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2010年03月31日

「働くとは?」を真剣に考える企業 日本理化学工業

日本でいちばん大切にしたい会社 坂本光司著 に取り上げられている日本理化学工業について取り上げます。
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日本理化学工業は、るいネットでも取り上げています(「誰でも何かの役に立ちたい、そのためにも働きたい」 ~日本理化学工業の試み~ )が、今回は、この企業の一般企業との違いを、もう少し掘り下げてみたいと思います。
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日本理化学香料について詳しくは、「人様の役に立つそれが働くことの醍醐味 日本理化学工業 会長 大山泰弘」安斉辰哉 ウェッジ・インフィニティ  が分かりやすいですが、概要を簡単におさらいします。

%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E7%A4%BE%E9%95%B7.jpg 大山泰弘(おおやま・やすひろ)1932年生まれ。父が興した日本理化学工業を74年に継いで社長となり、2008年より現職。現在、社員74人の7割超が知的障害者。 (撮影・田渕睦深)

工場見学に来る小学生や中学生に『働くって、どういうこと?』と投げかけてみるんです。すると『会社に行っておカネをもらうことです』って。今の大人たちがそう言っているんですね。でも僕は、働くとは、人に必要とされ、人の役に立つことだと思います
 働くとは何か。その問いを考え抜いてから仕事に就いた人が、今どきどれだけいるのだろう。世の流れから外れないように受験をして学校に入り、卒業が近づくと待遇やら評判やらを見比べながら就職活動をした人も少なくないはずだ。その点、筆者も胸を張れず、働くとは―と真剣に考えた記憶もない。社会人になってからの経験や出会いによって、価値観らしきものが育ってきたにすぎない。
日本理化学工業(神奈川県川崎市)の会長を務める大山泰弘も大差なかったといったら、叱られるだろうか。今ではチョーク製造で3割超の国内シェアを持つが、病気がちの父を手伝う格好で大山が入社した1956年には、社員十数人の小さな会社だった。教師か弁護士になりたかった大山青年は、渋々という感じで家業を継ぎ、専務として働いていた。
 「59年に、知的障害者の通う養護学校の先生が飛び込んできました。聞けば、翌年卒業する子の就職依頼でした。僕は門前払いのような感じでお断りしました」
 その先生は大山を3回訪ねた。最後は『子どもたちは卒業したら地方の施設に入ります。そうしたら働くことを知らずに一生を終えます。もう就職はお願いしませんから、働く経験だけさせてもらえませんか』と食い下がった。不憫に思った大山は、2週間の約束で実習を受け入れた。やってきた2人の少女は2週間、一心不乱にラベル貼りをした。昼休みのチャイムにも気づかなかった。
 「障害者だからチャイムがわからないって見方もあるでしょう。でも、ウチの社員たちは彼女たちの姿に打たれて、実習の最終日に『私たちが面倒を見てあげるから、専務さん、雇っていいじゃないですか』と僕に言うんです」
人間の幸せをかなえられるのが会社なら、
一人でも多く雇用しよう。
 結局、大山は2人を採用した。その時の気持ちは社員も大山も、「かわいそうだから」というものだったという。しばらくしてから大山は、法事で隣に座った禅僧に話の接ぎ穂として「施設にいて3食何とか付きのほうが幸せなのに、どうして彼女たちは毎日、満員電車に乗って会社に来るんでしょう」と尋ねた。
そのお坊さんは『人間の究極の幸せは、愛されること、褒められること、役に立つこと、人に必要とされることの4つです。愛されること以外は、働いてこそ得られます』と言われた。それで気づいたんです。人間の幸せをかなえられるのが会社なら、知的障害者を一人でも多く雇用しようと考えるようになりました」

「僕は、働くとは、人に必要とされ、人の役に立つことだと思います。」こう言い切る大山社長の潜在思念は何を捉えていたのでしょう?
大山社長は、知的障害者を雇うことに対して、最初は同情からと言っています。
しかし、彼らを決して哀れみだけで見ていないことが、次の事例で分かります。
今回の着目点です!

もちろん、働く場を与えるだけでは十分ではない。褒めてもらえた、役に立てたと思えるまでには、上司や同僚の働きかけが必要だった。ましてや知的障害者であれば、なかなか思うように仕事を進められないというジレンマを、当人も同僚も抱くのではないか。
 実際、最初は大山も「こうしなさい」と口酸っぱく指示したが、うまくいかなかった。彼女たちが毎日、いくつも信号を渡って出勤することから、字や数はわからなくても色は区別できると気づいた大山は、赤い蓋の缶に入った材料を量る時は赤い分銅を使うというような工夫を、次々と製造ラインに取り入れていく。
 「こういう段取りを周りがとってあげれば、不安なく仕事ができるようになります。そうしたら、知的障害者だって『人の役に立ちたい、褒められたい』という思いはありますから、それに向かって集中してやるんです」

大山社長は、知的障害者たちを真っ当に戦力化しようと試みています。決してお金のためではなく、一緒に仕事をする仲間として彼らを見ています。そのため、彼らのできることを正確に評価し、彼らができる「しくみ」を造ることで、実際に戦力化し、業績を上げています。7割もの知的障害者を受け入れ、チョークのシェアを30%も確保しているということは、彼らが十分な戦力として役立っている事を示しています。
ここに、所謂私権企業である一般企業との違いが見出せます。
一般企業であれば、知的障害者を雇うより健常者を雇った方が効率が良いと判断してしまいます。実際、一定規模の事業所では障害者の雇用を行うように法制化しているにもかかわらず、大部分の障害者は就職できないのが実態のようです。
大山社長は、「人のよろこび」に焦点を当てて語られています。また、多くの人は美談として日本理化学工業の試みを見ているように思います。
しかし、実は企業をどのように統合するかという大きな価値観が、大山社長と一般の経営者では違うのではないかと思います。
そして、大山社長は、経営上の外圧、つまり企業として勝ち残ることを全く捨象せず、現状の戦力(=知的障害者を含む従業員)に正面から向き合い、如何に会社を統合するかを考えているように見受けられます。
その努力が、知的障害者とともに働く「しくみ」造りです。
まずは、現状の「仲間有りき」なのです。
その仲間とともにどう戦うか?を考えているため、絶えず仲間の充足(勝つことを含めて)を考えている。
逆に、一般企業は、まずは利益です。企業として勝ち残るためには利益は重要ですが、それだけでは充たされない時代になっています。

%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E7%A4%BE%E9%95%B72.jpg 障害者雇用第1号社員の林緋紗子さんと大山会長。今も元気に働いていらっしゃいます。

ものの豊かさから心の豊かさへと言われて久しく、既に時代の意識潮流は共認充足を求める本源収束へと移行していますが、当に、大山社長の経営方針はその時代背景に則ったものだったのです。
「僕は、働くとは、人に必要とされ、人の役に立つことだと思います。」こう言い切る大山社長の潜在思念は、こうした時代潮流を捉え、人と人との関係で生まれる共認充足を生み出すこと、つまりは仲間に対する深い肯定視をもって、現実の外圧に打ち勝ってきたのだと言えるのではないでしょうか。

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