2013年01月28日
いま、社会の基底部で何が起きているのか-3 新しい活力源=周りの期待に応える充足
前回は「私権の終焉と市場の縮小と権力の暴走」について扱いました。
豊かさの実現により、人々の意識は私権時代のものから大きく変化しています。企業も上からの圧力による指揮系統では統合できなくなっており、大企業ですら機能不全に陥っています。
政治家や官僚、マスコミ、学者は何も答えが出せず、保身のことしか考えていいません。
明らかに時代はかつてないほどの大きな転換期を迎えています。おそらく、この先はありふれた企業理念や小手先の方法論では、生き残れないでしょう。生き残っていくためには、この転換が何を意味しているのかを理解し、現在すでに形成されつつある人類の新たな活力源と、それが生み出す新しい社会の姿を明確につかむ必要があります。
では一体、社会の中ではどのような変化が起きているのでしょうか?そして人類の新しい活力源とはなんなのでしょうか?
いま、社会の基底部で何が起きているのか-1 現代=大転換の時代
いま、社会の基底部で何が起きているのか-2 私権の終焉と市場の縮小と権力の暴走
しかし、悲観することはない。破滅に向かう旧社会の深層では、すでに新社会へ胎動が始まっている。
私権圧力が衰弱した以上、その強制圧力によって抑圧されてきた人類本来の活力源が再生されてゆくのは、当然の理(ことわり)である。
事実、’70年以後、貧困の消滅に伴って私権追求はもはや第一の活力源ではなくなり、代わって、周りの期待に応えることによって得られる充足(安心や喜び)、すなわち共認充足(※)こそが最大の活力源となっている。
※共認とは、共に認め合うこと。共認機能はサル・人類に固有の機能で、相手の期待に応えることによって充足を得ることができ、サル・人類の最大の活力源となっている。(詳しくは本サイトの「実現論・前史」を参照。)
つまり、社会の表層での統合者たちの暴走を尻目に、人々は最も深い潜在思念の地平で私権充足から共認充足へと収束先の大転換を遂げてきたのである。
■人類にとって共認機能とはなにか?
人類の祖先は、木に登れなくなったサルという非常に弱い生き物でした。生存環境はとても本能では適応できない過酷な状況でした。人類は、そんな状況の中サル時代に獲得した共認機能を頼りに生きてきました。
人類は過酷な状況の中仲間同士で可能な限り状況を把握し、共有してきました。そして把握した状況に基づいて、身を寄せ合いながら必死にどうするかを考えて、生き残るための課題や役割を期待し合い、命がけでその期待に応えたことでしょう。そして何より、そこに期待に応えてくれる仲間がいてくれることの安心感こそが、過酷な状況を生き抜く活力源となっていたと考えられます。
仲間の期待に応えることや、仲間といる安心感から共認充足を得ることができるのは500万年を通じて塗り重ねてき共認機能があるからです。現在でも、共認充足が最大の活力源となっています。
(参考)
実現論・前史
【共同体社会の原点(集団)を追究する】13~本能を超えた共認機能はどのように形成されたか~
■共認収束から課題収束へ
この共認収束の潮流は、今後100年は続く大潮流であり、現在も私権から共認への大転換は進行中である。そして、その途上の’11年、3.11と統合者たちの暴走を契機として、この大潮流は遂に「自分たちの手で作り出せる能力」あるいは「自分の頭で答えを出せる能力」への期待、云わば自給期待の潮流を顕在化させた。これらの潮流が指し示す次の社会は、おそらく「自分たちで作ってゆく」共同体社会となるだろう。
70年以後の豊かさの実現により「生存圧力」が消滅し、「私権圧力」が衰弱した現在では人々がその強制から脱して、人類本来の「共認原理」に戻っていくのは必然だと言えます。
実際、お金やそれを得るための地位は、「第一の価値」ではなくなっており、ただ給料の為だけに働くというのでは活力は出てこないというのがまさにその証拠です。
最近は若者の企業選びの基準が、「給料」や「自分のやりたいこと」よりも、「どれだけ社会の役に立てるか?」に変わってきています。これも私権獲得ではなく、期待に応えることを活力源とする、共認原理ならではの現象です。
「役に立ちたい」という言葉に象徴される、周りの期待=課題に応えようとする課題収束の潮流は、期待に応えるための能力の欠乏を蓄積させました。
課題収束を強める人々は、11年、原発災害と統合機関の暴走を目の当たりにして、さらに現実課題の中で蓄積されてゆく能力欠乏からさらに新しい潮流が生まれています。
(参考)
企業の浮沈を握る認識(3)実現期待⇒能力欠乏→独学の気運に応える概念装置
【新しい潮流と新理論の必要】6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
仕事の種類は二の次
■自給志向の高まり
能力欠乏の潮流の中から生起してきたのが、「自給志向」です。
特に11年の震災の際に、何も解決出来ない政治家や官僚、学者、事実を報道しないマスコミを目の当たりにして、「自分たちで場を作っていかねばならない」「自ら探索し、事実をつかまねばならない」といった思いが強くなっていきました。それらが「自分の頭で考える」「自分たちの手で作り出せる」能力への期待、自給志向というカタチで徐々に顕在化しつつあるのだと思います。
能力の自給という点で言えば、最近の大学生は一定の能力上昇を見据えながら、バイトを選んでいます。例えば、コミュニケーション能力上昇を見据えて、接客業のバイトに取り組んでいるなどがそれに当たります。
以前のように手っ取り早く金を稼ぐ”ことが第一の目的ではなく社会に出て必要になる能力を身に付けることを優先しています。
その他にも、塾に通うよりも自宅で学習するという傾向にあるのもその一環です。塾に子供を通わせる親も単なる成績上昇ではなく、「自分で考える力を身につけてほしい」というのが本音です。
また、食の安全性に対する意識から食に対しての自給志向も高まりつつあります。その自給志向の高まりは農業を体験してみたいという人が若者を中心に増えていることからわかります。食の自給志向は、放射能汚染や遺伝子組み替え食品、TPP問題などによりさらに強くなっています。
(参考)
今の学生にとって大事なのは、「大学選び」より「バイト選び」
日本の農業の可能性はどこにあるのか?
■共同体企業と共同体社会
自給志向が高まる中でその期待に応えるために、企業の中でも現業時間以外の自主活動に力を入れている企業が増えてきています。自主活動の内容としては、社員の活力を上げるためのイベントを行ったり、「自分の頭で考える」「自分たちの手で作り出せる」思考力や認識力を高めるための勉強会を行ったりしています。
これからは「社員の活力の高い会社が勝つ」という状況認識は広がりつつあります。
みんなで会社を作っていくといった共同体経営の会社が増えていくことは、共認原理への転換が形になりつつあることを示しています。
今後もこの潮流は拡大していき、自分たちのものは自分達で作っていく共同体社会への道筋なのではないでしょうか。
(参考)
「事実の共認が羅針盤」 ~名南製作所のやり方~
次代を見据え地域と共に充足できる企業~柳月~
元々人類は共認を最大の活力源とし、羅針盤とすることによって、凄まじい外圧に立ち向かって何とか生き延びてきました。それは、「みんな共認」に収束することによって統合された「共認原理」の社会だったのです。
このような「共認原理」の社会は人類史500万年の歴史のうち、実に99.9%を占めています。つまり、「共認原理」の社会こそが、人類本来の姿なのです。
今回は行き詰まる社会の中で生まれた、人々の新たな活力源とはなにかということと、その背景にある意識潮流の変化について扱いました。次回からは意識潮流の変化の中、徐々に芽を出し始めた共同体について扱っていきます。
- posted by kurokawa at : 12:50 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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