2011年02月21日
共認時代への道しるべ~潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
先回お届けした潮流5:失われた40年 では、現在の市場経済において「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実を見てきました。
先進国はどこも財政赤字。国家によって支えられた市場しか存在しないということ。
その後、案の定‘90年バブルが崩壊しましたが、今回は、その後の日本がどのような状態に進んでいったのか?国家運営は迷走を続け、政権はアメリカ追従を続けるばかり、大企業も目先の利益ばかり追求するようになってしまっています。
なぜ、このような状況となってしまったのでしょう
今までのシリーズはコチラ
共認時代への道しるべ~潮流1:共認原理と私権原理
共認時代への道しるべ~潮流2:戦後日本の意識潮流
共認時代への道しるべ~潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
共認時代への道しるべ~潮流4:輸血経済(自由市場の終焉)
共認時代への道しるべ~潮流5:失われた40年
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バブルは必ず崩壊する。案の定、’90年、日本のバブルは崩壊した(その後、’08年、米欧をはじめ世界バブルも崩壊する)。
そして、’95年、バブル崩壊の5年後、相次ぐ金融機関の破綻を目の当たりにして、私権の崩壊が意識(予感)され始める。
半顕在意識に生起したこの私権崩壊の認識(予感)は、私権追求の欠乏を一気に衰弱させ、急速に私権圧力を衰弱させていった。
私権欠乏→私権圧力が衰弱したことによって、私権欠乏発の不満や怒りや要求も衰弱して無意味化してゆく。つまり、「否定」意識が空中分解してゆく。こうして、’95年以降、「否定と要求」の社会党は一気に凋落していった。
そして、「否定」が空中分解したことによって、’70年以来の充足志向→実現志向の潮流が次第にはっきりと顕在化してくる。
それだけではない。私権が衰弱したことによって、「否定」意識と同じく私権欠乏発の「自由(自由追求の欠乏)」も衰弱して無意味化し、空中分解してゆく。
それに伴って、明治以来、市場拡大の原動力となってきた性(自由な性=自我と私権に貫かれた性)の活力も一気に衰弱し、アッという間に女の性的商品価値が暴落すると同時に、男のセックスレスが蔓延してゆく。
性の衰弱が顕在化。セックスレスが蔓延し性は衰弱の一途をたどる。
95年以降、衰弱し続けてきた私権欠乏は、その後’03年、株式が二番底に向かうのを見て追求する活力も消え失せ、遂に私権欠乏そのものが空中分解してゆく。かくして、人々はもはや私権の追求に収束することができなくなり、永い間社会を統合してきた私権収束→私権統合という統合軸が崩壊してゆく。これは、1800年に亙って私権時代を貫いてきた私権原理の崩壊であった。
こうして、人々はどこにも収束できずに収束不全に陥ってゆく。
但し、肉体的な潜在意識は’70年以来、一貫して充足志向から共認収束し続けており、私権の衰弱につれて共認収束はどんどん強くなってきている。従って、収束不全と言っても、それは「否定」も「自由」も空中分解し、私権意識さえ無意味化したことによる顕在意識の収束不全に過ぎない。
収束不全の増大に伴い、遊びさえも終焉。身近な解脱の場であった遊園地も閉鎖が相次ぐ。
(なお、上記の性の衰弱は、人類にとって極めて由々しき事態である。しかし、まやかしの近代思想に染められた知識人たちは、この問題からも目を背らし、ダンマリを決め込んでいる。今や、学者や評論家やマスコミ人たち(=プロと称する者たち)は、何の役にも立たないただの無駄飯食いに成り果てたと見るべきだろう。)
他方、バブル崩壊に伴う経済危機は、人々の間に危機感発の安定欠乏を生起させ、目先の安定志向を強めさせる(注:この危機発の安定志向は、’70年以来の充足発の安定志向とは別物である)。そして、この危機発の安定志向は、「自由」が空中分解したことも相まって、目先の秩序収束の潮流を生み出してゆく。タバコ、セクハラ、食品叩きと続く魔女狩り=マナーファシズムは、この秩序収束の潮流に乗った法曹官僚とマスコミの仕掛けである。
しかも、この目先収束は、秩序収束の段階に留まらず、更に目先の制度収束へと突き進んでゆく。
危機発の安定志向はとにかく不安解消。その排他性が、これでもか!と駅に貼られたマナーポスター。
豊かさの実現以来の充足志向→実現志向の大潮流は、’95年、私権意識の衰弱が顕在化したことによって、一段と強くなっていったが、同時に、危機発の目先の秩序収束の潮流が生起したことによって、実現志向と秩序収束の合流点に目先の制度収束の潮流を生み出していった。既存の制度の枠組みの中での、授業や試験や資格への収束が、それである。
中でも、子供や若者の試験制度への収束は、小学生の時から勉強漬けで「勉強しか出来ない」無能エリートを大量生産しただけではなく、学歴が生涯の身分をほぼ規定する学歴身分社会を作り出し、社会を少数の特権階級と多数の下層階級に分解してゆく。
一億総中流の時代は終わった。新学歴社会の始まり?
1800年に亙って私権時代を貫いてきた私権原理は崩壊し、人々は収束不全に陥ってしまった。にもかかわらず、社会を導く筈の統合階級のどこからも根底的な答えは出てこない。
社会は、混迷を極め、危機発の安定志向からマナーファシズムが台頭し、統合階級からは増税やTPP参加など目先的な政策しか出てこない。
その一方で、新たな学歴社会が生まれ、その特権にしがみつき暴走する少数の特権階級がさらに生まれようとしているのです。
次回は、統合軸を失った社会「暴走する社会」をお届けします。
- posted by tamimaru at : 23:17 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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