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2013年03月17日

『共同体経営とは?』13 社会事業としての「事実の共認」 ~実現論・るいネット~

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これまで本シリーズでは、類グループにおける様々な共同体としての具体事例を紹介してきました。
シリーズ前半は「共同体企業」の創設に至るまでの、生命進化の実現構造や、近現代にまで続く深く考察された歴史認識。
そして、後半からは共同体設立以降の世間からは画期的とも取れる、組織論や経営方針、その具体的手法に至るまでをご覧になっていただきました。
これらの実践事例は、類グループ設立から積み重ねられてきた40年間の実践論だけでないことを皆さん薄々感じておられるかと思います。
集団として「社会」「時代」の変化に柔軟に適応すること=勝てる集団となっていく為には、もう一つ重要な「場」あるいは「認識」があります。それが、類グループにおける数々の高い実績の土台となってきた「源」にあたる、実現論」と「るいネット」なのです
今回は、まずそれら二つがどういうものなのかを紹介した上で、今も尚新しい可能性に向けて上昇し続ける「共同体・類グループ」の成長の秘訣を紐解いていきたいと思います。

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1.実現論

%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E8%AB%96.gif 実現論は、共同体・類の成員がその時々の経営問題や時事問題を分析する中から、しだいに史観的な形に整えられて、出来てきたものです。例えば、70年代なら「共同体の欠陥(ex.共同体の成員はなぜ自我が肥大するのか)」、80年代なら「全社会的な仕事活力の低下」「何故アッシー君ミツグ君の様な男の軟弱化が進行してきたのか」、90年代ならば「何故セックスレスが蔓延してきたのか」といった実践的・現実的な問題から出発し、その原因分析を4~5人のグループ会議や100人余りの劇場会議を重ねながら行ってきました。
 どの問題も当初は新聞記事の様なものから始まりますが、途中で必要に応じて「市場の変遷」や「婚姻の歴史」「未開部族の勉強」「サル社会」等、テーマに応じて何人かが役割分担してまとめ、それを基に更に議論を重ねてゆくという場合もありますし、私(勢至)の方からそれまでの議論のまとめや、新しい切り口を提起したレジュメを提示し、それを基に分析を進めてゆく場合もあります。
 この様に常に会議を媒介にしてテーマを決め、分析を深めてきたので、誰がどの部分を担当したかというのはハッキリしていません。もちろん「婚姻史」「未開部族」etc.その時々の担当者は居ますが、それは市販の書物をまとめただけのもので、彼らが作り出したものではありません。ただ新しい構造の捉え方については、勢至のレジュメに負うところが大きいと言えるかも知れません。この様な全員参加の会議(勉強会)にも拘わらず皆の興味・関心が深まっていったのは、その時々の時事問題や経営上の実践的問題から出発しながら、底に達するまで徹底して原因を分析し人類の原基構造を解明するという、流れの繰り返しでやってきたからではないかと思われます。
 上記の様に個別の問題から出発して様々な原因分析を重ねてきましたが、それらが全体としてかろうじて繋がって(ある程度構造化されて)書かれたのが、実現論(’98年版)です。途中のまとめをした人は、このトピに参加している中にも2~3人いますが、実現論初稿は勢至の手で書かれたものです。この初稿は果たして世に出せるレベルかどうかさえ怪しいものですが、この初稿あるいは今から書き直す第2稿(’02年版)を叩き台として、『みんなの統合理論』の構築に賛同された協働者の方々の投稿をもって、今から本格的な改良・進化が始まっていくと考えています。
実現論の形成過程より引用)

実現論は類グループ設立以降、社員総出で日々追求を積み重ねてきた、理論=「事実の体系」そのものです。
そして、これらの認識の体系を広く社会に開き、実現論の更なる進化と体系化を目指したインターネット上の「認識形成の場」が「るいネットでした。
では、そもそもなぜ「るいネット」という認識形成サイトを運営する必要があったのか?
そこで次章ではその疑問に対する答えを示してくれている認識を紹介します。
2.「るいネット」開設までの軌跡

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今、社会は全面閉塞に陥り、誰もが「出口が見えない」「答えが欲しい」と必死に突破口を探している。つまり、誰もが目標を見失って、答えを探しており、それは、もはや自分だけの課題ではなく、みんなに共通の普遍的な課題になってきている。
 実際、家庭も、学校も、企業も、国家も、それぞれに深刻な問題を抱えて行き詰まり、今や目標を失ってフラフラと迷走しているだけである。では、人々が目標を見失い、社会がここまで閉塞してしまったのは、いったい何故なのか?
 それは、(先進国では)’70年頃に貧困を克服してしまったからである。
(中略)
しかし、’70年、飢えの圧力(=生存闘争の圧力)が消滅するや否や、序列原理(身分制度)は無効となり、それまで力によって抑え込まれてきた人々の意識は、一気に反身分⇒反差別⇒「人権」「福祉」などの観念に収束する。
生存圧力が克服され、序列原理(力の原理)が無効となった以上、集団や社会は、人々の『共認』(課題や役割や規範を認め合うこと)によって統合される以外にない。だからこそ、それまでの政界や財界に代わって、マスコミが第一権力にのし上がったのであり、’70年を境に、既に時代は序列原理の時代から共認原理の時代へと、大きく転換していたのである。
(中略)
 現在、人々が心の奥で求めている本当にやりたいことは、みんなの期待に応えて反応充足を感じたいという辺りにある。おそらく次代では「出口が見えない、答えが欲しい」という『みんな期待』に応えることが、人々の一番の活力源になるだろう。
 その為には、答えを求めて集団から離脱した人々が、みんなで共認形成できる場と新しい認識が必要になる。
 しかし、出口が見えないということは、これまで人々に一方的に発信し続けてきた学者や芸術家やマスコミなどの専門家たち=発信階級の撒き散らす旧観念が、全く役に立たないということである。現に、社会が全面的な行き詰まりを見せているのに、彼らは未だに何の答えも出せないでいる。
 何故か?彼ら発信階級は表現することでメシを喰っている単なる表現者であり、現実の圧力の真っ只中で生きる人々を外から眺める傍観者に過ぎないからである。現実から逃げて、発信階級の道を選んだ只の傍観者に、現実の真の姿が見える訳がないし、現実に使える認識を生み出せる訳がない。
(中略)
 この社会は、人々の共認によって成り立っている。従って、共認形成こそ、社会形成の生命部である。だが、その共認形成が発信階級によって支配され、しかもその中身=観念が狂っているとしたら(そしてその結果、普通の人々は思考停止状態にあるとしたら)、社会は全面閉塞に陥るしかない。
 現代社会の至る所で噴出する異常現象は、全てこの異常な現実否定→倒錯思考の観念パラダイムが生み出したものであると言っても過言ではない。しかも、その旧観念は、新しい可能性の出口を塞ぎ、人々の活力を奪い取ってゆく。従って、知識人が撒き散らす旧観念こそ、この社会を全面閉塞させた真犯人なのである。
 今、求められているのは、旧観念とは逆の、現実直視→実現思考に基づく全く新しい認識である。それは、夫々の仕事に従事しながらこの現実を生きる『みんな』=普通の人々によって生み出される。傍観者ではなく当事者として現実を生きる普通の人々の実感と、それに基づく徹底した事実の追求だけが、現実に使える認識を発掘してゆく。
 ただ、現実(=この時代)は複雑で、自分一人で考えても見極められないし、判断を誤る危険もある。何より、一人で考えても、活力が出てこない。だから、認識の必要に気付いた皆で、現実に使える認識を紡ぎ出してゆく『場』があればいい。それが、認識交流の場である。
 既に、答えを求める『みんな期待』は急速に高まってきており、今や、『発信欠乏が喉元まで出かかっている』段階に来ていると言っても良い。言い換えれば、誰もが答え欠乏⇒発信欠乏に応えてくれるのを待ち望んでいる状態にある。
(中略)
そのような上昇期待に応えて、『みんな共認』を形成してゆく場が、万人に開かれたインターネット上での『認識形成サイト』である。
 その認識交流の面白さ=引力の秘密は、『みんな期待』に応えて集団外に発信(応合)し、その反応(充足)を得ることへの期待にある。そうして、最初、街のあちこちで形成された『なんでや露店』でのつながりが、『認識サロン=なんでや劇場』を媒介に『認識形成サイト』に収束してゆけば、それは巨大な超集団ネットワークに成長してゆく。
 それだけではない。『認識形成の場』に参加するということは、これまで一握りの専門家が独占してきた認識の形成を、普通の人々が担うということであり、彼ら学識者(=傍観者)に代わって社会の生命部である共認形成を自分たちで担ってゆくということに他ならない。
 従って、社会の心臓部となる『認識形成サイト』への参加は、そのまま旧体制に代わる全く新しい社会統合機構(の中核部)を、自分たちでゼロから構築してゆく活動となる。それは、まぎれもなく「この時代を作ってゆく当事者になる」ということであり、だからこそ「一番面白い」活動になる。
次代を読むより抜粋)

いかがでしょうか?
るいネットは上記のような社会的な問題・課題意識の元、閉塞した社会に対して、誰でもない自分達で答えを導き、自分達で生きる場を創造するべく素人たちの手によって運営される社会統合サイトとして開設されました。それは、言い換えれば我々、類グループ成員一人一人の社会に対する投げかけ=期待の結集軸ともとれます。
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「るいネット」は万人参加型の社会統合サイトとして’01に、なかば希望的観測の元で開設されました。開設約3ヶ月で訪問者数41,000人、投稿数は3800件に上り社会から高い反応をいただきました。そして開設から12年を経た現在。訪問者数は「週間」で250万人に上り、投稿数は累計44万件と非常に注目度の高いサイトへと成長してきました。また、そこで塗り重ねられてきた44万件もの認識群は常に時代の意識潮流の最先端を捉えてきました。
3.「認識形成」の場を集団で運営し、社会に開き出してきた意義とは
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類グループは、創業以来の探索と追求の成果である「実現論」や認識形成の場=「るいネット」を秘匿のものとせず、社会に向けて開き出してきました。その意義は、端的に申し上げると「社会の役に立つ」ことにあります。
昨今、マスコミは事実を伝えないという認識が定着しつつありますが、はるか昔から(支配する側に)都合が悪い事実は隠蔽され、何も知らない大衆は特定の(役に立たない)観念をすり込まれ盲目と化してきました。結果として、企業の社員は本来あるべき自主性を剥奪され、隷属的な処遇を受けているにもかかわらず、そのことにすら気づけないでいます。
この現状を変えたい。そのためには、事実の共認を形成していく必要があります。さらに言えば、時代の変化に応じて事実認識は進化し続けていく必要があります。類グループはこのような考えのもとに「実現論」を公開し、事実認識の塗り重ねの場である「るいネット」を運営してきました。以下、最新の認識をご紹介します。

実現論序文
【必要なのは地に足をつけた共同体企業の建設】
共同体社会というと、「社会」の方に目が向かい勝ちだが、重要なのは共同体社会の構成単位=原点となる、集団=企業である。普通の人にとって、もっとも身近な現実の場は職場である。そこには常に大きな圧力が加わっており、従って、誰もがエネルギーの大半をそこで費やしている。従って、現実を改革したいのなら、まず己の現実の職場を改革すべく尽力すべきだろう。
現実に強い圧力が加わっている職場では何も言えない者が、直接には己に何の圧力も加えてこない「社会」に向かって何を主張しても、それは逃避行為でしかない。当然そんな主張は、すべて偽物である。
本当に社会を良くしたいのなら、まず、もっとも身近な現実の場である職場をどうすれば改善できるのかを提示し、その上で、社会をどうするかを提示すべきだろう。
現実の職場を何一つ改革できない、ただの口舌の徒に、社会を語る資格はない。  
今必要なのは、遠く離れた抽象的な「社会」ではなく、現実に密着した生活の拠点たる職場を共同体に作りかえること、つまり、企業の共同体化である。この企業の共同体化から、地に足をつけた新しい共同体社会の構築が、着実に進行してゆく。
統合階級が牛耳る上辺の「社会」がどれほど迷走しようとも、現実の地に共同体を建設することは可能であり、むしろ社会が崩壊に向かっているとすれば、なおさら共同体の建設こそが崩壊を突き抜けて新しい社会を実現してゆく唯一の突破口になるはずである。
すでに、私権原理から共認原理への転換に伴って、共同体を志向する企業が、次々と生まれてきている。それに、貧困が消滅して私権圧力が衰弱し始めた40年前に、すでに、共同体・類グループが登場しており、企業を共同体化する上で必要な様々な成功事例や方法論やそれを支える新しい認識群が蓄積されている。
それを応用すれば、割と簡単に企業を共同体化することができるはずである。
すでに、社会の統合原理は、私権原理から共認原理に転換した。それに伴って、企業も共同体に転換してゆく時代に入ったのである。

4.まとめ
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ここまで紹介してきたように、類グループは設立当初からの基本理念である「事実の共認」を元に自社内だけでなく社会を対象化しながら40年間成長を続けてきました。「自分達の生きる場を、自分達の手で築いていきたい」という思いが、市場社会の常識を破った共同体企業として類を生み出し、設立当初、設計集団として出発した共同体・類は、これまで設計の他にも教育/不動産/農業/社会事業と様々な業種の生産集団を作り出してきました。
これらの事業設立背景やさらにはそこで実践される方針も、すべて『事実の共認』を軸とした「実現論」という進化する事実の認識体系と「るいネット」という最先端の認識を紡ぎだす「場」を構築し、全社員で事実の追求に取り組んできた素地こそが、土台となっているのです。
これらの運営や活動は「社会事業」と位置付けられています。事業である以上、それは「ボランティア」という有志による活動ではなく、企業の「生産活動」として位置づけられているため、類グループ全員で取り組んできました。
なぜそのような体制で取り組む必要があるのか?
その答えは、「社会貢献」という側面の他にも「人材育成という組織統合上の核となる部分にも見てとれます。
社会が必要とする「答え」となる「認識」を紡ぎだす為には、社会の当事者となり、社会を動かす力の構造や歴史を根底まで掘り下げて学ぶ必要があります。そして、それは企業という視点から見ると、経営者として自ら組織がおかれている状況=外圧を掴み、学ぶことに繋がります。結果、各々が「今、なすべき事は何か?」を考え、主体的に取り組める人材を育む土壌が、「社会事業」として形成されてきたのです。
だからこそ、経営の主体として一人一人が取り組むことを期待される共同体において、組織統合上重要な「生産活動」として位置付けられています。
社会の期待に答えるべく、事実を徹底的に追求する中で磨かれる「認識力」。
社会の当事者となり、自ら「今何が求められているのか」を判断し、実践していくことのできる主体性の高い「人材力」。
それらの結果として類グループは、40年間、売上高、社員数を順調に伸ばすことができ、昨年度決算の総売上は75億を達成し、経常利益率15.9%、金融機関から借り入れゼロという形で会社の運営をすることができているという高い成果を生むことができています。
そして、「るいネット」開設から約10年間で蓄積されてきた認識群と時代潮流が相まって、今類グループは「共同体社会の実現へ」という新しい領域に踏み込んでいます。
次回は、本稿で紹介した認識郡を武器としてどのような実践を行ってきたのか?と、前述した共認社会を実現していく為に取り組み始めた「新しい領域」について紹介したいと思います。
お楽しみに!

 

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