2009年04月21日
『GRAND THEORY vol.5』発売開始☆逆境を乗り越える企業~仕事で成果を上げるには?人材育成どうする?~
お待たせしました~w
このブログでも幾度となく発信してきたテーマ、
GRAND THEORY vol.5 |
経済の先行きが不安・・・
モノが売れない・・・
企業にとってはまさに逆境の時代。
この逆境を乗り越えるには!?
『GRAND THEORY vol.5』の中身をちょこっとだけご紹介します
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(クリックありがとうございます )
企業は今までにない逆境に立たされています。
1990年バブル崩壊をくぐり抜け、一度は持ち直したかに見えた「金融資本主義経済」は、2007年サブプライムローン問題を皮切りに2008年リーマンショックを引き起こし、企業を取り巻く環境は悪化の一途を辿っていきました。
企業の倒産は相次ぎ、どんな大企業であっても潰れないとは言い切れません。
今回の『GRAND THEORY vol.5』は、1章:仕事で成果を上げるには?、2章:人材育成どうする?で構成されています。
2つの章に共通するのは、企業が生き残っていく(勝ち抜いていく)ためには、仕事は個人課題でなく『集団課題』として捉える必要があることです。
『GRAND THEORY vol.5』巻頭言より
「そもそも仕事とはひとりではなくチーム(集団)で行うものであり、個人ではなくチーム(集団)への評価が『仕事の成果』となる。そして、集団で成果を上げるためには、若手も含めて集団全体が成長する必要があり、それが『人材育成』である。(中略)「成果を上げるには?」と「人材育成どうする?」という問題を、集団の課題として捉え、社会と集団の関わり合いの中でその答を考えていく。」
社会と集団の関係の中でその答えを考えていく・・・
これは、企業が生産活動を通じて広く社会に影響を及ぼす社会的存在である以上、当然のことと言えるでしょう
◆◇◆ 目次構成 ◆◇◆
第1章 仕事で成果を上げるには?
・ モノが売れない!
・ 熾烈さを増す企業間闘争
・ 企業間闘争の構造変化
・ 剥がれ落ちる幻想価値 求められる本物の中身
・ 認識力を身に付けるには?
・ 発信・受信・評価の場 ・集団全体で成果を上げる
第2章 人材育成どうする?
・ 会社が危ない!
・ 人材育成とは、何なのか?
・ 社会構造の大転換
・ どうすれば、可能性を発見し、「答え」を出せるようになるのか?
・ 指揮系統の弊害
・ 関係パラダイムの転換
・ 全員が会社経営の当事者となる
・ 全員が当事者となって参加する共認形成の場こそが、最高の人材育成の場
・ 社会の当事者を生み出す場へ
そして、この逆境を乗り越えていくために、もうすでに動き出している企業もたくさんあります。
そんな具体事例も紹介されているので、経営者の方にも、社会人の方にも、そして就職活動中の学生の方にも、気づきのある一冊になっているのではないでしょうか
ぜひ、一度手に取ってみてくださいね
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『GRAND THEORY』はなんでや露店やインターネットから購入できます
- posted by chiue at : 18:01 | コメント (4件) | トラックバック (0)
コメント
市場の開放から圧倒的な身分と力の序列から解放され、自己を拘束する楔は解き放たれた。さらに’70年以降、貧困が消滅し豊かさが実現されたことで、誰もが社会の当事者たるための実現の可能性をも手に入れることができた。
しかし、これだけの条件がクリアされた現代であっても、未だに多くの人の頭の中を巣くうのは現実とは切り離された観念的な部分(特に近代思想)に終始してしまっているという実態にある。この原因構造が今回の文章から鮮明に分かったように思える。
要するに、人々の意識は、社会の実現の幅を広げていく意識に向かう方向ではなく、決められた社会の枠組みの中に疑問を感じることなくやっていくしかないという意識(他者管理の意識、奴隷的仕組)へと収束しているということだ。
ここでの根本問題は、従来の仕組を疑わないということにある。近代思想で培われてきた仕組ありきが前提なのだ。確かに自己を拘束する部分での人権、不平等の要求運動は加速的に推し進められていったが、これは枠組の疑問の解決というよりは、ただの要求運動、ぶら下がり運動に終始し、仕組を疑うという位置づけとは根本で異なっている。
それは、労働においても同様であり、徹底的に昔からの枠組に無理矢理合わせるだけで、やはり仕組に疑問を持たずにただもがいている状態に近い。このもがきを今であれば『どうにかする』という地平に立って、実現基盤を整えることができるのに向かわない、向かえないというのが今の現代人の葛藤だとしたら、それを打ち破る可能性とは、個人の枠を打ち破り、社会に目を向け、根本部分を追求する姿勢にある。まさに<自己から対象へ>のベクトル転換こそが可能性なのだ。
そのために、頭にこびりついた近代思想を徹底的に疑うこと、現実の社会構造を読み解くことが基本姿勢になるのだと改めて実感した。
近代思想の代表格である「自由・平等」。
では、なぜそのような観念が必要だったのか?
根本的には、他者管理のもとでしか生きられない現実であり、奴隷的な体制そのものであるはずだ。しかし、一方でそれに変わる体制や観念を生み出そうともしない。
自分だけの利益の追求、私権の獲得だけを目的にするのであれば、楽して金が稼げるにこしたことはない。つまり、手っ取り早く金を稼ぐには、私権序列の上位に立つことであることが誰の目にも明らか。その方法も勉強していい大学いい会社というレールが用意されていた。
その私権闘争の現実は自由でも平等でもない。その体制そのものは見ぬ振りをして、「自由・平等」を唱える理由は自らの私益を獲得する為の要求でしかない。
ゆえに、
>常に自己の現実から目を背けて非存在の世界へと収束されてゆく仕組みになっている。
のだと納得。
コメント 汚れなき男さんの
>実現基盤を整えることができるのに向かわない、向かえないというのが今の現代人の葛藤だとしたら、それを打ち破る可能性とは、個人の枠を打ち破り、社会に目を向け、根本部分を追求する姿勢にある。
がすっごい気づきでした!
みんな課題にしたらみんなの活力上がるもん!
今まで与えられた仕事をしてお金を稼ぎ、そのお金によって余暇をいかに充実させるか?が人生においてとても大切な課題だと思っていましたが、与えられる労働、ある枠組みの中で他者に管理された労働が、無意識的に当たり前=不動の前提と捉えていたことを気づかされました!!
めっちゃハッとさせられました(>_今まで与えられた仕事をしてお金を稼ぎ、そのお金によって余暇をいかに充実させるか?が人生においてとても大切な課題だと思っていましたが、与えられる労働、ある枠組みの中で他者に管理された労働が、無意識的に当たり前=不動の前提と捉えていたことを気づかされました!!
めっちゃハッとさせられました(>_<) そしてこの仕組みが奴隷の習性と同じであるという構造認識を知り、近代思想の恐ろしさも・・・ 奴隷時代は終わり、実現可能性は開かれ、実現基盤もある時代なのに、これはとてももったいないなぁ~
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