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2010年09月09日

いい男への道 -もっと成長するには?-

俺・・・もしかして・・・まるで成長していない・・・
1年目は、ひたすら「頑張る」の世界だったんでこういう気持ちにはならなかったんですが、
はたと立ち止まると「あれ?」となったわけです。


こんにちわ。アンディです
上の文章は、前回のコニシくんの記事の一部なのですが、
「この感覚、、、なんかわかる」というのが最初に読んだ時の感想でした。
というわけで、今日は前回の記事に、レスを付けるような形で書いてみたいと思います。

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社会人二年目になると、当然課題のハードルも少し上がります。
僕は建築設計の仕事をしていますが、
今取り組んでいる仕事では、設計の要であり、一般図と呼ばれる「平面・立面・断面図」を今回初めてまとめました。
(これまでは、主に平面図を担当してきました。)
二次元から三次元へと課題の対象が広がるわけなので、空間把握能力が必要とされます。
(もちろん、平面情報をまとめる時も三次元で考えるのは当然必要です。)

概ね設計が終了した頃、上長に、
「一般図をまとめてみて、どうだった?感想や気付きをまとめておくといいよ」と言われました。
上長には、「だいぶ成長したんじゃない?」という評価も頂いたのですが、
その時は、とっさに
「今回は、やればやるほど、自分の足りないところに気付く、その連続でした」
とだけ答えてしまいました。
一年目と比べて、「できるようになった」という少しの実感もありましたが、同時に生まれた「あれが不十分だったな・・・」という反省点の方が頭の中でいっぱいだったのです。
基本的に僕は楽観的に考える方なのですが、今回の課題では、気持ちがなかなか晴れず、もやもやした気分が続いていました。
そんな時に、るいネットで以下の投稿を読み、はっとしたというか、何か勇気付けられているように感じました。
もし、似たような思いを持っている人に是非読んでもらいたい内容です。

『闘争能力とは、誰よりも先に“出来ていない(負けている)ところを察知する”能力』
(引用:るいネットより)
「違和感の察知能力」とは、端的に言えば、勝つ(可能性)ために『出来ていない(=負けている)ところに対する感度』だろう。
そう考えれば、闘争能力とは、出来ていない(負けている)ところに対する察知能力で、負けているところに対しそれを自己正当化して敗北主義になるのではなく、負けているところをまず素直に認め、勝つために追究する能力。
『闘争能力とは、誰よりも先に“出来ていない(負けている)ところを察知する”能力』
そして、その対象は、自分が出来ていないということよりも、集団もしくは社会としてどうか。
つまり、集団や社会を対象に、誰よりも先に負けているところを察知する能力。

だから、るいネットを読み、やり取りを通じ、そこから感じることが察知能力を磨くことになるし、不可欠になる

どうでしょうか?
実はこの投稿は、経験に経験を重ねた上長のAさんのものなのですが、
課題に対して答えをばりばり出して、皆を導いているAさんが、こんなことを考えているとはとても意外でした。

「負けているところをまず素直に認め、勝つために追究する能力。」
そして、
「自分が出来ていないということよりも、集団もしくは社会として(負けているのか)どうか」という言葉

闘争能力というと、知識やスキルの高低のように思いがちですが、
そうではなくて、何かが欠けているという自覚の強度のことを、それを埋めていくための欠乏の強さのことを、「闘争能力」と呼んでいるのです。

短い文章で、さらりと書いてありますが、とてつもなく深い意味を含んでいるように思います。
Aさんの言葉の意味を完全に把握できているとは言い難いですが、ひとつわかったことがあります。
「成長する」とは、何か到達点があるわけでなく、
Aさんのように、足りないところを自覚する、その連続なんだ、ということ。
こんなことで悩んでいる自分がまだまだ小さいな~、と記事を書きながら感じてしまいました。
まだまだです(笑):blush:
さて、今日はこの辺で。
次回も楽しみにしていて下さいね

 

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