカギは事実の共認にある~
ではでは気合も新たに始めていきましょう。
まず、今回の投稿では、共同体・類の強さの秘訣でもある、『次代を読むとはどういうことなのか』を見ていきたいと思います!
それでは、早速、本文の方を見ていきましょう!
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いま市場は行き詰まり、多くの経営者が先を読めないでいる。経営者だけではない。政治家も、官僚も、学者も、マスコミも、これまでこの社会を統合する役割を担ってきた者たちの誰一人として、出口を示せないでいる。なぜか?それは時代が、これまで彼らのやってきた小手先の改革や百年一日のごとき旧観念で切開できるようなレベルを遥かに超えた、根底的な変革を必要としているからである。
環境を破壊してきた大量の人工物質は、同時に人類の肉体をも破壊する。例えば、ガンの急増は、体内に摂取された人工物質による突然変異が原因である疑いが強い。さらに、ホルモン様の人工物質によって引き起こされる精子絶滅の危険性に至っては、文字通り人類絶滅の危機である。
だが、肉体破壊よりももっと致命的なのは、精神破壊である。市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が不可侵の聖域となったことによって、家庭には何の圧力も働かなくなり、その結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。サラリーマン家庭が孕む教育不能という深刻な問題は、少し前までは、まだ農家育ちの祖父母や親がいたお陰で、顕在化してこなかった。(農家は、現在の家庭の様な単なる消費の場ではなく、それ自体が農を営む生産体である。)しかし、農村から都市への大移動がほぼ終わった’70年以降、その致命的な欠陥が徐々に露呈され始め、老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った’90年以降、若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中である。
これら環境破壊・肉体破壊・精神破壊は、その何れもが人類にとって致命的な問題であり、かつその何れもがもはや猶予ならない局面を迎えている。いったい、何故こんなことに成ってしまったのか。この問題を解決する為には、まず徹底した原因分析が必要である。だが、人類滅亡の危機を真正面から捉え、真剣にその原因を分析し、突破口を提示しようとしている人は殆どいない。
今や専門家や官僚、一部の特権階級では現実をとりまく様々な問題について全く答えが出せない状態にあります。これらが物語るのは、彼らの感覚が庶民とあまりにかけ離れた場所にあるということです。最近のマスコミの偏向報道や検察の暴挙など、我々との意識のズレを感じずにはいらない場面に良く出会うことが多くなったと思いませんか。そして、それは彼らの提示する政策や法律の中身を見れば、実態に合わないくらい過度であったり、極めてその場しのぎの方針でしかないことがわかるはずです。
なぜ、このような事態になったのでしょうか?
それは、彼ら特権階級には社会を良くする意識よりも、自分の身分の安泰の方が最も重要という意識ヒエラルキーの変化にあります(試験制度の弊害)。つまり、社会のことは二の次、三の次でしかないのです。しかも彼らの思考の取っ掛かりは、常に市場の拡大を絶対にした旧観念でしか捉えられないというのが最大の弱点なのです。ここで問題なのは、現実を現実の圧力として捉えることなく、書類の上での歪んだ観念で作り上げてしまっているということです。だから、問題の根底的な解決を実現する答えを出す発想に一向に至らずに、常に堂々巡りを繰り返す構造に陥るのです。
この状況の突破口は、『社会とは何か』という根本的な部分を考えれば自ずとわかります。社会とはそもそもそこに生きる人たちで創り上げていくモノなのです。つまり、自ら社会の当事者となってつくりあげることが大前提にあります。となれば、現実の外圧とは別次元にいる誰か(専門家や学者、官僚、政治家)に任せて良い代物ではないはずです。この極めて当然で当たり前の意識を、今や多くの国民が忘却のかなたへと捨て去るように仕向けられてしまったのです。
その結果、精神破壊という人類にとって最も深刻な事態にまで至ってしまいました。この状況を受けた上で『次代を読む』には、根本的な原因構造を探り、実現可能性を考察することしかありません。
今回で言えば、その大きな起点となった、特権階級、果ては金貸しによって庶民までもが市場の住人に仕立て上げられた社会の仕組に注目することになります。つまり、産業革命以降の急激な都市化により何が変化したかを押さえることです。その最も核心部分は集団の解体にあります。本来、人類は集団動物として生き抜いてきました。そして、その集団の中でのやりとりで安心・充足・活力を得ていたのです。しかし、市場の裾野の拡大は、その充足の矛先を喪失させ、充足の代償物として市場を用意しました。このようにして人ではなく、地位や名誉、お金に代償充足するようになってしまったのです。
日本の場合、’70年以前であれば貧困の圧力が国民全般にもかかっている関係で、私権の獲得という目的意識が、豊かさという安定意識を導いてくれるものとして肉体的欠乏と合致していたため、意識は統合されていました。しかし、’70年以降、物的に飽和状況が続くようになり、一億層中流と呼ばれるほどになると貧困の圧力は消え、私権の獲得の先に充足を得られない状況になってきたのです。ここで、本来であれば充足の先を同類圧力(共認充足)へと転換すれば良いのですが、集団が解体され、バラバラな個人の状態になっているため、集団としての安定基盤が持てず、今日に至っている結果、精神破壊はますます進んでいるのです。
以上より、今の全般的な活力不全状況さえも、ここに原因があることが見えてきます。そうだからこそ、可能性が共同体企業にあることがわかってきます。皆の安心・充足・活力を生み出す共認充足を得られる集団の場こそが、共同体企業の本質なのです。こういった分析の結果、次代を読めば、どういった企業のあり方や働き方が最善かが見えてきます。
次回は、『次代を読む(市場編)』を紹介します。是非楽しみにしてください!!
- posted by staff at : 2:05 | コメント (8件) | トラックバック (0)
コメント
>女たちと『一体』になっているからこそ『いい女』なのですね
↑コレ、なるほどでした~☆
だったら、女たちに委ねたら誰だって「いい女」になれるって、可能性が見えました☆
私も、もっとみんなと一体になれるように、すり合わせて、喜びを共有していきます☆.。.:*・°
先日、“感トレ”グループの女性2人にインタビューさせていただきましたが、“女”個人ではなく、この「女たち」というのが非常に重要だということを感じました。
しっかりした基盤・土台の上で自信を持って語る彼女たちが眩しかったです^^;)
インタビューの中で、「2~3人誘って、あるテーマで充足の場を作っていったら、普通の会社でも簡単にできるよ」という話も出てきました。チャレンジしてみてもイイかも知れませんね。きっとそんな女性たちがどんどん生まれてきらた、男性社員も喜ぶし会社も元気になっていくと思います。
>『いい女』は単独では存在しない・・・
女たちと『一体』になっているからこそ『いい女』なのですね
この言葉がよかったです。
ネットサロンや勉強会にも女性参加が増えていますが、男性よりも旧観念に囚われている度合いが少ない女性ほど、適応不全に素直に反応し、自分からみんなに向かっているのでしょうか。
初めまして^^
この写真を見るだけでとても楽しそうだなと思いました♪
あこりんさん、コメントありがとうございます^^*
>女たちに委ねたら誰だって「いい女」になれる
確かに~☆って思いました!!
言葉にしてくださってありがとうございますv
ぜひぜひ、みんなとた~くさん共有していきましょうo(^-^)o
雅無乱さん、コメントありがとうございます♪
雅無乱さんの記事も読みました☆
>“女”個人ではなく、この「女たち」というのが非常に重要だということを感じました。
本当にそうですね^^*
私自身も、個性うんぬんよりも、集団の「女たち」として期待しあう方が充足するって結構大きな気づきでした。
気づいた人たちから、そんな場を作っていったら、そこからどんどん広がっていきそうですよね~♪
名無しさん、コメントありがとうございます^^*
ネットサロンに参加する女性、確かに増えましたね♪
可能性さえキャッチすれば、女性の方がサッと行動しちゃう気がします。
充足に敏感なんでしょうね~v
アイデア起業クリエイター@松本さん、初めまして^^
楽しそう~と可能性を感じてくださって嬉しいです♪
写真は社内のお誕生日会の一場面を紹介させていただきましたw
写っているのは社員だけでなく、ネットサロンの参加者もいます。
このような場を通じて、互いの肯定視や活力再生に繋がっていくのだな~と感じています^^*
まさに「すり合わせ」場面ですね♪
コメントありがとうございました☆
またぜひ見にきてくださいね^^
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