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2012年01月26日

自然の摂理から導かれた概念装置で統合する ~名南製作所~

みなさん、こんにちは
今日は、合板製造機械の製造・販売を手がける「名南製作所」をご紹介します
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名南製作所は、企業経営者の間では有名な会社で、「不思議な会社」と言われています。いったいどんな会社なのでしょう??
今日は、その不思議の中身に迫ってみたいと思います
まず最初に、名南製作所の特徴を、創業者の長谷川克次氏(現在は社長ではなく取締役相談役)の言葉でつづったブログ
F=maの経営 君が入社したなら、物理学を基礎から学ばなければならない
からみていきます
いつも応援ありがとうございます

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1.長谷川氏の経験 
上記のブログのポイントは、

・「自分たちで一から機械をつくろう」と言って物理の勉強から始めた。(毎週月曜日の朝から4時間勉強している。)
・ニュートンの第二法則「F=ma」を社是としている。
・入社案内には「物理学を基礎から学ばなければならない」と「決して優遇しない」と書いてある。
・入社試験は物理の簡単な問題だが、正解かどうかを見るのではなく、考えるプロセスを見る。考えない人や知ったかぶりをする人は不合格。
・入社試験の試験官は、後輩が欲しいと名乗り出た若手社員が中心。採用したら自分で面倒を見ることになるので、試験官は必死。
・社員の給料は「給料委員会が決める」。
・役員の選出は入社5年目以上の中堅社員が株主となり一人一票で投票して決める。(社員は経営者でもあり株主でもある)
・他人の運命を自分が決めるという重大な責任行為を体験しあう。

概して、普通の会社では見かけない、一風変わったことが行われています
でも、「なんでそこに行き着いたか」。ここが気になります 🙄
そこで、長谷川氏が若い頃に経験したことを手がかりに考えていきたいと思います (以下、書籍『不思議な会社』(鎌田勝著)を参考にします)

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経験1:労働闘争

長谷川氏は、昭和2年 鳥取県生まれ。名古屋に出て、高等小学校を卒業して15歳で木工機械の製作工場に就職します。その後、職を転々として経験を積みつつ、敗戦を経て、当時、隆盛を見ていた「労働運動」のリーダーとして在籍中の会社と闘います。しかし、GHQの圧力や経営者の不手際などがあって、その会社が潰れてしまいます。
このとき長谷川氏は「いくら労働者のために献身的に闘っても、会社が潰れてしまっては元も子もない」ことを痛感したといいます。

経験2:在来の会社経営への疑問

失業してしまった長谷川氏は、木工機械の大手メーカーに就職し、さらにその下請け鉄工会社に転職します。この鉄工会社は小さな会社で、長谷川氏は設計~営業全てを任され、奮闘します。その甲斐あって、大ヒット機械を次々に世に送り出し、小さな鉄工所は下請けを脱します。ところが、この経営者は、売上げの急増に伴って、資本の論理を醜く主張。利益の独り占めをするに至りました。
このとき長谷川氏は「在来の経営のあり方に根底から疑問を抱く」と同時に「理想的な会社は自分で会社をつくるしかない」という決断に至ったといいます。

経験3:大学という権力体

「自分で会社をつくる」と決心した長谷川氏は、昭和27年、26歳の時に名南製作所の前進となる名南機械研究所を一人で設立します。それから5年間ほど、必死に働いて従業員25~6人の会社にまで成長した時、長谷川氏は「会社を発展させるためには、片腕になる技術的同士が必要だ」と考えます。そして、地元の名門 名古屋大学と名古屋工業大学に乗り込んで、教授に「あなたのところの学生をください」と頼み込んだのでした。
・・・ところが、教授の反応は「あなたは何か勘違いしているのではないか。うちの卒業生があなたのような会社に行くと思うのか。」というものだったといいます。
これに対して、長谷川氏は「国立大学というのは、名南製作所を含めた国民の納税によって運営されている。しかし、学生は大企業ばかりに就職しようとし、教授も大企業に何人学生を送り込んだかで己の権威を高めようとする。全くけしからん。」と憤慨。「社員は、自分自身で教育せねばならない。その前に、自分自身を教育せねばならない」と思い至ったといいます。

ここまで、長谷川氏の苦労は察するに余りあるところです

従業員の多大な努力は経営者や株主に搾取されるだけで報われず、その対抗策である労働三法で会社に詰め寄ると会社が潰れる。有能な若者を社会に送り出すための教育の場は、権力に擦り寄る組織に成り下がっている・・・。これらの経験を一言で言い表すなら、近代思想を前提にした「私権観念」の無用さを身をもって知った、ということになるでしょう。

戦後~高度経済成長期の時代、誰もが信じて疑わなかった私権観念の欺瞞性や限界にいち早く気づいたことから名南製作所が生まれます。

2.自然の摂理から学ぶことの重要性

 
創業から苦節10年。当時を振り返って、長谷川氏は以下のように述べています。

「10周年の時、当社は従業員56名、年間売り上げ2億7千万円のベルトサンダーの専門メーカーに成長していたが、そのままでは他の会社と同じものになってしまうことを私は恐れた。私は改めて職場社会のなかで、人々が生きがいを感じる体制はどういうものであるべきかを考え直した。
結果はこういうことだった。
つまり、人々は自己の向上を欲求し、それが自覚されたとき充足感を覚える。またものを完成することに生きがいを感じる。しかし、現実の職場環境は、あまりにも業務・作業が細分化されているために、能力の開発・向上は期待できないし、いわんや完成の喜びも味わえない。
だが、昔の職人、たとえば大工職人は自分で商談をすすめ、設計し、材料を仕入れ加工し、組み立て、そこに大いなる充足感をおぼえていた。そのシステムを会社業務に取り入れ、適用すべきだと考えたのである。
~中略~
私は、従業員たちが全ての仕事をこなす能力をもつことを目標にしたのだ。
~中略~
私はその反省と同時に全社員の教育にとりかかった。」

理想とする総合的な能力をもつ人材をどのようにして教育していくのか。これに対して、長谷川氏は、物理一本槍の徹底教育を行うことに決めます

その理由は大きく二つ。
まず、一つ目は、名南製作所が機械メーカーであること。回転運動などをする工作機械の設計には物理学の理解は不可欠であるためです。しかし、もう一歩深いところに二つ目の理由があります。
それは、物理学の勉強を通じて、ものの本質を謙虚に見つめる訓練をすることは、機械の理解と設計だけに必要なのではなく、全てに通じていることを長谷川氏が発見したためです。以下、長谷川氏の言葉(昭和45年)を引用します。

『F=maをルールとする』

理解することがすべて

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人が生涯を通じ、悠然と泳ぎきる強靭な精神力は、F=maの確然たる物性観によって他のいかなる文化よりも明確に開眼させられる。いったん開かれたこの心の目は、永遠に衰弱することなく、心の青春に美しい光と雄渾な希望を与え続けるであろう。
理解しなければ、絶対信ずることができない。これが、大自然の法則F=maに内在する動かすことのできない心である。

~中略~

小我を捨て、大我に生きる客観的な視野、相手の立場に自分を置き換え得る、仏のような広大無辺の世界に入る可能性は、「科学する心そのものだ」と断言してはばからぬ。
人を安易に信ずるまえに、人間が本来持っている性質自体を解明することが絶対に優先せねばならぬ。

~中略~

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しばらくして、次のごとき断言ができる。
F=maこそ、あなたの悩みのすべてを見事に解決する扉のただ一つのカギであると。
そして、それは、一部の「思想」でも「宗教」でもなく断固として「自然科学」である。くどいが、F=maを信ぜよといっているのではない。人の心が自然のなかに溶け込んでいくのも大自然の摂理であり、F=maを信じきれないのも大自然の真理である。
必要なものは、大自然から与えられた理解するというあなたの自発的な意思だけであ
る。

~中略~

変わらぬは自然の法則のみ 

~中略~

 
さて、あなたはいま、何を本当に信じて生きているか。もう一度静かに胸に手を当てて考え直してみよう。
「金か」「物か」「友人か」「恋人か」・・・略・・・「国家か」「自分自身か」。では質問する。そのものは時が経てば変化するか、いつまでも変わらないかよく考えてみたまえ。

~中略~

変わる可能性が絶対あるものを、はじめから当てにして、変わったからといって文句をつけているあわれな姿を、英語で「ナンセンス」という。「いつまでも変わらないのは自然の法則だけである

自然の法則は不変であり、自然の法則の中にある「心」を理解すること。それによって、様々な事象が読み解けるようになる、と長谷川氏はいっています。
私たち人間は自然の摂理のごく一部であって、特別な存在ではありません。「自然の摂理を学び続ける」というこの文章からは、謙虚に学ぶことを重視する姿勢が見て取れるでしょう。

最後に、自然の摂理に学ぶ重要性について、るいネットの投稿から引用します。

知識の蓄積の落とし穴

学校の勉強が面白くないと感じる学生と、
勉強熱心でいろいろ本を読み漁っているんだけど、なんか今ひとつスッキリできないという社会人を良く見かけます。

一見、対照的な二人ですが、実はこの2者は、全く同じ構造で収束不全の状況に陥っていると言えるのです。

というのも、
彼らには、共通して言えることがあります。
それは「情報(知識)の蓄積こそが、答えを出せる道だ」という強い思い込みをしているということです!

確かに、知識が増えれば、選択肢が増えるし、判断材料も増えるんだから、「なんか良さそう!」「可能性が広がりそう!」という様に見えるかもしれません。ですが、それこそが落とし穴となっているのです。

つまり、一見良さそうに見える状況が目先的な判断を促し、知識の蓄積だけに捉われてしまうという状況を生み出しているのです。この状況は、その知識(情報)に至るまでの全体のつながりや関係性を見えにくくしています。つまり、知識が成立した過程を見ていないわけです。これでは、覚えることが膨大となるばかりで、答えや方針を一向に出せないという状況に陥ってしまいます。ですから、勉強が面白くない、勉強しててもスッキリしないと言う結果へとつながっているのです。

考えてもみてください。知識を蓄積するだけで、現実の場面で「答えにつながった!」という場面に遭遇したことは、かなり限られた場面ではなかったですか?それもそのはずです。知識のインプット→アウトプットの関係だけでは1対1対応の関係性でしか効果が発揮できないのです。つまり、蓄積した知識を現実の問題に対する答えや方針として体現化するには、もうひとつ重要な行為が必要不可欠となっているのです。

それは、頭の中で断片的な状態にある知識を統合するもの、つまり、知識を大きな幹でつなげる作業が重要となります。ここで云う「幹をつなげる」行為とは、根本となる原理(つながりや構造)を見出すことです。これは、自然の摂理に代表される生物進化、歴史、社会構造、意識潮流、物理法則etcの普遍性のあるものから事実を追求していくというスタンスのことです。これが核となり幹となることでぶれない思考ができるようになり、現実問題に直面した時の方針、答え、可能性を導き出す原動力へとつなげることができるのです。

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名南製作所の社是:F=maは、断片的な知識をつなぎ合わせる根本原理として位置づけられています。そこには、好きとか嫌いとか、個人的な感情は介在しません。誰もが認める事実を構造化していく、いわば「事実認識」です。

名南製作所のいう「F=ma」は、我々は、『事実の共認を羅針盤にしていく』 という宣言であると思います。
 
来週は、この「事実認識」によって運営される名南製作所の具体的取組みについて紹介します
ご期待ください
文中の画像の一部はコチラからお借りしました。
参考サイト
リンク)(リンク)(リンク

 

コメント

本当に可能性を感じるエントリーだったと思います。毎回このネットワーク事業の報告には感動しています。
そしてなんか上手く説明出来ませんが、感謝しか感じません。ありがとうございます。

  • 村上健(SSS)
  • 2012年11月11日 07:44

村上さん
とても嬉しいコメント、そして期待感と感謝、ありがとうございます。
企業を通じて、人と社会を本気で支えてくれている方々との出会い、そして課題共認を通じての充足はとても深く、ここちの良いものです。
これからも、さらに充足基盤が拡大していくと信じて突き進みますので、今後とも楽しみにしていてください。

  • 川井
  • 2012年12月7日 22:22

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