2010年05月02日
必要なもの=仕事を探せ!!~みんなが求めるものとは何か?
コンバンワ
GW真っ只中、久しぶりの晴天続きで昼間は家族サービスでお疲れのお父さんも多いこと思いますが少しお付き合いいただければ幸いです。
当ブログでは次代の可能性として共同体・類グループの実践事例や成功事例を紹介していますが、今年から新たに当社以外で共同体(的)企業或いはその要素を取り入れている企業を紹介するようになりました。そのきっかけとなったのは類グループが主催する なんでや劇場
内容はこちらに詳しいのでぜひとも一度お読みください。
1/31なんでや劇場レポート1 「遊びの失速」は、何を意味しているのか?
1/31なんでや劇場レポート2 私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ
1/31なんでや劇場レポート3 企業における「共同体的」仕組みの事例
なんで屋劇場でこんなテーマを扱った理由は、当グループに関係するお客様達の正月休暇中の反応にありました。もとより「私権の衰弱」→「私権体制の崩壊」と言う時代認識はありましたがここに来て確信に変わり、近々もっと顕在化する予感に至ったわけです。企業として意識を転換できるかどうかが未来を約束されるキーとなる、そんな問題意識と一種の使命感を持って発信してきました。
改めてレポートを読むと新たな気づきも得られます。特にレポート1に記載されいる図解、これは2010年の最先端の意識潮流を構造化したものですが、いろんな示唆に富んでいます。
気づきとなったのは意識潮流とは潜在的な部分も含めて人々の欠乏そのものではないのかと言うことです。欠乏とは欠けている部分を充たしたいと望むこと、簡単に言うなら皆が「必要とする」ことに外なりません。
図解から読み解く人々の欠乏とは、大きく以下の4点になりそうです。(後段に図解の分析があるので参考にして下さい、→は事例です)
私権或いはその権化である市場原理の対極にある活 動(仕事)
→農業、地域活性化コンサル、過疎地活性化など
特権階級の暴走が巻き起こした諸問題の対極にある (改善すべき)活動(仕事)
→医療再生、老人介護、老人活力向上(役割創設)、教育コンサルなど
真っ当な男女の関係(人類的欠乏かも)
→子育てなど安心基盤の創設、感セレの伝播など
可能性のある認識の吸収すること
→マスコミに代わる事実伝達のNW、認識形成の場、なんで屋など
考えるに、企業とは人々の「必要とするもの」を供給することが存在意義と言えます。逆に私権時代の中心課題であった物的欠乏に応えることから、①~④に示した欠乏(類的欠乏)に応えることが仕事となることこそ未来の企業の在り方ではないでしょうか。
このような類的欠乏に応える仕事や活動、当然企業も、発掘することで、その認識の正しさと可能性さらに未来の共同化に向けた可能性を探りたいと考えます。
題して【必要なもの=仕事を探せ!!】 です。
可能性のある活動や仕事を新しいシリーズとして紹介していきます。
以下に図解(構造認識)の読解を試みました。興味のある方はぜひともお読み下さい。
その前にポッチとお願いします。 🙄
ありがとうございます。
◆生存圧力の消滅→私権の衰弱→市場の縮小 の現実を知る
・生存圧力の消滅とは’70年頃豊かさを実現したことを指しますが、これは物的充足に よりそれまで最大の目標であったお金を儲けることや出世すること(ついでに女性に モテること)=私権を獲得することが衰弱する、言い換えるなら私権が活力源足りえ なくなったことを意味します。別の視点から、昨年、「草食男子」なる言葉が流行語 になりましが、男の性欲がここまで衰弱したことはパラレルの関係にある私権活力が 危機的状況まで衰弱していることを示します。
・さらに物的充足により今までのように物が売れなくなるのは当然で、本来ならこの時 点で市場縮小を前提に様々な施策を打ち出すべきところを、経済成長ありき(GDP信 仰といいますが、新興宗教よりたちが悪い)一辺倒の施策を行ってきたのが政治家、 官僚、学者やマスコミなどの人たちです(特権階級の暴走とも言えます)。行ったの は国家が市場にお金をばら撒いただけで、市場縮小下では消費しきれず余ったお金が 金融市場に流れその結果がバブル崩壊でした。後に残ったのは国の借金900兆円です。
◆私権の衰弱⇒共認収束⇒共同体の構築 の可能性を探る
・私権が活力源足り得なくなったことから顕在化してきた新たな活力源は、共認(共に 認め合うこと)簡単に言うと私権が自己中心であったことの真逆で、他の人の想いや 期待に応えることです。他人の評価を気にしたり、企業など集団内の合意形成に透明 性が求められるのがその表れでしょう。
・また先に述べた経済失策は元より、ゆとり教育による学力低下、医療費削減による医 療崩壊など特権階級の暴走による社会的混乱(秩序崩壊)はここに来て共認収束を加 速させているようにも思えます。心ある人たちによるネットでの事実発信、また昨年 の選挙による反自民、反官僚や反マスコミのキャンペーンによる民主党の歴史的勝利 もその現われではないでしょうか。
・企業も社員は私権追及では活力がでないことに加え、序列体制とトップダウンによる 指揮系統(権力構造)では機能しなくなっている(=私権体制の崩壊)ことを感じて いるのではないでしょうか。さらに市場縮小(ものが売れない)の実態はかって利益 追求が最大の価値であった企業姿勢を社会(人)にとって「必要か否か」の判断をす る姿勢へと転換することを迫られているとも言えます。最近CSR=「社会貢献」が企
業評価の一指標になっています、お上主導の胡散臭さはありますが社会が求める潮流
として理解できます。
・利益第一を目標(=市場原理)として序列体制で成り立つ企業を私権企業と言うなら その対極にあり権力ではなく共認によって体制が成立するのが共同体企業です。
◆男女役割共認の再生⇒共同体の構築 の可能性
・企業の活力を上げるのに女性の存在を再評価すべき時代が来ている。特権階級の暴走 とも言うべき男女機会均等法(背後には生物的根拠の全く無い男女同権論がある)が 施行されて随分経ちますが企業(や社会)の活力は上がったのでしょうか?事実は全 く逆のような気がします。素直に女性最大の能力である「充足存在」としての役割を 生かす仕組み(簡単に言うと女性の肯定視や充足発信が男の活力を上げる)をつくる ほうがはるかに可能性を感じます。この新たな男女共認が企業を変えていく可能性は それを実践している当社だけでなく、なんで屋露店を通じて共感される方々が増えて いることが物語っています。
・現代社会の閉塞感を経済問題や政治問題として語る学者や評論家がいます、一見大局 的な見解として論説されますが、先の図解にある状況認識からはむしろ一側面を論じ ているに過ぎません(だから答えにもなっていない)。ここでは少なくとも男女関係 が社会の最基底にありこれを無視して答えなど導き出せないこと、同様に企業の活性 化には男女役割の再評価が不可欠であることを理解すべきでしょう。
・要は社会(皆の意識)のパラダイムが換りつつある現代、市場原理を離脱し企業が活 力を持って前進する、さらに活力上昇の一手法として最基底の男女役割共認の再生を 現実課題とし実践するには共同体(的)企業が最も適していると言うことです。
◆可能性探索・市場縮小・共同体の構築⇒認識 収束が示唆すること
・特権階級が招いた社会的混乱、その延長にある企業(社会)の危機的状況を突破する にはいくら待っていても答えなど出てこないことはこれまでの歴史が示しています。 であるなら自ら「どうする?」と考えるしかないわけで、その答えを求めて新しい認 識に収束するのが必然とも言えます。
・ただ、企業がその答えに行き着いたとしてもスムーズに移行、実践するには未だハー ドルがありそうです。なぜなら企業(社会)がガタガタになった主因は特権階級が作 った法律や制度であるからです。図解はそのことも示唆しています、ここを突破する には皆の共認(共認の輪の拡大)に委ねられています。
長らく読んでいただき有難う御座いました。 紹介させていただく事例が何らかの気づきになることを期待しています。
- posted by miyashow at : 11:45 | コメント (6件) | トラックバック (0)
コメント
>周りのみんなは「女」として答えることに期待してくれている
「女」としてみんなの期待に応える女は、すべてが可愛い☆
だから男やそして周りをやる気にさせる充足存在なんですね!!
江戸しぐさでは、
汗を流している人を見たら、「汗すごいですね」と声をかけるのではなく、さっと冷たい手ぬぐいを差し出していたそうです。
相手の状況を察して、即実行。これが江戸しぐさの特徴の一つですが、「男」「女」の規範を再生していく上で、参考になりそうなものは多そうです。
いい話ですね。
こちらが余裕が無かったり、焦っていたりすると、余計に子どもは言うことを聞いてはくれません。
周囲が暖かく受け入れてくれたら、余裕がうまれて、子どもを大きく受け止めることができる。受け止められたと感じた子どもは落ち着く、ということですね。
それにしても、優しく見つめてくれたその周りのお友達は、本当にすごいと思います。
「なんでこんな場に子ども連れてくんの?」「病み上がりの子を満員電車に乗せるって、その判断が間違ってる」「周囲の客にも迷惑、仲間と思われたくない」となってしまうのが普通でしょう。
私も、事情があって通勤電車に娘を連れて乗ったことがありますが、「なんなんよ!」という周囲の白い目圧力は相当なものでした。
新聞によると、最近、ベビーカーで電車に乗る母親に対する周囲のバッシングも増えているようです。
イライラしたり虐待したりする母親の問題が急浮上していますが、この問題も、周囲の無理解や非寛容が強くなっていっているのが一因なのではないかと思います。
逆に言えば、そのように大きく受け止めてくれるお友達は、いったいどうしてそのようにできるのか(同じ母親をやっている人でさえ、一般にはそのように寛容ではない。特殊な気がする)、その秘訣というかどうやってそうなったのか、非常に興味があります。
みららさん、コメントありがとうございます♪
こうやって、男・女の役割を分かり合えている関係って組織を強くするんですね~☆
可愛いなんて日常言われていたり、感じていたらなんだって頑張れちゃう気がします☆
羊熊さん、コメントありがとうございますvv
>相手の状況を察して、即実行。
江戸しぐさって、相手に一番フィットする行動なのですね。これも、相手にどれだけ想いを馳せられるかにかかってきますね♪
この行動規範は、昔に学ぶところは多そうです☆
江戸しぐさ、参考にしてみますv
雅無乱さん、コメントありがとうございます☆
>周囲の無理解や非寛容が強くなっていっている
のもあるかもしれませんが、私達の周りのみんなは、少しずつではありますが、「みんなにとっての子ども」として受け止めているからなのかな~と思います。
自分の子ども、誰かの子どもと分けてしまうのではなくて、子どもは誰にとっても子ども。
あとは、その子のことをお母さんがよくみんなに教えてくれるので、甘えてる時の様子や成長したところなどいろんなことを知っているから、受け入れられるというのもあるかもしれません。
それができるのも、記事の最初にある「感トレ」(感謝と謝罪のトレーニング)を通して、女達でさまざまなことをすり合わせてきているからなのだと思います♪
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