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2013年02月19日

『共同体経営とは?』11-2 社内ネットの可能性 ~認識の進化と実践の積み重ね この両輪が会社を変える~ その2

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■はじめに
 皆さんこんにちは。今日は『共同体経営とは?』シリーズ、12回目の記事です。前回に続いて、今回も社内ネットの可能性についてお話をします。具体的には、社内ネット開設から現在までを時系列を追ってご紹介します。
 決して順風満帆ではない、しかし、共同体であるからこそ乗り越えられた問題等、可能な限り生々しくいきます。ご期待ください。(社内ネットの導入を検討されている企業様、あるいは既に導入を頂き、しかしながら活性化しないとお悩み企業様に、わずかでもお役に立てれば幸いです。)

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■2001年:るいネット開設
 2000年、社内ネット開設の翌年るいネットを開設しました。
類グループの創立以降、事実の追求を繰り返し得てきた新しい認識を、社会に向けて発信し、進化させ、共認の輪を広げていく場です。るいネットの開設について、それを象徴する投稿を紹介しましょう。

『大転換期の予感と事実の追求』
人々は、これまで無数の常識(規範とか観念。現在もっとも支配的な観念は、自由とか個人とか人権だと云って良いでしょう)に則って家庭生活を営み、あるいは経済生活を営んできました。しかしその結果が、先進国における全面的な行き詰まり(世界バブル・財政破綻・環境破壊・精神破壊)であり、崩壊の危機であるとすれば、それらを導いてきた常識群の根幹部が(従って、大部分の常識が)根本的に間違っているからだと考えるしかありません。おそらく人類は今、全文明史を覆すほどの大転換期に入ったのではないでしょうか。
この場に参加されている多くの方々も、現代社会の行き詰まりと大転換の予感があるからこそ、現代の支配観念に根本的な疑問の目を向け、できる限り固定観念を捨てて、現実を直視し、事実の追求に向かおうとしているのだと思います。まして、全文明史を覆すほどの大転換期だとすれば、歴史を遡って原始人類やサル社会や生物原理にまで目を向ける必要も出てくると思われます。しかし、それらは大部分が未明の領域であり、その解明の為には、固定観念に囚われることなく事実を素直に認める柔軟な頭と、大胆な仮説の提起が何よりも大切になります。
その場合、例えどんな仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理整合していれば、私はその仮説をいったん事実として認めます。もちろん、いったん認めた事実に反する現象事実が出てくれば、皆さんと共に速やかにその現象事実を組み込んで論理=構造事実を組み替えてゆきます。この様にして、(自由・個人・人権etcの固定観念を捨てて自在に思考することさえできれば、)事実の認識体系は無限に進化してゆくことができる筈だと考えています。

 社会問題を追求する中で、より一層明らかになってきた社会閉塞。その根源たる常識や固定観念=支配観念を捨てて、皆で「答え」を出していく必要性を述べるものです。今現在、多くの経営者が感じる先行き不安に対して、どのように思考していくか。その入口を示すものとも言い換えられます。
 と同時に、類グループの成員にとって るいネットは、社会への窓となり、認識を進化させていく追求の場となり、同類圧力を感じる場となりました。社内ネットと併せて「認識と実践の両輪」、その基盤が実現したといえます。(るいネットについては、次回の記事で詳しく述べさせていただきます)
■2005年:『対面会議の欠陥⇒すべてをネットへ』という認識と実践
 2000年、塾部門の教室間の温度差に端を発して開設した社内ネット(前回の記事)。その後、2003年に特に注目すべき投稿を明らかにする「佳作制」などを導入し運用してきました。日々の投稿数も上昇し社内ネットも軌道に乗ってきましたが、各地に点在する事業所(塾、設計、地所、農園)の全情報の開示と共有はすぐには実現された訳では無く、しばしばトラブルの後追い対応などの問題が起こっていました。これを受けて、2005年、全社の「劇場会議」が開催され、画期的な認識が共認されました。

『集団統合の新たな仕組み:対面会議を超えて、全てをネットへ』
サル~人類を貫いて、6000年前ぐらいまでは十全に機能していた対面共認(および会議という様式)が、欠陥だらけとも云える様な機能不全に陥った根本原因は、6000年前頃に人類が単一集団社会を超えた多重集団社会に突入した点に求められる。
対面共認は、互いに顔の見える範囲の単一集団においては、(他に移れる集団など存在しないことも相まって)十全に機能していた。しかし、集団と集団がぶつかり、ひしめき合う複層社会では、集団が抱える課題の難易度(or未明度)が高くなると共に、成員間に課題意識の温度差が生じる。
それでも序列圧力が強ければ、上意下達という形で、対面共認はそれなりに機能する。そして、より重要な共認形成の場である会議は、御前会議に姿を変える。しかし、顔の見えない地方や各部門では、会議という場は中央や他部門にとって密室空間そのものとなり、劣化共認や私的共認の温床となる。その上、課題の未明度が高くなればなるほど(or末端部門に下りれば下りるほど)誰も答えを出せなくなり、成員の会議へのもたれ合いやぶら下がりが常態化してゆく。
これらの欠陥を突破する場は、全社(劇場)会議orネット会議以外にはない。全成員が一堂(or一板)に集まれば、密室化を完全に防げるし、10人では答えを出せなくても50人なら答えを出せる(更に、50人では答えを出せなくても300人なら答えを出せる)度合いが高くなるからである。とりわけ、ネット会議は、成員の課題意識の温度差(という歴然たる事実)を包摂したまま、(問題意識の高い2~3割が率先して発信することによって)共認を形成してゆき、次第に全成員を巻き込んでゆくことが可能な力を持っている。従って、全社会議やネット会議によって、対面会議の欠陥の大半は、突破されるだろう。
しかし、社内で全員参加のネット会議が形成され、定着したとしても、それだけでは不十分である。なぜなら、現代(とりわけ、’04年以降)は、誰もが心底に収束不全を刻印され、「どうする?」という答えを求めて社会収束してゆく時代であり、社内のネット会議だけでは、社会的な広がりが感じられないからである。
いつの時代でも、最強の活力(引力とも云える)を生み出すのは、可能性収束の力であるが、現代、それが社会的な役割への可能性収束力であるとすれば、広く社会に向かって発信し、社会的共認を形成してゆく場が不可欠になる。その場が、社会に開かれたインターネットであることは、云うまでもない。
従って、類グループがそうであったように、おそらく社内のネット会議は、「答えを出せる」もっと広い社会的な統合サイトとリンクして、はじめて十全に機能するのではないかと思う。

 私権原理から共認原理への転換期。序列原理による組織統合をはじめとして従前のやり方が通用しない場面が頻発します。すなわち、未明課題が増えます。すると、答えを出す場としての「会議」の重要性は上昇するものの、日常的な対面会議では、誰も答えが出せない。結果、会議という場はもたれるものの、答えを出す場としては空洞化する=意味をなさない、という状況認識です。
 この問題に対する突破方針=可能性は「すべてを皆のいる場に開き出す」こと。全社会議および社内ネットへの情報集約です。加えて、もうひとつ重要な認識が示されています。それは「社会との接点」の必要性です。
 社内ネットは開かれた場であるものの、あくまで社内。多くの人の潜在的な欠乏意識が「社会の役に立つこと」に変わってきている段階にあっては、社会に向かって発信し、社会的共認を形成していく意識と実践の場を持たなければ当事者意識が上昇しない。すなわち、社内ネットも十全に機能しないという認識です。
 この当時(そして今も)、会議の空洞化に直面する企業は多かったと思います。その原因にいち早く気づき、深く達観した認識を示して改善することが出来たのも、約40年にわたる事実の追求と社会認識があったからこそだと思います。
 
 この認識を受けて、社内ネットを全面改良し現在のかたちが確立しました。この改良では、評価ボタンを5種類に拡張。「皆の評価」がより明確になりました。また、検索機能を強化。共通の項目で投稿を表示できるようにしました。「成功体験の積み重ね」を集積していく基盤が整ったといえます。加えて、社内ネットと るいネットをリンクさせる意味で、社内ネットの投稿画面から るいネットの投稿画面へワンクリックで文章ごと移動できるようにもしました。
 新しい認識と実践の場、この両輪が生まれたことにより、社内ネットの投稿数は急速に増加。全てを熟読するのが大変な量になってきました(注目すべき投稿を明らかにする佳作制がいよいよ意味をもってきた)。皆で共認した認識を即実行に移す力は、共同体がもつ可能性収束力といえるでしょう。
■2008年:『指揮系統撤廃⇒全てをネットへ』という認識と実践
 この年、主要には類グループの設計部門で、後になって重大なミスが明らかになる、という事態が起こりました。「後になって」というところが大きな問題。後になればなるほど火消しが大変というたけでなく、本質的には、後になるまでミスが明らかにならない≒隠れていた、という事実が存在するからです。
これを受けて劇場会議が開かれ、過去の総括とともに再び画期的な認識が共認されました。それは「指揮系統の撤廃」です。

『トラブルの根底に指揮系統あり。全てをネットへ』
先日とあるトラブル総括会議で大きな気付きを得た。
問題、課題が顕在化しても誰も解決しようとせず、課題捨象されていく。後になればなるほど修復困難な問題になり最終的には大きなトラブルとなる。課題を認識していないが故にトラブルになるのではなく、課題と解っていても捨象され(or間抜けの独断で劣化し)トラブルになるのが特徴的である。何故課題捨象されてしまうのか?
その答えは指揮系統にある
どの企業でも社長-部長-課長・・・など、肩書きや名前は違えど、ある課題を取り組んでいく集団には、その集団固有の指揮系統がある。この指揮系統は、本能原理である序列統合を下敷きにした私権時代の産物であるが、共認原理へと転換したことによって、指揮系統が課題隠蔽を引き起こすトラブルの根底問題として顕在化してきた。どういうことか?
私権時代であれば、この指揮系統は十全に機能していた。それは、問題隠蔽行為が即序列、生存を脅かすものとしての私権圧力が強力に働いていたから。その典型が反逆であり、反逆は重罪として存在していた。しかし、私権の圧力が衰弱した現代は、序列統合から共認統合に集団統合様式が変った。そこに指揮系統だけが残るとどうなるか?
問題や課題が発掘されても、私権圧力の働かない指揮系統の中では悉く隠蔽されていく構造ができあがる。上長と部下の指揮系統では、上司が問題を握りつぶし、部下は指揮系統を意識するほどに問題を発信できなくなり自ら隠蔽する。とりわけ決定的問題が発見されるほどにその問題は共認圧力にさらされず、その指揮系統の中で隠蔽されていく。現在起きている不祥事が、とりわけ旧い指揮系統を残存させている官僚機構に顕著なのもそのためである。今や指揮系統は問題隠蔽の巣窟となり、不正の温床ともなっている
共認原理の時代の統合様式は共認統合による他はなく、社内NETこそ共認統合の場に相応しい。それは指揮系統を超えた皆の評価共認が働くからだ。皆の評価共認によって問題が固定化され、課題や方針に繋がっていく。そんな体制を構築した集団こそ、社会の評価共認を勝ち取っていく集団になるのは間違いない。

 指揮系統撤廃といっても、勿論、仕事上における能力ヒエラルキーは常に存在します。しかし、能力ヒエラルキーが身分として固定された途端に、不透明で中途半端な力関係が出来上がってしまうという指摘です。これは個人的資質の問題ではなく、共認原理に移行期の指揮系統がもつ構造的な欠陥として捉えられました。
「指揮系統撤廃」という答え=可能性を得たうえで「全てをネットへ」。共認の場としての社内ネットが、より一段と重要性を増すということです。
 
 これを受けて実践(現業)の場面では、身分に胡座をかくこともなくなり、上からも積極的に下に意見を求めて受け入れる空気が出来上がりました。下から上への期待が鮮明になっただけではなく、上位層の持つ能力の高さが、皆の共認によって鮮明になっていきました。なによりもこの点が大きく、各人の能力評価が上下関係を問わず社内ネットに発信されるようになりました。「◯◯さんのすごいところ」とか「○○くんの動きが良かった」といった気付きの発信が上下関係なしに成されるようになって、文字通り仕事そのものが皆にとっての『充足課題』になっていったのです。このようなやり取りを積み重ねるうちに、いつの間にか大きなトラブルはなくなっていきました。
■2010年:『今後10年は、充足⇒活力を上げれば勝てる』という認識と実践
 社内ネットによる充足の空気づくりが広がりつつあった2009年、るいネットに「充足基調と闘争基調」という投稿がありました。これを受けて、男の役割=闘争を充足可能性から期待する声が高まり、そして2010年のなんでや劇場で「今後10年は、充足⇒活力を上げれば勝てる」という認識が共認されました。

3/28なんでや劇場レポート(3) 今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる
自分発からみんな発への転換(関係捨象、言い訳・誤魔化し、ダメ圧・説教ではダメ)
否定から肯定視・実現への転換
観念論から構造認識への転換
以上が、闘争過程の力を規定する根底部分。
これさえできれば、今後10年間はそれだけで十分。それができないから私権企業は潰れてゆく。
闘争能力の一歩手前にあるのが活力だが、今後10年間は、活力を生み出せれば勝ちであり、どうやって活力を上昇させるかが勝敗のカギを握る。
※言い訳・誤魔化しは自我発であり、これを封鎖するには絶対的な力が必要。その一つが、私権の強制圧力(誰もが私権を獲得しなければ生きていけない)。現在は私権の強制圧力がとことん衰弱し、自我が蔓延る。
もう一つの絶対的な力がみんな共認。ex.私有権も万人に共認されれば、何人もそれには逆らえなくなる。苦しんでいる人々を救おうとした釈迦でさえ、苦しみを生み出した原因である私権の共認には抗することができず、山に篭るしかなかった。それくらい、みんなに共認された力は絶対的な力をもつ。
☆釈迦は、何故山に篭るしかなかったのか?
>頭の中の本源価値を確立する為には、私権に塗れた現実から身を引き離し、完全に遮断する必要があった。かつ、現実(自我・私権)の引力に打ち克てるだけの潜在回路⇒観念回路を構築する為には、長い探求期間が必要だった。(素人の社会活動34 創造(=探求)のパラダイム転換)
しかし、自我を封鎖するという否定形の問題の立て方ではなく、肯定形の答えが必要である。つまり、如何にして充足を生み出すかという方向で考えた方がはるかに成果が高い
肯定視・充足をキーワードとして定着させる。具体的には、現業のミーティングでも肯定視できるポイントを固めるとか、上司も部下の肯定視ポイントを把握して指導するといった工夫はできる。しかし、肯定視・充足と言えば、女の方がはるかに発達しているのであって、女たちを中心にして充足・肯定の空気を作り出すことが必要。女たちが充足期待の空気を作り出し、男の活力を引き出す。これが男女関係再生のカギであり、同時に企業活力を上昇させる突破口である。
そのためにも、たちの充足性こそ最大の価値なんだという認識転換が、特に男たちに求められる。
自分発からみんな発への転換、否定から充足・肯定への転換。これは観念論ではなく、現実に使える構造論である。この方向に動けば成果が上がる。特に、上の方が率先してやることが重要で、『るいネット』で紹介されている共同体企業の成功事例でも、トップが自ら動いたケースが多い。上の人間は答えを出してあげないといけない。そして、答えが出せるかどうかは構造論が肉体化しているかどうかにかかっている。
上を動かすにも、下からの共認圧力の形成が不可欠である。
∵みんな共認には誰も逆らえない。
まず、周りに働きかけて仲間を作る。それが職場の大多数の共認になれば成功である。一昔前ならそこから要求主義の組合運動的な活動になったものだが、それでは対立にしかならない。現在は、上に対しては「なるほど、それなら上手くいきそう」と思わせることで上を巻き込んでいく方がはるかに成果が高い。そして、上長を攻略するためには、女の味方がいるかどうかが重要

 類グループの女性社員は「感トレ」を行ったり、社内ネットの投稿で期待かけをしてくれたり、かねてから安心基盤・充足存在としていてくれました。そういう意味では、類グループの女性社員の充足力は「女性は充足存在」という認識を持たない企業と比べて高かったでしょう。それが、この認識を受けてさらに加速しました。
 
 女性の可能性収束力を物語るように、社内の共認充足を高める行動を即実践してくれました。それもすごい勢いで。
 社内ネットに良い投稿があれば「○○さんがあなたのこと褒めてるよ~」と嬉しそうに伝えてくれたり、若手の良い発言を聞いたお姉さんが「それ、社内ネットに投稿してみたら」と優しく期待したり、一人一人の誕生日をメモして期待や感謝のこもった手紙を用意してお祝いをしてくれたり・・・。男性的な発想では到底思いつかない共認充足の空気づくりを、大変嬉しそうにやってくれるのです。(最近では、その流れがどんどん広がって、プライベートな日曜日も皆でどこかに出かけたり、一緒にご飯を作ったりしています。)
 
 この充足加速度に最初は「何が起こったのか」と戸惑う者(年配者)も少なからずいました。しかし、気恥ずかしいというような感情を廃して身を委ねていくと、皆から活力をもらっていることが実感できます。社内の雰囲気が充足を増していくにつれて、それが活力に変わっていくのが目に見えるように感じられるのです。全社を変える共認充足の力。それは衝撃的なほどでした。
 
 これら日々の充足の場づくりを受けて、類グループ全社の活力は急上昇しています。活力が上がると、それにつれて仕事(闘争)の成果も上がります。「今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる」。それが間違いのない認識だということを、まさに今、実践中です。
■まとめ
 2001年から時代を追って書いてきました。困難に対して目を背けず、事実の共認をもとにして、皆で実践し乗り越えてきた。本稿を書きながら実感をしている次第です。
 と同時に、我々も時代の変化、その只中にいるという思いを新たにしました。今現在、類グループ内で上昇している充足の空気は、主体的な努力によるところが少なくありません。が、それを根底で後押しするのは、充足基調という時代の変化、意識の変化。すなわち、社会的な圧力(同類圧力)です。この外圧を読み解き、観念=言葉として固定・共認して、内圧に転化する「認識の力」を改めて感じるところです。
 
 類グループは、認識の進化と実践の積み重ねを「皆の共認」を中心に積み重ねてきました。
   [認識の進化]←→[皆の共認]←→[実践の積み重ね] 
 というかたちです。
 
 新しい認識がなければ可能性の実践は出来ないし、実践からのフィードバックがなければ新しい認識の進化はありません。そして、その中心には、皆の共認があります。社内ネット開設から12年を経て、改めて共認の場(全社会議・るいネット・社内ネット)の重要性をお話しすることができ感謝の念を抱かずにはいられません。
以下、全社共認の要となり得る社内ネットについて、有意な投稿をご紹介し終わりにします。
長々と失礼いたしました。
経営者への提言:会議から社内ネットへ
企業革命の切り札は、社内ネット
余力を活かす場が、『社内ネット』

 

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