2007年07月01日
就活で感じていたこと③
’90年代。
バブル崩壊、山一証券、拓銀の破綻。潰れるはずのない会社が、どんどん消えていった。
地下鉄サリン事件、神戸児童連続殺人事件。ありえない事件が、現実に起きていた。
阪神大震災。逃れようのない自然の脅威に、為す術もなかった。
巷では『失われた10年』と呼ばれているこの時代のど真ん中、’97年が僕の就活時期。
当時を振り返ってみようと思いながらるいネットを覗いてみると、同世代が書いた投稿を
発見。核心を突かれる思いだった。
続きを の前に、応援 もよろしくです
こつこつ勉強して、いい大学に入って、出世して、円満な家庭を築けば誰もが幸せになれる。
そんな黄金則など、もはや存在しない事実を突きつけられた’90年代。
そんな状況の中で、僕らは私権獲得を源泉とする活力に違和感を感じ始める。
一方で、自分が何者かにこだわってみたところで新たな活力源は見えない。
漠とした葛藤が始まるのだけれど、それ(自分の中に答えを見出そうとする)では答えが出ないことは明らか。
かと言って他に術は思いつかず、結局、捨象する。
潜在的には活力に飢えていた。だからこそ、そこを捨象してきた世代なのかなと思う。
ちなみに僕の就活。遊んでもグダグダだし、場所を大学以外の新しいどこか(カイシャ?)
に変えたかった。でもそれだけ。何も、考えてなかった(捨象しすぎ )。
ところで、当ブログ紹介文にある「場と主体の二重のズレ」。
この状況認識を図で表わした投稿が、るいネットにある。
「旧観念を塗り替えてしまわない限り、いつまで経っても2重のズレに悩まされる」
この図解は、就活当時の僕らの意識構造を見事に 表現していると思う。
場:私権観念の衰弱→潜在意識:私権活力の衰弱。
しかし顕在意識は、依然として私権観念に覆われている。
だから場の転換(⇒共認圧力)を感じ取れない。
次代の活力源(⇒共認活力)にも気付くことができない。
残るのは、得体の知れないストレスだけ。
…なんかややこしくなってきた ので、捨象する。
いかがでしょう、同世代の皆様。
さて、そんな僕達も社内では既に中堅人材。当ブログの冒頭にもある、
「一日の大半の時間を費やしている仕事(=生産活動)の場を、「活力のある場」にしたい。」
これは、もちろん僕達世代を含めた社会人全世代共通の想い=課題。
就活時代には掴みきれなかったこのテーマ、「超企業」のブログで解き明かしていきませんか?
P.S.
’98年(平成10年)入社のタイプ 『再生紙型』
無理な漂白(社風押し付け)はダイオキシン出るが、脱墨技術(育成方法)の向上次第で新タイプの紙(新入社員)として大いに市場価値あり
(現代コミュニケーション・センター)
墨抜きは、進んでますか?
byひろ (間もなく33才)
- posted by taka at : 10:00 | コメント (1件) | トラックバック (0)
コメント
なるほど!
怒られる中身もレベルがあがっていくってところは気付きでした。
そうですよね。ってことは怒られることも評価と連動してるってことですね。これは活力源になります。
。。。わしももっとうまく怒れるようになりたいものであるぞ。
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