2012年11月14日
地方自治は今後どうなるのか?~中編~
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前回の記事では、「地方自治って何?」という問いから始まり、以下のような実態と疑問が浮かび上がってきました 🙁
○「地方自治、地方分権」というものの、実態は国で決められたことの下請け仕事が大半で、地方が主体性・独自性を発揮している領域はほとんどない。そもそも法制度含めそのような仕組みになっていない。要するに、地方自治というに相応しい自主管理の中身がない。
○「公務員」はこんなに必要なのか。これだけの人数、人件費とも多すぎるのではないか。民間企業に比べて役所の組織体制が最も時代遅れという不思議(社会正義を掲げているのに、自らは忠実な序列体制、公務員だけいまだに組合運動が盛ん)、いったい何故
○「議会、選挙」は何のためにあるのか、必要なのか。そもそも数年に一回投票するだけで、自治に参加していると言えるのか。大衆は税金を納め、たまにサービスを受けているだけで単なる消費者のようなもの。この状態を「自治」とは到底言えない。
自治=自主管理の精神は、「自分たちの生きる場を、自分たちの手でつくってゆく」ことにあるのですが、地方行政の現状は少なくともそうなっていません。これはどういうことなのか? 今回の記事では、ココを追求してみたいと思います
日本の歴史を辿ってみると、「地方自治」という言葉がなかった時代のほうが、また専任の「公務員」もほとんど存在せず、「議会、選挙」もなかった時代のほうが、地方の自主管理が実態として行われていた、つまり自主性・自治性がはるかに高かったように思われます。
そう考えると「民主主義が浸透するほど自治が失われているのでは?」という疑問が湧いてくるのですが、、、
まずは日本の地方自治の歴史について整理してみたいと思います
■江戸時代の幕藩体制下、地方自治はどうだったのか?
・江戸時代は大きくは、幕府-藩-村落共同体(大衆)という社会構造です。幕府直轄の仕事は、貿易、国防、金の採鉱などに限られ、決して多くはなかったようです。幕府と藩との関係では、参勤交代や公共事業の費用と労働力の供出などはありましたが、藩による地方自治、裁量が大きく認められていました。軍事も藩の自前ですし、さらにはお金(藩札)の発行も藩に任せられていたくらいですから、藩は基本的に幕府から独立した機構でした。藩の側から見れば、幕府はいわば御神輿、それで体制が安定するなら幕府を担いでいた方が良いという感じだったように思えます。
・大衆は村落共同体における自主管理、自給自足が基盤です。村の規範(法制度に近い)も共同体の構成員=大衆自身が決めていました。教育も自前(武士の子弟は藩校だが庶民は村落の寺子屋)、婚姻制度さえも村落共同体の自主管理に任されていました。教育内容も、婚姻制度も村ごとに異なるのが当たり前という世界です。現代では信じがたいかもしれませんが、これが当然だったわけです
・大衆から見れば、藩は今の地方自治体(武士階級が地方公務員)のようなものとも言えなくもないですが、実態としては、お上は捨象して大抵のことは自前でやっていた。藩から見れば幕府は御神輿という感じ(大衆から見れば幕府という存在自体ほとんど意識に上らなかった可能性が高い)で、日本人の縄文体質、お上捨象の共認充足第一が積み重なったような構造だとも言えます。
○江戸時代の村落共同体の大衆には「地方自治」という言葉はなくとも、「自治=自主管理が当たり前」のこと、ごく自然なことだったのです。おそらくこれが、縄文以来、ほとんどの日本の地方、村落共同体が歩んできた姿だったのではないでしょうか。
■明治~戦前の中央集権体制はどのように形成されたのか?
・明治政府下の新体制により、行政は一気に中央集権化します。明治憲法には地方自治に関する規定は全くなく、知事は天皇の任命になる国の官吏、市長は議会で選任されたものを天皇の承認を経て任命、また町村長も議会で選出されたあと知事の許可を必要としました。要するに地方行政は中央官庁を頂点としたピラミッドの末端と位置づけられました。
・こうした中央集権化の第一の要因は、「国家間の戦争圧力」でしょう。こうした国家間の戦争圧力が近代に入って上昇してきた背景には「近代市場」の形成と「金貸しによる支配」があります(金貸しが国家をそそのかし、国際市場形成と戦争を推進)。この国家間戦争のやっかいなところは、地方分権体制を維持していては勝てないことです。国内の資源と労働力を結集して国家総力で対応する必要がありました。(人類の歴史上も古代国家の最も原型的なかたちは、部族を超えた「武装集団=軍隊」であり、もともと国家は戦争という同類闘争圧力に対応するために形成された超集団です)
・このように国家間の戦争圧力に対応するために、国を挙げて「富国強兵・殖産興業」を推進する必要があり、そのために中央集権的な官僚体制を構築、地方はその末端に組み入れられることになりました。これによって日本古来の村落共同体の自治=自主管理の姿は大きく変容していったのです。殖産興業のための大量の労働者が必要になり、人口は都市へ移動し、全国一律の学校教育制度も設けられました。社会の構成単位が村落共同体であったのが、徐々に解体されてゆく過程です。
・第二次大戦後、国家にとっては専ら「市場拡大=経済成長」が目標となります。大衆的には個々人の豊かさ追求が第一という価値観です。これによって村落共同体は致命的に解体されてゆきました。共同体から切り離されたバラバラの家庭・個人がそれぞれに私権追求に励むことが是とされ、地域社会のことは誰も考えなくなってしまい、結果的に地方の自主管理、独自性、創造性は失われてゆきます。戦後言われるようになった「民主主義」の実態がこれです。
○歴史を辿って明らかになったのは、古来からあった「共同体」と、近代以降に組織化されてきた「自治体」は出自も原理が異なるということです。共同体は農漁村から、自治体は都市からという言い方もできます。都市というバラバラの家庭・個人が私権追求を行う場において、利害調整を行ったり、自給できなくなった、自前で担いきれなくなったサービスを行う機関として必要になったのが自治体という機関なのです。
(世界史を見ても、共同体の時代には地方自治の問題は存在しない。戦争、貨幣の浸透という二大要因によって中央と地方の問題が登場します)
○行政の歴史は戦後どのように変わっていくのでしょうか。教科書やマスコミでは、「民主化の流れ」「地方自治、地方分権の流れ」が拡大していったと言われることが多いですが、極めて怪しいというか、たぶん嘘なのは明らかです。
生活者としては地方自治が広がったという感覚はほとんどないし、地方自治体が独自の政策を立案し実行しているという認識もほとんど持てないし、少なくとも江戸時代の藩ような自治裁量権を今の地方自治体は有していないし、大衆自身も自治=自主管理の場を有していません。
そう考えると、戦後の「民主化」「民主主義」とは何だったのか、現在言われる「地方自治・地方分権」とは一体何なのか、根本的な疑問を感じます。
■地方自治の戦後史
①GHQによる日本弱体化、民主化=市場化のための地方制度改革の推進(1945~50)
現在へとつながる地方自治の仕組みの骨格は、戦後間もなくつくられます。
当時のGHQの狙いは、中央集権から地方分権へ転換させることによる日本の弱体化工作でした。そこで、軍部や政界だけでなく、官僚機構をも解体し、日本の権力機構を地方に分散させ中央集権化を防ぐことで、日本の再台頭を防止しようと画策しました。
同時に、日本全土を市場化し、金儲けを目論みます。そのために使ったのが民主主義という理論です。民主化とは、言い換えれば集団の解体であり、個人個人をバラバラにすることで、市場に頼らざるを得ない状況をつくり出すことです。つまり、必然的に国民を私権追求へと駆り立てる政策であり、市場化と同義なのです。
○市場拡大のための地方自治の骨格の形成期
・日本国憲法と地方自治法の同時施行
→地方自治の骨格(二元代表制(=首長と議会)、都道府県と市区町村の二層制)の確立と総合行政主体としての地方公共団体の役割を決定
・知事の公選制、警察・教育の民主化推進
・農地改革(「民主化」の名の下に、農民をバラバラの私権追求の主体(=市場の消費者)に貶めるための基盤作り)
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②高度成長を促進するための再集権化(1950年代)
1950年の朝鮮戦争など、東西対立が激化する中で、日本はアメリカにとっての極東の最前線基地に位置付けられます。アメリカは極東で力を維持するため、忠実な部下としての日本の再強化(=集権化)路線へと転換します。市場拡大のための民主化は推進しつつ、政治家を掌握していきます。
日本政府は、進みつつあった地方自治体への権限委譲を鈍化させるとともに、第二次産業を活性化させるための住宅整備、工業都市の建設を推進し、市場拡大の基盤整備に注力します。地方自治体もそれに倣い、朝鮮特需以降、日本は高度経済成長期に突入します。日本経済は、類を見ないほどのスピードで急速に発展していきます。
○地方自治が市場拡大のための政策に特化
・自治体警察の再編、教育委員会の公選制の廃止
・地方公共団体の事務領域拡大の中止(道州制の導入の中止)
・1951年公営住宅法
・工業用地の造成
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③市場化による歪みを更なる市場拡大に利用(1960~70)
60年代に入ると、市場化⇒都市化に伴う歪みが次々と表面化し、地方自治体は都市問題への対応を迫られます。
地方自治体は、市場拡大を維持しながら都市問題に対応します。日本全土で継続的に開発が進められ、都市は郊外へと拡大していくとともに、公害問題をはじめとする都市問題に対し、規制をかける、大量の資金を使って各種インフラを整備することで対応します。都市問題を、更なる市場拡大の道具としていくのです。
市場は継続的に拡大、70年にはついに豊かさを実現します。
○市場化→格差拡大の歪みの補正(インフラ整備、公害対策etc.)
・民主化、市場化が進むにつれ、共同体の成員みなで担ってきた機能は徐々に自治体の役割へ。(単なる代替機能)
・地方自治体は、都市化による公害問題、住宅問題、通勤・通学問題、福祉、教育などへの早急な対応を迫られる。
→住宅建設、交通網整備、学校建設、社会保障の充実等。
・住民運動、権利運動が盛り上がり、都市部で革新自治体が次々に誕生
・地方自治体の計画行政の本格化。地域開発計画に主眼を置いた都道府県の総合計画。
・全総などによる国から地方への資金供給。
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④財政出動で市場拡大を支援(1970~1990)
豊かさを実現したことで市場拡大が停止、高度経済成長期の花形産業が軒並み後退します。市場拡大を維持するため、地方自治体を含む公共団体が巨額の財政出動を行います。
しかし、使い道はリゾート開発などの旧来型、目先的なものに留まります。全国の自治体がこぞって開発に乗り出すことで、リゾート開発ブームが起こり、土地バブルに拍車をかけることにもなります。目先の市場刺激策に溺れ、経済のバブル化を促進するとともに、財政状況を急激に悪化させてしまうのです。
○積極的な財政出動による財政赤字化
・市場拡大を維持すべく、積極的な財政出動。リゾート開発、箱物、福祉への財政出動など。
・財政を考えない目先の出資により、財政赤字に転落、一気に深刻化。
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⑤役割を喪失し、迷走(1990~2010)
バブル崩壊に伴い、私権観念が完全に瓦解。市民共通の「豊かさの実現」という目的が失われ、自治体は役割を喪失します。どこの地方自治体も、独自の政策を立案することはできず、全国一律で高齢化、少子化などの問題に取り組むようになっていきます。
○地方行政の混迷、金は使うが、誰も幸せにならない時代へ
・バブル崩壊に伴う経済状況の悪化→製造業など、地方企業が東京に本社移転→地方都市の力の衰弱(金、影響力とも)
・革新自治体は結局批判しかできず、公害問題等のわかりやすい問題が争点ではなくなり、財政の悪化が表面化すると、次々に転向・落選して衰弱
・権利(要求)運動も衰退、一部の特殊な要求主体に対応or福祉の充実へ
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■戦後「地方自治」とはなんだったのか?
地方自治体は、戦後一貫して市場拡大と、そのための共同体の解体を推進してきました。地方自治体とは、自らが推進する市場化→都市化(=共同体の解体)による歪みを補正し、共同体の解体で失われた相互扶助機能を代替する機関です。つまり、市場化すればするほど、集団を解体すればするほど役割が増えていく存在です。だからこそ(無意識的に)市場拡大をひたすら支援してきたということなのです。これが、地方の時代などと言われながら、実際にはどの地方自治体も独自の政策を生み出すことができていない、根本的な原因でもあります。
1970年以前は、豊かさを実現するためにみんなが市場拡大を望んでいました。だからこそ、地方自治体の役割も明確でした。しかし、豊かさが実現し、市場が縮小過程に入ると、地方自治体の役割は根本的なところで消滅してしまったのです。
別の視点から考えても、共認原理に転換した現在は、共通課題こそが活力を生み出します。そうした状況において、共同体(集団)で担うべき共通課題を自治体が担うことは、市民の活力を奪うことにつながってしまっているとも言えます。
つまり、豊かさが実現し、人々の意識が私権(権力・金etc.)から共認へと大きく転換した現在、地方自治体の存在意義そのものが問われているのです。
あらためて現在の「道州制」等の地方自治に関する論議を見ると、道州制推進派も反対派も、旧来の私権原理の枠組みの中にあることは明らかです。(参考:リンク)つまり、地方自治に関する問題の根本的な答えにはなり得ません。
地方自治の歴史を直視するならば、市場拡大を推進し、共同体の解体=「自治」の機能不全を引き起こしてきた、民主主義そのものをあらためて考える必要があります。
■民主主義になると自治=自主管理が姿を消すのは何で?
歴史を振り返ってみて明らかになった様に、自主管理という意味での自治は、封建時代の方が本物であり、近代、戦後と民主主義が拡大するにつれて、どんどん自主性が失われてきました。なぜ、こんな事になっているのでしょうか。民主主義と地方自治の関係を整理すると次のようになります
民主主義思想の中心にあるのは個人の自由です、ここで言う自由は私権追究の自由です。つまり、民主主義とは私権追究を正当化し市場拡大を押し進めるために作り出された思想なのです。そして、この民主主義思想は、金融資本家たちが国家権力から社会の支配権力を奪い取るために作り出された思想でもあります。
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民主主義制度は、金融資本家たちが国王の権力に対抗するために議会を作ったことが始まりです。民主主義制度が始まった当初は選挙に参加出来るのは資本家などの一部の特権階級に限られていました。その後、成人は全員が選挙に参加出来る用になり、表面上は大衆が権力の一部を持っている様にカモフラージュしていますが、実態としては、金融資本家が支配したままです。
選挙の勝敗を支配するのは世論ですが、その世論形成の武器である学者やマスコミを動かす力=金の力がない大衆は選挙制度で何も実現出来ません。民が主と言われて、主権者になったつもりでいますが、消費税増税も、原発再稼働も、何も止められないのが現実です。
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金貸しからすれば、大衆が社会の事を考えたり自主管理などしてもらっては、思うままにならず困るのです。大衆は市場拡大のための道具として、労働と消費だけをしていればよいのです。そのために、昔は、地域共同体の中でみんなで担っていた共通課題(社会課題)を、公共=役人が独占的に担うようにすして、公共=役人たちを統括する政治家を、選挙で選ぶ選挙制度を組み込みました。その、役人を4年に1回だけ選挙で選ぶ制度に地方自治とか民主主義とか言う名前を付けて、いかにも民が主であるかのように装っていますが、実態は先にも述べたように大衆は金貸しに洗脳され誘導されており、自治=自主管理などどこにもありません。
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これまでは、大衆も私権追究第一、市場拡大第一の価値観に完全に洗脳され、だれもこの民主主義制度に疑問を持たずに来ました。自分のことだけ考えていれば良い身分に安住し、あまり、みんなの事を考えようとしませんでした。しかし、社会が豊になり、私権追究よりも心の豊かさ=共認充足を重視するようになってくるに従い、大衆もこの騙しに気が付き始めています。共認充足の時代には、私権を獲得して得られる喜びはどんどん小さくなります。そして、誰かの役に立って喜んでもらう事、社会の課題を担うこと、社会を自主管理することで得られる精神的な充足が、どんどん大きくなってきているのです。
今大衆が望んでいる本当の改革は、自治体の線引きを変えるだけの小手先の改革ではなく、本当の自治=自主管理を実現していく抜本的な改革です。
参考
実現論:序3(下) 民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
金貸しが大衆を利用するための民主主義、大衆には名前だけの民主主義
中編では、地方自治の歴史を扱ってきました。
いよいよ後編では、共同体社会における地方自治とはどういうものか
そしてその萌芽を感じさせる先進的な事例を紹介していきますので、お楽しみにしていて下さい 🙂
- posted by kazue.m at : 10:52 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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