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2013年01月29日

物流業界の可能性は?~中編 その1~

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前回の記事では、現在の物流業界には3重の圧力(輸送量の頭打ち・物流コストの削減・同業者の激増)が圧し掛かり、危機的状況下にあることがわかりました。
前回記事:物流業界の可能性は? ~前編~
今回は、危機的状況下にある物流業界の突破口を探るために、まず物流業界の歴史を見ていこうと思います。
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以下の表は、時代状況と意識潮流から読み解く「物流業界の動向」をまとめたものです。
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*拡大画像はこちらをご覧下さい
ここでは、物流業界における歴史的変化
・トラック輸送の拡大(戦後~1960年代:大量生産・大量消費の時代)
・宅配便の誕生と拡大(豊かさの実現した1970年代~)【次回記事】
・SCMの隆盛(バブルが崩壊した1990年代~)【次回記事】
に注目していきたいと思います。

■トラック輸送の拡大(戦後~1960年代:大量生産・大量消費の時代)
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1.国内輸送の主役が鉄道からトラックへ
戦後~1960年代は政府の「所得倍増計画」に後押しされて高度経済成長大量生産・大量消費の時代に突入、輸送需要が急激に拡大しました。その結果、鉄道や内航海運(※)と言った既存の輸送手段だけでは増大した輸送需要を満たすことが難しくなり、この需要に応える為、台頭してきたのがトラック輸送です。
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車両の大型化、高速道路など道路インフラの整備が進展したこともあってトラック輸送は急成長を遂げます。「貨物輸送量の推移グラフ」(リンク)によると、トラックの貨物輸送量は1950年僅か50億トンキロであったものが1970年1360億トンキロ、20年間で約27倍に膨れ上がったのです。また貨物輸送のシェアは1950年鉄道が51.9%に対してトラックは8.3%であったものが、1970年鉄道18.8%に対してトラックは38.8%と大きく逆転し、やがて国内貨物輸送の主役につくことになります。
*内航海運とは、船で国内の港から港へ貨物を運ぶのが「内航海運」主な貨物は鉄鋼製品、セメント、石灰石、穀物飼料、紙、自動車、砂利、日用雑貨、食糧、石油製品、LPガス、石油化学製品等
上記グラフは、社会実情データ図録よりお借りしました。
2.なぜトラック輸送が主役になったのか?
◆直接的要因◆
トラック輸送が拡大した理由は、直接的には道路(特に高速道路)整備なしには考えられません。ではなぜ道路整備が必要であったのか?戦後間もない頃の道路事情は劣悪であった故に喫緊の課題として施策に挙げられたのは当然の事として、3点ほど理由が考えられます。
①戦後整備の発端がGHQの指導と資金援助で行ったことが象徴するように道路整備は「軍事用インフラ(軍事物資の輸送道路)」として不可欠であったこと。
「所得倍増計画」=経済成長戦略の中心をなすのが、自動車や家電等耐久消費財の産業育成→生産拡大だった(下記グラフ参照)、特に1965年から始まるモータリゼーション(自動車の普及)の拡大は凄まじく、道路整備が全く追いつけないほどの勢いでしたが、その外圧を受け年々延長されていったこと。
参考:高速道路の延長距離1963年に71km(それ以前は0km)、1973年に1214kmとなり10年で約17倍(国土技術政策総合研究所資料より)
③経済成長戦略がもたらす大量生産・大量消費の状況は、これまでの鉄道や内航海運の拠点間輸送では到底賄えず、これを補完する物流インフラとしての道路網が求められたこと。
◆間接的要因=背景にある意識潮流◆
戦後~1960年代の日本は誰もが食べるのに精一杯の貧困の時代であったと言えます。今では想像も出来ない貧困からの脱出こそが最大の欠乏であり、その唯一の手段が私権獲得(お金や地位→物欲を満たす)であり、最大の活力源でもあったのです。一方1950年に勃発した朝鮮戦争の戦争特需により壊滅的だった日本経済も復興の兆しを見せ始め(神武景気)、その後経済成長は波に乗り(岩戸景気)、1961年池田勇人の「所得倍増計画」(10年で所得倍増)によって奇跡とも言われる経済復興を果たします(いざなぎ景気)。
振り返れば、私権を求める国民の欠乏と当時の経済成長戦略が完全にシンクロし(国家も企業も家庭も私権原理で統合されていた)、つくれば売れる大量生産・大量消費の社会が現出し、これに伴う物流の増大=人々の欠乏に応えるトラック輸送が拡大したのは時代の必然であったと考えられます。
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*上記グラフは、社会実情データ図録よりお借りしました。
次の1970年代前半は家電製品が全世帯に行き渡り(上記グラフ参照)、それまでの貧困を脱し「豊かさを実現」した時代とも言えます。そうなるとそれまで最大の活力源であった私権獲得が第一では無くなり大きな意識転換の時代を迎えることになります。
次回は、この意識転換に伴って誕生した物流の新業態である「宅配」について見ていきます。
*冒頭画像はこちらよりお借りしました。

 

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