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2007年04月22日

集団とは個人の対概念??

 はじめまして、systemaと申します。また、ときどき寄せてもらいますのでよろしくお願いします。先日、個人主義について話をしていたんですが、その中で「個人」と「集団」といった言葉がなんとなく気になりまして、少し調べてみました。

集団(しゅうだん)とは、個人の対概念で、複数の人間の集まりを指す。単に人の集まりであるだけでなく、相互に関係を持ち合い、従って相互の振るまい方を規制し合うような個人の集まりである社会勢力をいう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 うーん、つまり、「集団」とは「個人」を前提にした対概念。ということは、個人が大事か、集団が大事かという議論はすでに個人主義を前提(個人主義は当然というように洗脳された状態)にしていることになります。
 さて、次にもう少し、集団にまつわる研究を調べてみると、 
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◆ゲシュタルト心理学http://www.oak.dti.ne.jp/~xkana/psycho/intro/intro_55/index.html
「人間の行動は、人と環境の関数である」
人と環境=全体→分離することができない⇒生活空間
B:行動、P:人の状態、E:環境
・レヴィンは、集団とは個人の集合ではないし、個人集合以外のものでもない。個人間にある種心理学的な関係性の成立する状況であると考え、彼のいう場理論から集団を力動的関係(dynamic whole)としてとらえ、個人間の相互依存性で考えようとした。
・基になる考え方は「部分としての個人の変化が、全体としての集団に及ぶと同時に、集団の変化が個人に及ぶ」という力動的な考え。

 なるほど 😮 。これは「個人+個人+・・・・+個人≠集団」といった点は納得できます。人間は相互に影響を与え合うし、自然、社会環境からも大きく影響を受ける。やはり、人間は共認動物であり、場(共認空間)に影響を受けるということなのでしょう(上記の定義も共認という概念があればまた違ったものになるのでは?)。 
http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_5313 「全てを個体に還元することはできない」斎藤幸雄さん
>しかし、そこでの種・集団の捉え方は、集団を個の集合と見たものでしかありません。個→集団に何らかの影響を及ぼす、または、集団→個に影響を及ぼす。と、あくまで個と集団を対置したものです。この意味において、種・集団を対象としていても、全てが個の適応度に還元される。まずは、個がありき、という前提に立っています。
 やはり、そう考えてくると他者や環境からの影響を排除して自立的に存在する「個人」という概念は成立しないのですね。また、逆に人間の気配のしない機能的な「集団」という概念もまた存在しないように思います。
 とすれば、人は皆、他者との関係(期待や役割)によって初めて規定される(にもかかわらず、私たちは個人で存在しているかのような錯覚に陥っています)。
必ず何らかの社会(統合)共認を前提に他者と関わっているのならば、集団か個人かの二元論ではなく、集団を前提として現在の社会や自然環境といった「外圧」に適応していくにはどういった共認内容(次代や社会認識、統合原理等)に組み替えていくのが良いのかの議論しかありえないように思います。
 

 

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