2013年03月22日
健康産業が向かうべき方向性とは?(後編)
健康産業が向かうべき方向性とは?(前編)では、健康産業の市場の変遷とその根底にある意識について見てきました 😀
未だに市場拡大を主軸とする健康産業と本質を見定めようとする大衆意識との乖離は大きく、健康産業も転換の必要性に迫られていることは明らかです
後編では歴史を遡ってそもそもの健康のあり様を探り、現在の人々の意識潮流を押さえ、今後の健康産業の方向性を明らかにしていきます
画像はコチラからお借りしました。
そもそも「健康」とは何か?
「健康」という概念
江戸以前に「健康」という言葉はなく、生活の知恵と規範として「養生」という考え方が存在していました。例えば、貝原益軒の「養生訓」には、「よくわが身をたもつべし」「病とは気をやむこと」といった規範が記され、自我、個人の欲望に対しては抑制的だったようです。
しかし、明治時代に富国強兵と市場拡大の要請から、西洋医学も導入され、「健康」「衛生」という概念へ転換します。国家が大きく市場拡大へと踏み出していくために、健康・知識・富有など私権を追求することが公益=国益につながるのだという明確な思想が打出されました。
そして戦後、日本国憲法では、25条に「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と明文化され、今の政策(ex.健康増進法)が打出されるに至っています。前編でもみたように、それに乗じて目先的に健康を取り繕う市場が拡大されてきました。
つまり、健康という概念は、国家から個人まで万人が私権獲得に邁進するために導入された概念だということです。
ですから、健全な人間本来の姿を探る上では、「健康」「衛生」などの近代観念ではなく、「養生」のような先人の規範や庶民の知恵を改めて見直す必要があるでしょう。
参考:そもそも「健康」とは何か?
「養生」という概念
では、江戸時代以前の「養生」とはどのような概念だったのでしょうか?
荘子の養生の思想 には、自然則に順ずる、自然に生きる、生を忘れる、自己犠牲を否定、精神を養う道を自覚すること、純粋素朴の境地への歩み、過食は健康を損ねる、出世至上主義や過剰な欲や名声に走り過ぎない、「身の内と外」をよく調和させること、といった考えであることが紹介されています。
江戸時代までは、己の私利、私欲を抑制することが、周りとの調和を保つうえでの規範(生活の知恵)として大衆に根付いていたことがわかります。
「外圧適応態」という概念
さらに、生物の普遍原理に照らし合わせて健康という概念を掘り下げてみます。
生物史から普遍構造を導いている実現論前史には、「生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している」という生物の普遍原理が示されています。
つまり、外圧に対して身体機能が十全に働く状態で、身の内と外の調和が取れ、バランスしている状態というのは、本能次元でも外圧適応していくために維持すべき状態だと言えます。ですから、「養生」は、生物の普遍原理に適った外圧適応のための規範であると考えられます。
参考:実現論前史
このようにみていくと、本来の健康とは、自らの欲求に対して抑制的であり、程よい状態を維持している姿であり、生物として外圧に適応できる十全な状態を維持していくという、自然の摂理に則った状態だと言えます。江戸時代の養生訓などの規範も、そのような考えに基づき、先人に学び、自然の摂理に学ぶことを善しとした規範であったといえるでしょう。
しかし、現在の健康の姿を見てみると、例えば、過剰な食事を摂りながら、健康を考えてジムに通う、サプリメントで補うといったように、個人の欲求を抑えるどころか、どこまでも個人の欲求を満たすための健康となってしまっている場合がほとんどです。
つまり、個人の私利私欲の追求を正当化するのが現在の「健康」です。欲求を抑制する本来の健康とは180°異なり、大きく生命原理を踏み外しています。
前半でも見たように、「健康」という概念は、一見、本源風に見えて、実は大衆をうまく騙し、目先に収束させてしまうものであり、現在の健康産業も大衆も、気づかぬうちに、この欺瞞の観念に強く支配されています。
今後、健康産業が社会の期待に応えていくためには、その観念支配から脱却し、大衆の潜在意識を深く捉え、羅針盤とした上で、追求していくことが必要不可欠です。
脱市場⇒根源回帰、本質追求の意識潮流
最近、ますます広がっている健康志向の底流には、最も深い次元での意識潮流の変化があると考えられます。それが「本能回帰の潮流」です。
市場の縮小と根源回帰の大潮流より
’70年頃、先進国ではほぼ豊かさが実現され、飢餓の圧力が消滅した。すると、たちまち私権圧力が衰弱してゆく。そうなると、これまで、私権の強制圧力によって追い立てた上で利便性や快美性を囃し立て、過剰刺激によって水膨れさせてきた物的欠乏は、衰弱してゆかざるを得ない。それは、市場の縮小を意味する。
(中略)
社会の表層での金貸し勢の暴走をよそに、社会の深層では、私権圧力と物的欠乏は衰弱し続けてゆく。そして、私権圧力の衰弱は、市場活力を衰弱させると同時に、他方で、新たな活力を再生してゆく。それが、根源回帰による活力の再生である。
私権の強制圧力が衰弱すれば、これまでその強制圧力によって歪められ、あるいは抑圧されてきた人類本来の活力源に回帰してゆくのは当然の理(ことわり)である。
まず最初に生起したのは、本能回帰の潮流である。それは、’70年代以降のヒッピーや環境運動を含む自然志向に始まり、’90年代の健康志向、’02年以降の節約志向(「もったいない」)と、どんどん広がってきたが、ついに’11年、原発災害を契機として、「食抑」意識が生起した。食抑意識とは、「万病の元は食べ過ぎに有り。一日2食で充分。(理想は1食)」という認識で、広範に広がる気配を見せている。
これらの潮流は、一見本能の抑止とも見えるが、そうではない。それは、過剰刺激に対する本能の拒否反応であり、健全な本能回帰の潮流である。この本能回帰の潮流が、市場を縮小させた主役であることは言うまでもない。
市場社会の過剰刺激に対する違和感は年々強まっていますが、その背景には、1970年豊かさ実現を起点として、潜在的に私権欠乏が衰弱し、物的欠乏が抑止され、豊かな人間関係や環境と共生する生活を志向するような、より本源的な充足への欠乏が喚起され始めている意識状況があります。
この潮流は、現在の大幅な市場の縮小=デフレの正体とも言えます。本能は生物の最も根源的な機能ですので、いくら景気対策(アベノミクスetc)をやろうが、この流れは変わりません。特に2011年の3.11大震災以降、本能回帰の潮流は益々顕在化しています。
そのような状況にも関わらず、現在の健康産業の多くは、相変わらず、過剰情報で不安と欠乏を煽り、消費を促すという手法=市場拡大主義を採っています。
大衆意識との間に大きな矛盾があるにも関わらず、本当の大衆期待を捨象し利益を最優先する構造は、ダマシの構造でしかありません。そういう意味では、医療・薬の業界も怪しいでしょう。
一方で、西洋医学への懐疑と東洋医学の見直しの動きなど、本能的危機感から脱市場、本物志向、本質追求の意識も高まっており、今後、食抑、脱医・脱薬、自給志向といった意識潮流がさらに強まっていくことは間違いありません。
ですから、これからのor本源的な健康産業を考える上では、この「本能回帰の潮流」を捉えていくことが出発点となります。
「自分だけの健康」から「みんなの充足・活力」へ
本能回帰の潮流から、大きく脱市場、本質追求に向かっていく中で、新たな可能性に収束する意識も生まれ始めています。
共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流より
しかし、本能回帰よりももっと重要なのは、共認回帰の潮流である。
人類の意識=脳回路は、哺乳類(原モグラ)時代に形成された本能の上に、サル時代に形成された共認機能が塗り重ねられ、その上に人類固有の観念機能が塗り重ねられて成り立っている。その中でも、とりわけ重要なのは、霊長類に固有の共認機能である。これは、周り(同類)の期待に応えることによって充足(安心や喜び)を得る回路(おそらくミラーニューロンとエンドルフィンを主体とする回路)で、サル・人類は、この周りの期待に応える充足=期応充足を最大の活力源にしている。そして、この期応充足を母胎にして、皆で状況を共認し、課題を共認し、役割や規範を共認することによって(=各々の意識をその共認内容に収束させることによって)意識を統合=秩序化し、集団を統合=秩序化し、社会を統合=秩序化してきた。
過去5000年に亙って人類を封じ込めてきた私権の強制圧力の衰弱とは、この人類本来の共認充足と共認統合の実現可能性が開かれたことを意味する。人々の深層意識は、当然、開かれた可能性に向かって先端収束し、共認収束の大潮流を形成してゆく。この私権収束から共認収束への大転換こそ、今回の大転換の本質であり、この大転換こそ金貸し支配を含む現実世界の力の構造を根底から解体し、新しい共認社会を実現してゆく最大の実現基盤に他ならない。
この共認収束の大潮流は、’70年代の仲間収束を皮切りに、’80年代には(私権追求に代わる)やりがい志向を顕在化させ、’90年代半ばには自我発の性欲を衰弱させて一気にセックスレスを蔓延させたが、’02年になると課題収束の潮流を顕現させて遂に遊び第一の価値観を終焉させた。
人類の進化史を辿り、根源的な活力源が回りの期待に応える充足であることを考えると、いくら体によい生活をしていても、共認充足なくして健全、健康とは言えないことがわかります。
共認収束の大潮流を前提に健全、健康のあり方を考えるならば、「自分(のためだけ)の健康」(自我発)ではなく、大事なのは「みんなの期待に応える、みんなの役に立つための心身の健全、健康」、もっと言えば「みんなの充足、活力が第一」(共認充足発)だといえます。
この「共認収束の大潮流」は、これからのor本源的な健康産業を考える上で重要なポイントです。
80年代以降、広がりをみせる健康志向という意識の本質は、「みんなの充足、活力のためにはどうする?」という意識であり、「これを食べれば○○に効く」というような目先の答えでは全く答えになっていません。意識の本質は「本源的な活力の創出」ですから、健康という概念を超えて、どれだけその本源期待に応えられるかが、今後の健康産業の命運を握っていると考えられます。
画像はコチラからお借りしました。
健康産業のこれからの方向性
ここまで見てきたように、本能回帰の潮流大潮流により、市場拡大の可能性が潰え、共認収束の大潮流から、みんなの充足・活力といった本源期待が高まっています。これらの期待に応え、健康に関わる産業が、今後生き残っていくためのキーワードは以下のようになるでしょう。
1.騙しではない。
過剰な情報で危機感を煽り、目先の健康を装い、根本原因・本質追求から目を逸らせ続けるような手法は、市場原理に基づく騙しでしかありません。脱市場の意識潮流がますます大きくなる中で、企業が打出す答えが騙しでないことは、期待に応えるための大前提でしょう。
2.本質の追求
現代は、教育やマスコミによって、健康を含む旧い観念が深く刷り込まれ、大衆のほとんどが本質追求から目を逸らされ続けています。その洗脳から脱し、旧観念に代わる人間本来の姿を見出すためには、先人の知恵や自然の摂理に謙虚に学び、物事の本質を深く追求することが求められます。本質追求から導かれる新しい認識や理論そのものが、食抑、脱医、脱薬、自給志向といった本源期待に応える土台となります。
3.共認充足→活力を創出
みんなの充足、活力が第一、そのためにどうする?というのが期待の本質ですから、企業が生産活動を通じてどれだけ共認充足と活力を生み出せるかは最も重要な軸となります。健康産業においても、脱市場、本質追求を土台として、自給志向に応えられる場づくり、認識の供給、健康を志す人たちのネットワーク化など、充足と活力を生み出す様々な形が考えられますが、それらを通じて充足と活力を実現していくことが、人間本来の健康を実現していくことだといえます。
上記のキーワードに則して、参考になる事例をいくつか紹介します。
幸食研究所~徹底した事実の追求から食の本質に迫る~リンク
代表の渡辺淳氏は、そもそも病気とは何なのか、原因は何なのか?と考えた時に、その大きな原因となっているのが『食』ということに気付きました。
『食』とは【人を良くする】と書きます。
正しい『食』を心掛けることにより、体内の菌や細胞、栄養バランスが変化し、脳が活性化されていきます。この変化により、記憶力や集中力が上がるだけではなく、感性が鋭くなり、感覚も養われます。また、体が健康であることで気持ちをも健康的にし、その人の人相や雰囲気やオーラと言ったものが向上していきます。幸食研究所では、食に関する講演会企画や自然食の通信販売の代理店、無農薬野菜を使った飲食店を監修、運営をしています。
そして、食を追求する中で大衆の知らない多くの隠された事実がることを知り、危機感を覚え、できるだけ多くの人に知ってもらいたい、農の現状を少しでも良くしていきたいという想いから、講演会やブログ等で事実を発信し、意識の高い人と本当に頑張っている農家を繋いでいく活動を行っています。
帯津三敬病院~人間をまるごと捉える「ホリスティック医学」~リンク
がんの再発など、西洋医学に限界を感じた帯津良一名誉院長は、人間をまるごと捉える「ホリスティック医学」の確立を目指しています。
ホリスティックヘルスとは、「病気でない状態が健康」という否定的な定義や「血液や尿や細胞組織の検査結果が正常値の範囲内であれば健康」という消極的な定義ではなく、「精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最高のクオリティ・オブ・ライフ(生の質)を得ている状態」を健康と考える、より積極的な状態のことをいいます。
その考えを基に帯津三敬病院では、気功、漢方薬、鍼灸、食事療法、心理療法、健康補助食品などの代替医療も積極的に取り入れ癌患者さんの治療に当っています。
参考リンク、リンク、リンク
菊池養生園~30年以上前から有機農業に取り組み「医食農同源」を実践~リンク
すこやかに生きていくには、何が必要なのか。熊本県で30年以上前から有機農業に取り組み。「医食農同源」を実践している医師の竹熊宣孝氏。
日本では、第二次世界大戦以降、食生活が激変。急速に食の欧米化が進んで加工食品や添加物の使用が増え、昔からの農業は衰退。
それが私たちの健康や子どもたちの未来にまで暗い影を落としているということを唱え、「医食同源」や「地産地消」が叫ばれるようになるずっと前から、土と命のつながりに目を向け、30年以上にわたって食の大切さを伝え続けています。
養生園は、開設以来「いのち」を守るという精神を基礎とし、さらに新しい取り組みも発展させながら、次の時代を作り出すために理念、基本方針を制定しています。
週1回の「養生講座」では、農業は命をつくる学問。医者よりえらい”という持論を掲げ、40万年、消えずに受け継がれてきた命と食と農業について、真剣に、時にはユーモアを交えながら語っています。
参考:リンク
あきゅらいず美養品~人間本来の力を引き出し、充足を広める~リンク
従来の化粧品ではお肌のトラブルは後を絶たない。お肌はもともと自分自身の潤いと代謝の力ですこやかに保てるようにできている。
『三スギ』(かまいすぎ)の悪循環を断ち切り、『潤い』と『代謝』の力を高めてあげることが大切ということに気付いた南沢代表は、「お客様のお肌の悩みを改善する本当に良い化粧品を作りたい!」と、単身で東洋の教えが根付いた中国へ渡り、中国薬科大学の先生と共同で日本人に合うスキンケア商品を開発しました。
「美しさをカタチづくるのではなく美を養うことからはじめよう」という想いから出来ている商品の数々。
たくさん売ることが目標ではなく、本当に必要とされるもの、本当にいいものをお客様に提供し喜んでもらいたいという想いに貫かれたあきゅらいずには、熱烈なファン、リピーターがあとをたちません。
株式会社フォーラル~地域の健康と安心を提供する薬局~リンク 患者さんと薬局スタッフひとりひとりとの信頼関係の確立を理念として経営されており、薬の処方だけでなく、栄養面のサポートや、病気や薬について勉強会を行い、地域の方々とのつながりを深めることで、健康と安心を提供しています。
セミナーは、各店舗のスタッフが、さまざまなアイデアを出し合い、テーマの決定から、資料の作成、当日の講師など、企画・運営に関わるすべての業務を担当しています。
テーマは高血圧セミナー、冷え性セミナー、感染症セミナーなど病気の知識を勉強するものに加え、料理教室やアロマテラピー教室など多岐に亘ります。
薬では解決しにくい健康の悩みなどにも、食生活改善やアロマ療法を取り入れ、より多くの方に店舗を身近に感じてもらい、スタッフと患者さんの信頼関係を強めています。
リンクより引用
すでに、社会の意識は本源回帰、共認収束へと大きく動き出しています。そして、この大潮流は今後さらに大きなうねりとなって、社会構造を大きく転換させていくことになるでしょう。そうなれば、ウソ、ごまかし、隠蔽、騙しといった旧い手法は一切通用しません。騙しの手法は急速に大衆から見放されていくことになるでしょう。
健康産業は、人間の生命の十全な維持という根源に関わる産業ですので、今後、益々社会的な期待が集まる分野でもあります。一方で、まだまだ未解明の部分が多いのも事実です。
時代の行く先を見据え、未だ言葉になりきらない社会の期待に応えていくために、本質を追求し、ネットワークの基盤を今すぐにでも構築していくことが、今、健康産業には求められているのです。
- posted by misima at : 23:58 | コメント (0件) | トラックバック (2)
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