2010年08月18日
★シリーズ『会社って誰のもの?』2-3 株式会社=資本主義における最先端様式
こんにちは。
前回は、株式会社にいたる流れを確認してみました。西洋における会社形態の発展は、背景に商業交易の拡大(市場の拡大)という状況下における「私権拡大の歴史」であったともいえます。
<株式会社誕生の歴史>
11世紀 ギルド、教会、自治都市等の法人組織が誕生:法人の起源
13世紀 商業交易の発達により先駆企業(近代以前の企業形態)の誕生
15世紀 合名、合資会社形態への発達・普及
16世紀 国家と市場の結託→重商主義=略奪交易へ
17世紀 株式会社の誕生(1602年 オランダ東インド会社)
参照:株式会社の歴史:現代の企業につながる起源は?
16~17世紀に始まる大航海時代において、株式会社は国家と商人達に多大な利益をもたらしました。そして、オランダに続き、イギリス、フランス、ドイツ等も同じく永続的な株式会社形態による東インド会社を設立していきます。
しかし、それらの成功に反して、イギリス、フランスでは株式会社はそれほど増えてはいません。むしろ、18世紀はその欠点ゆえに強く規制してきたといえます。その発端となったのが「南海泡沫(バブル)事件」です。
エドワード・マシュー・ウォード『南海泡沫事件』
ウィキペディアよりお借りしました
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■南海泡沫株事件 -バブルの起源-
では、その南海泡沫事件とはいったいどんなものだったのでしょうか。
■ 南海泡沫株事件 -バブルの起源-
かつて英国では、株式会社は堕落と醜聞の温床になると懸念され、1720年に株式会社を不法としました。そのきっかけになったのが「南海泡沫株事件」です。
1711年、イギリスでロバート・ハーリー伯爵により南海株式会社が設立されました。
南海とは南アメリカ大陸の海岸のことで、この会社はイギリス政府によって南アメリカ大陸との貿易の独占権が与えられました。この時期、イギリスではスペイン継承戦争の時期に生じた政府債務が問題になっていて、英国債の引き受けをおこなう見返りに、南海株式会社は貿易の独占権を手に入れたのです。
当時、東インド会社が、目覚しい利益をあげていたこともあり、南海株式会社の株に人気が集まりました。イギリスは強大になりつつある国家であり、多くの人が富を蓄えていたという背景もあって株価が急騰します。株価が急騰することによって、突然、多くの人が金持ちになり、それを見た他の人々も「我も我も」とこのブームに殺到し、ますます株価を押し上げたのでした。
1720年の1月には128ポンドだった株価が、6月には1050ポンドにもなりました。しかし、当時の南アメリカ大陸はスペインの支配下にあり、イギリスと南米との貿易の拡大は現実にはありえなかったのです。南海株式会社は、ほとんど事業による利益をあげていませんでした。また、将来的にも発展する見通しはなかったのです。南海株式会社の実態は、次第に皆が知ることとなりました。
ところが、この南海株式会社の株騰貴によって、他にも多くの同じ様な模倣者が多く生み出されていきました。
まともな会社としては、馬に保険をつける会社、石鹸の製造技術の改善を図る会社、牧師館および教区牧師の家を修繕・改築する会社、私生児を受け入れて養育するもしくは病院を建てる会社などがありますが、毛髪の取引をする会社とか、水銀を可搬性の純金属へ変換する会社とか、永久運動を開発する会社とか、海水から金を取得する会社とか、或いは「大いに利益になる事業をするのだが、それが何であるか誰も知らない」という不滅の会社、等々、まるで冗談のような会社が続々と設立されたのです。
この便乗商法の動きに政府が待ったをかけました。
1720年7月には泡沫会社禁止法(バブル法)なる法律が制定され、南海株式会社以外の「株式会社」を禁じる処置を打ったのです。この法律は南海株式会社の株価を維持するための方策でもありましたが、その努力も空しく、南海株式会社の株価は8月に頭打ちとなり、同年12月には124ポンドにまで暴落していきます。その結果、多くの人が破産し、イギリス経済は大混乱となりました。
責任者の追求が始まり、南海株式会社に関与した多くの人が、自殺をしたり、財産を没収されたり、刑務所に入れられたのです。
この「南海泡沫株事件」が語源となり、のちに「バブル」といわれるようになりました。
反ロスチャイルド連盟「日本人が知らない 恐るべき真実」より引用
この事件は、昨今のマスコミや粉飾決算等によってIT企業等の幻想価値を膨らました「ITバブル」となんら変わりはありませんね(当然、サブプライムローンも同じです)。
株式会社は、多くの人が投機的な儲けの機会に参加できるという私権拡大可能性を開き、徐々にそれは大衆へと広がっていきます。そのため、「制限のない自我私権欲求」というパンドラの箱ともいえる人類の弱点構造をも浮き彫りにしてしまったのだといえます。
株式会社は全員が有限責任ゆえに社会的に無責任な行為への歯止めがない、株式を市場原理に委ねるために投機的取引を加速してしまう、その結果として多くの人々に多大な損害を及ぼすという構造的欠陥を当初からはらんでいました。それが、誕生から1世紀たって表面化したのだといえます。
イギリスやフランスでは同時期にそういった株式会社の問題に直面し、むやみに株式会社を設立させないため国家による許可制へとシフトしていきます。
■株式会社の発展と普及
そういった問題点を抱えていた株式会社は、19世紀に入り、アメリカ、ドイツにおいて急速に普及していきます。その背景や原因を探ってみましょう。
イギリスは資本主義の母国といわれるが、その中核をなす企業形態としての株式会社の発展が、(後進国としてのドイツやアメリカと異なり)特殊であった。
すなわち、大規模工場の設立にあたっては、マニュファクチュア時代の資本の蓄積が厚かったために、大衆の資本を動員する必要性がなく、パートナーシップ経営の域をなかなか抜け出せなかったのである。
一方、国際的な経済競争のなかで、後進国としてのドイツやアメリカは、個別資本の蓄積が不充分であったために、大衆の資本に頼らざるを得ず、株式会社の発展を促したのである。
「イギリスでは、マニュファクチャの十分な展開をへたのちに産業革命がいわば自然発生的におこなわれたから、機械を使う大工場の設立にあたっても、後進諸国の場合にくらべれば比較的小さな資本でことたりた。そのうえ重商主義段階に商人資本による蓄積がそうとう広汎におこなわれていたから、社会的に集中された資金にたよらなくても、個人的に蓄積した資金で産業資本が成立し、発展しうる場合がすくなくなかった。」(1960 有斐閣 大谷瑞郎 「資本主義発展史論」)
イギリスの産業革命は、国際競争の進展の中で、後進国の産業革命を促した。産業革命は、各国の鉄工業に刺激を与え、さらに鉄道業に大量の需要が現れる。鉄工業は、大資本を必要とする。この点において、資本蓄積が不充分であった後進国としてのドイツやアメリカにおいて、大衆資本を動員することのできる株式会社制度が利用され、発展をみるのである。
(中略)
世界経済が重工業を中心とする産業資本への形成過程において、イギリスが蓄積された資金の存在ゆえに株式会社制度利用が進まず、結果として世界経済の主役を新興資本主義国たるドイツやアメリカに譲ることになる。
「アメリカにおける株式会社の設立がこのように早くかつ急速であったことは、イギリスにおいてこれが非常に緩慢であったのに対してとくに注目に値する。だが、アメリカとイギリスとの間における事情の相違を見おとしてはならない。イギリスの考え方と政策に決定的な影響を与えた18世紀初頭における気ちがいじみた投機の『泡沫時代』というものは、アメリカでは一度も経験したことがなかった。
(中略)
いずれにしても、このことは、二つのモードの資本主義を形成していくことになる。すなわち、英米流の「アングロサクソン型資本主義」と「欧州大陸流(ライン型またはアルペン型)資本主義」である。
「アングロサクソン型の資本主義は、何ごとも利益追及のチャンスとする果敢さや、ゼロから無限をめざすようなサクセスストーリーで、人々の意識を競争へ、競争へと駆り立てる魅力がある。しかし、その反面、いわば近視眼的で他人にはおかまいなし、投機化、バブル化のリスクいっぱいの落とし穴がある、として描かれている。典型的にはレーガン大統領が鼓舞したアメリカのイメージの中心にある。
一方、アルペン型ないしはライン型は、連帯を大切にする集団主義的な特色があり、視点は長期的で、人間や文化にも一定の場所を与えている。着実で成果も大きいのだが、若者やこれから発展したいと思う途上国や旧ソ連、東欧の人々の夢をかき立てるような魅力には欠ける、という。この分類の典型はドイツであり、日本でもあるとしている」(1992竹内書店新社 小池はるひ訳
ミシェル・アルベール「資本主義対資本主義」の「監修のことば」)
会計のカタロゴスより抜粋引用
産業革命によって、主たる生産様式が農業生産から工業生産へと移行し、その生産手段である機械の購入に多額の資本(お金)が必要となります。そのため、制覇力が資本力となる資本主義社会となっていきます。
その際に、資本集約力がもっとも高い「株式会社」の必要性が高まっていく。しかし、イギリス等の先行して株式会社が発達した国では、バブルへの危険視から規制が厳しく簡単には株式会社は設立できない。
その点、資本主義後進国であるアメリカ、ドイツではそのリスクを知らずに、許可制を廃して、準則主義への規制緩和を行います。結果、様々な産業分野において株式会社が増加し、それが市場拡大に大きく寄与していきます。
この初期の歴史からわかることは、株式会社の強みは「資本調達力」にあり、市場拡大期に一気に事業規模を拡大することに適応した形態であるということです。一方、「有限責任制」や「所有と経営簿分離」という面による弱点、すなわち株式バブル(投機)の発生や、組織による不正や怠慢という問題は残り続けることになります。
なお、注目されることは、資本主義にも、アメリカやイギリスに代表される競争をあおって私権獲得を最大化しようとする「市場原理主義(新自由主義)」と、ドイツや日本に代表される連帯を重視する「集団主義」のふたつの系統に分かれるということです。
おそらく、このことも株式会社のとらえ方において、株主利益重視の考え方と、集団(社員、顧客、地域、社会)重視の考え方の違いに発展する原因かと思われます。
そして、日本においては、株式会社は明治になって初めて輸入された制度であり、当然、日本独特の生産集団の歴史も強く影響していると考えられます。
次回は、日本における生産集団の歴史を振り返りながら、日本独特の株式会社につながる原因を探ってみたいと思います。
- posted by systema at : 20:51 | コメント (1件) | トラックバック (0)
コメント
>バブル期では女性の性権力が頂点に達し、「アッシー」「ミツグくん」などが登場します。
バブルの時代って、当時は当たり前に過ごしていたことでも、あたらめてこの写真なんか見ると、明らかにヘンですね。見ている方が恥ずかしくなるような。
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