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2011年01月22日

樹研工業:外圧適応=経営とは時代を読むこと

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元気な企業の講演会レポートでは、強さの秘訣は『会社での安心・安定基盤作り』と『時代変化への適応=外圧適応』の二つと紹介されましたが、今日は後者の「時代変化への適応」を紹介します。
世界一小さな歯車を作る技術力と、それを支えるユニークな企業体制で、今やマイクロパーツのトップメーカーにまで成長しましたが、経営の舵取りが少し遅れれば倒産という綱渡り状態の数年間があったのです。この逆境を如何に克服したのでしょうか?
(松浦元男樹研工業社長(写真)著『先着順採用、会議自由参加で世界一の小企業をつくった』より。)
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樹研工業は、1998年頃までは売上の70%を家電、電子部品に依存していたが、現在(2003年)はほとんどゼロに近い状態。21世紀の声を聞くと、お客様であった大企業はすべて中国を中心に他国へ生産拠点をシフトしたからです。
年商30億円程度の中小企業が、数年の間に7割の売上先から仕事をなくしたのです。それを埋めることができなければ破綻です。マイクロパーツの生産、つまり微細加工の技術開発に成功していなければ、いまごろは倒産していた。
実は21世紀の技術はマイクロ化が一つの潮流になると予見し、80年代後半から会社を挙げてマイクロ加工に挑戦、1990年頃から本格的に取り組んでいた。それで何とか間にあったのです。
業界の異変に気づき、誰にも話さず、ことの真実はどこにあるのかと動き回り、情報を集め、一方では新しい業界に微細加工でアプローチをかける。まさに綱渡りの数年間だったが、この発端は、知り合いでもない外国人との何でもない会話からだった。
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気になる言葉が強く残った
1983年頃、私は宮城県にある事務所に向かうため、上野から東北新幹線に乗った。そこでたまたま隣り合わせた外国人と何とはない会話をしたが、その中で気になる言葉が強く残った。モバイル、ポータブルテレフォン、ハンディフォン、マイクロスイッチなどです。
理解できずいろいろ質問してみると、何か世の中の大きな動きが感じられ、電機電子の分野で世界一を自負していた日本がまるで遅れをとっているかのようでした。
外国人はエリクソンという電機会社の日本駐在員で、アルプス電気へ小型のスイッチを注文に行くところでした。
仙台のホテルでいろいろと海外のことなどを思い出していると、突然あることに気がつきました。それはアメリカのデパートもヨーロッパのデパートも、並んでいるテレビがほとんど日本製だったこと。
日本メーカーの技術的勝利が他国製品を市場から駆逐し、外国のメーカーは自主的に家電のマーケットを捨てた。なぜ?朝までコーヒーを飲んで考えたが、確固たる理由は分らなかった。
わが社の倒産が頭をよぎった
それから数年後、フィンランドの女性からノキアのことを、NECの役員からは携帯電話のことを聞き、また弱電では世界のトップを走っていると思っていたトップメーカーの重役さんからは、実はもうトップではないとの話を聞き、ショックを受けた。
そんなある日、突然、一つのアイデアが頭をよぎった。
この変化は明らかに異常だ。もう一度、海外の優良企業を自分なりの切り口で調査してみよう
その結果、結論は一つ、世界の優良企業は家電を捨てた。もはや家電は最先端技術の製品ではなく、コスト競争に明け暮れる雑貨品になり下がった
モトローラー、エリクソン、ノキアは世界の一流企業へ。インテルもよみがえり、世界の弱電は家電から通信技術、IT技術へ大きく移行していた。
しかし、確実に世界一のブランドと技術を持ったわが国の一流メーカーが、いまやゲーム機ぐらいでしかその真価が表わせない
こんな業界地図が頭に浮かんだとき、心臓は大きく音を立て、自社の倒産が頭をよぎった
自社の売上先は7割が家電と電子部品企業だったが、このままでは客先はさらに生産コストの安い地域にシフトすることは明白だった。
課題は新しいマーケットへの参入。それがどんなマーケットなのか、具体的に何もわかっていなかった。しかし新たなるマーケットへの参入がなければ倒産するより路はなくなる
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対応すべき相手は、時代の変化だ
国際化の荒波にさらされたのはこれが最初ではなく、1971年ニクソンショックで一度経験している。
当時は創業6年目で総員8名の町工場。最大の客先が台湾に工場と現地社員を抱えた。このとき国境の向こうを見て初めてビジネス戦略を立てた。
いずれ工場は国外へ、残るのは開発技術と生産技術だけだろうと予測し、小さな会社とはいえ、金型と主力の生産機種である小型の成型機は自社製作に切り替えた。工作機械はいずれもわが国では最高の機械を購入し、「よし、これで世界征服だ」と意気込んだ。
いつも時は流れ、時代は変化を遂げ続けています。企業にとって同業者やコンペチター(競合会社)が真の競争相手ではありません。一番の強敵は時代の流れです。次の時代の変化を読み取り、準備をする。人間の活動、生命の活動の勝ち残りの原則です。
その采配を振り、変化の方向を決めるのが経営であり、経営者の仕事です。
80年代は、次代は国際化と読み、財務を構築して世界8カ国に海外事業所を設立した
1973年にラジオで松下幸之助氏の講演を聴いた。
「手形切りなはんな、苦しいときほどやめなはれ。手形はな、麻薬とおなじでっせ」
経営の神様の言葉、逆らったら罰が当たると、9年かかって支払手形をなくした。
80年代は、大量の外貨の流入、各国から集中豪雨的輸出への非難、どう考えても次の10年は本格的な国際化。それには会社の足腰がしっかりしていなくては動きがとれない。来るべく国際化への準備として財務の構築に向かった。
85年に韓国、台湾、ドイツ、イギリスと海外へ合弁企業(特定目的のため複数の企業が出資してつくる新たな企業)を設立。数年おいて、シンガポール、タイ、マレーシア、中国と合弁企業を設立し、工場をスタートした。
「相互信頼」グループ企業間にはもっとも大切なことだ
合弁企業の客先はほとんどが日系企業なので、営業活動は日本の樹研工業が主体的に動いた。費用はすべて当方持ち。
為替差益が出ても、即刻値引き伝票を作成し不労所得を返却しました。
こういった行動が互いの信頼関係を築いていく大切な、日々の小さな積み重ねなのです。
出資は先方の資本の3割を超えない、配当は要求しない、技術指導料金も禁止が原則です。
グループ企業間には契約書は1枚も存在しません。大きな取引でもグループ間では銀行による証書の発行もありません。
年2回アジア関連企業の代表者たちが集まっての国際会議も、記録はありません。すべて口約束でビジネスを進める。これ以上の高能率な方法はありません。
90年代は幸運に恵まれ大きく体質転換、「21世紀は技術のマイクロ化」
輝ける80年代が終わり、92年インフレ経済からデフレ経済へと折り返した。
中小企業がすべての企業と対等に渡り合うためのもっとも大切な武器は、品質、新技術の開発力、企業存立の基盤である財務の健全さ、この三つ
価格競争をしなくてはいけないような技術的にレベルの低いものは作らない。とくに国際化の時代、人件費の極端に安い国との競争を、合理化と価格で行なうなど、無謀としかいえない、初めから敗北宣言しているようなもの。
私たちは21世紀を迎えるにあたり、新しい世紀はどんな技術を求めてくるのか、いろいろな角度から検討した。そして、幸運に恵まれ大きく体質転換を行なうことになった。21世紀は技術のマイクロ化が大きな潮流の一つになると考えたのです。
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如何でしたか?
中小製造業が大量倒産する時代。世界トップレベルの品質、技術開発力、財務がなければ生き残れない。この経営の大きな舵取りを誤ったり遅れたりすれば致命傷となる。
「一番の強敵は時代の流れです。次の時代の変化を読み取り、準備をする。人間の活動、生命の活動の勝ち残りの原則です。その采配を振り、変化の方向を決めるのが経営であり、経営者の仕事です。」
外圧適応とは時代を読むこと。経営および経営者の本質に触れることができたと思いませんか。

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