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2007年07月29日

チャレンジ★『農』~攻めの農業!?

 最近、中国で4年振りに日本のコメの販売が再開され、中国産のコメの20倍 の価格でも好反応 との事で、小泉元首相が掲げた「攻めの農業」 、日本農業の活性化への足がかりとして一部の期待を集めてますね。
でも、なんだか素直には喜べない感じ。。。
①一部の人が安全な食を手にする術が増えていっても、食に対する不安は解消されていく気がしない。
②食糧自給率が低い国が食糧輸出をしているという歪さ。
③工業製品のように他国に攻め込んでも農業全体が活性化される気はしない。

記事やニュースを見ると、そんな違和感を感じてしまいます。 🙁
①の 食に対する不安 はかなり深い所からくるものだと感じてます。
安全性だけでなく、自給率は下がり、親戚の誰かは必ず 農家、でも無くなってきて、食う事だけはなんとかできる、という基盤も揺らいでいますから、②の様な違和感も不安感の一部として生じます。
また、それ程歴史を遡らなくとも、これまで食は生産過程の協働、収穫の喜び、生存の為の課題を共にする仲間との食卓を囲んでの親和など、集団の中にあり、共認充足と一体のものでした。 😀 生きるために絶対に必要な食とその生産を通して得ていた共認充足を失っている事も、不安の奥底には有るように思います。安全もその関係の中では自分達で担っているものとして確保されていたのです。
③は何だかんだ言っても 農産物には幻想価値は付き難く、市場原理に乗らないという所に起因します。
アメリカの様に食をも武器に市場を支配しようとすれば、相手国の農業を駆逐 することが前提になり、すっかりしてやられている日本にいまさらそんなことが。。 😡 精々ごく一部が潤うだけだと思います。それに、勝ち組になっても大量生産や流通過程での安全性確保、食を通した共認充足の欠如、過剰生産による土地の荒廃などの問題を孕み、収入は確保できても根源的な不安 は拭い去れませんよね。
冒頭の事例始め、現在の食にまつわる取り組みはすべて市場を前提に行なわれていますが、大多数の農家が農業では食えない 事、人々の不安 をキャッチした企業 が農業に手を出しても中々成功しないこと、 などは農業は市場にそぐわないことを累々と示し続けているように思えてなりません。
改めて食に対する不安を考えるとき、食 は集団の自給自足が極当たり前のありようなのだと感じます。
もちろん、現在形で急に市場を離れることは不可能なので、市場社会の中でも基盤を保つ為の工夫や支援は不可欠です。しかし、本当に農業の活性化や食の不安解消を目指すなら、市場を越えたところで基盤を作り上げるチャレンジが「攻めの農業」 なのではないかと思います。
一旦市場という枠組を離れて農や食の生産を見ると、教育機能や根源的な充足や安心の基盤としての側面が浮かび上がります。 現代主流の生産集団である企業 が、食を市場に切り込む武器としてだけはなく、集団の成員の活力上昇 や安心基盤確保を視野に生産に取組めば、その広がりや連関は基盤作りや食の生産を通じた活力再生 の足がかり の一つになりそうです。

 

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