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2013年04月09日

『共同体経営とは?』15-2 事実認識に基づいた男と女の役割共認②~男の役割とは?~

みなさんこんにちは 😉
前回に引き続き、「事実に基づいた男女の役割共認」の後編、男の役割について追求していきたいと思います。
男っていうと、つい最近まで草食男子なんていう言葉が流行っていましたね。今では絶食男子なんていう言葉まででてきている状況です。でもこれって社会の性規範が変化したが為に出てきた言葉。つまり時代の変化を素直に捉えた男達が自らを変化させ、新たな適応態として生まれ変わっているのでは?という見方もできます。これはあくまでも可能性発!これを捉えるためにこれまでの男の役割を見つめ直し、次代の男の可能性について見ていきたいと思います。

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①男の役割=変異を担う闘争存在
 

実現論第一部:前史ロ.雌雄の役割分化
 
 
生物史上の大進化はいくつもあるが、中でも生命の誕生に次ぐ様な最も劇的な進化(=極めて稀な可能性の実現)は、光合成(それによって生物界は、窒素生物から酸素生物に劇的に交代した)であり、それに次ぐのが雌雄分化であろう。
(中略)
雌雄分化とは、原理的にはより安定度の高い性(雌)と、より変異度の高い性(雄)への分化(=差異の促進)に他ならない。従って、雌雄に分化した系統の生物は、適応可能性に導かれて進化すればするほど、安定と変異という軸上での性の差別化をより推進してゆくことになる。  
(中略)
事実、この系統の生物は雌雄の差別化をより推進してゆく方向で進化してきた。それは、雌雄が同じ役割のままでいるよりも、安定性の求められる生殖過程はメス、危険性の高い闘争過程はオスという風に役割分担を進めた方が、より種としての環境適応が高くなるからである。
(中略)
メスが生殖過程を主要に担い、オスが闘争過程を主要に担うことによって、メスとオスが調和し、種としてのバランスを保っている。それが、オスとメスを貫く自然の摂理である。

 
 
 
このように、生物史を通じ、変異体としての雄は闘争過程を主要に担うことで、種としての環境適応を可能にしてきたのです。
 
では、近年の男の変化の原因はどこにあるのでしょうか?
それにはまず、1970年代、物的飽和によって貧困が消滅した際、性の役割が変化した謎を解き明かしていく必要があります 🙄

 
 
 
 ②私権の性の終焉=男発の性の終焉=男の闘争目的の変化の起点
 
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男たちは 『力の基盤』 を失った
 
私権時代、男にとってのセックスとは、性の充足を得ることそのものよりも、むしろ『性闘争勝利の証』『独占支配の証』を得るための行為であった。そのためには当然『力の基盤』が必要となる。それが『私権の力』であった。そして、それを獲得するために、他人を蹴落としてでものし上がっていく、私権闘争を繰り返してきた。
そして、一方では女をモノにしたいという独占欲、もう一方では、獲得した以上は守っていかなければならないという庇護意識(規範意識)を充たしてきた。
しかし’70以降、性権力の肥大化によって、もはや衰弱した私権の力では、女をどうにも思い通りにはできなくなってしまった。
>『セックスレスの原因構造~大転換期1970年頃になにが起こったか?~』(73292 西田さん)
つまりは、『男が力の基盤を失った』ということを意味する。これが、セックスレスの根本原因であり、まともな男ほど性闘争を放棄してしまった。しかし、トコトン庇護意識(規範意識)の薄い「無責任な男」だけが、相変わらず女の尻を追いかけまわす。そして女は、性的存在理由を充たすために、そんな男に向かっていったのだ。つまりは、「無責任な男ほどもてる」ということである。
(中略)
今、男たちは『力の基盤』の獲得をめざして、あらたな闘争課題(=認識闘争)に向かいはじめた。そして、性の問題はいったん棚上げにされた。しかし、社会の根幹部分である男女関係、そして一番の充足源であるセックスの問題を考えないわけにはいかない。
(中略)
今、男たちに求められること。それは『力の基盤の獲得』に加えて、『自我の性から本源の性へ』認識転換することではないだろうか。

このように、70年代以降、それまで私権圧力によって自らの力の基盤を誇示してきた男達は、私権が崩壊すると同時に性の衰弱を向かえ、遅かれ早かれ、次の基盤獲得に動き始めました。その最先端にいるのが、残存している私権圧力から遠い所にいる現代の若者です。
 

本能充足の為の闘争
 

 貧困の消滅
   ↓
生存圧力の衰弱 → 性闘争本能の衰弱
   ↓         ↓
 私権の衰弱  → 自我の性の衰弱
   ↓↓       ↓↓
本源的な共認欠乏・本能欠乏の活性化

 
 
貧困の消滅以降、上記のような過程で性は衰弱し、最先端の日本では既にセックスレス・少子化に歯止めが掛からないどころか、若者の男女間引力すらも低下の一途を辿っている。
(中略)
では、共認欠乏・本能欠乏の活性化による性の再生は有り得ないのだろうか?
 
現段階で既に顕現している、仲間との期待・応望の規範共認が、どうやらその導きとなりそうだ。
 
即ち、生物にとっての本源的な性闘争本能とは何か?に立ち返ってみると、生物種全般にとっての課題である外圧適応の為の様式であり、常にその対象は『種=みんな』の充足の為に生起する回路なのである。

 
 

性が集団規範に組み込まれる時代に入った
 
  
(前略)
例えば一昔前の学生であれば、学校・サークルは抜け駆けの性闘争の場であり、学科内・サークル内で女を捕まえる事は、同姓からの賞賛と羨望を受けるような行為であった。しかし、現在の学生の間では、仲間集団の充足の空気を乱す様な行為はむしろ「自己中」「KY」として批判されかねない。自ずと一対一の恋愛 は敬遠される。その為、「仲間集団の中で恋愛をすることにはためらいがあるが、(例えばバイト先など)外の異性が相手なら問題ない」というような実感も聞かれる。
 
つまり、草食化と言う現象は、「若者達の間での集団規範の圧力が、抜け駆けの性闘争を封鎖している」という状態を示しており、だからこそ女達も女子会を開くなどして、女集団の和を保つことに努めている。(単に男がそっぽを向いているだけなら、もっと不満が溜まっていてもおかしくない。)
(中略)
いずれにせよ、時代は既に、性が集団規範に組み込まれる段階に移行しつつあるという認識は必須だろう。

 
 
このように、性の外圧が変化するのと呼応しながら、男達、特に現代の若者を筆頭に、闘争存在としての役割を70年代までの「自己」から、「みんな=集団」へと変化させたのです。
実はこの変化、生物史上、人類が経験したことのない新たなパラダイム転換への適応進化なのです。

 
 

原基構造の不変部分と可変部分
 
(前略)
自然(生物)の摂理=人類の原基構造のどこが不変でどこが可変かを判断するときに、必要な視点は大きく3つある。
(中略)
三つ目は、原基構造を成していた始原時代の外圧状況と、現在の外圧状況の変化だ。始原時代には、顔の見える集団を超えた社会は存在していなかった。また、 絶対的な生存圧力が働いていた。現在は単位集団を大きく超えた社会が登場し、また、生物史上初の出来事である生存圧力の克服を果たしている。したがって、この新しい課題には、単なる始原時代の生存様式や統合様式の踏襲・回帰では適応できない。ここは、人類が獲得した観念機能を駆使して、新たな適応形の獲得が必要な可変部分となる。
 
このような捉え方をすること自体が、外圧適応態としての生命の原理=自然の摂理に従う、ということの意味でもある。

 
 
新たな適応態へ進化している現代人、とりわけ、私権への忌避感を感じた者ほどその変化度は大きい。この変化の先に必要となる能力は何なのでしょうか?
 
 
 
③これからの闘争能力の基盤
 
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闘争能力の基盤は、みんな発の充足性と肯定視
 
(前略)
今後10年間は、自分発からみんな発への転換度が、闘争過程の力を基底する。みんな発の充足・肯定視の先には観念力も必要になるが、自分発からみんな発への転換ができていないのに、下手に観念を吸収しても言い訳・へ理屈のネタにしかならず、害の方が大きい。
 
10年後に求められる力を先回りして予測すると、
社会の全面的行き詰まり→新理論が求められるはずだが、そのためには、認識収束の潮流が顕在化し、理論追求に真正面から取り組む人が少数でも出てくる必要がある。
(中略)
私権時代に求められた力は、武力or資本力。
(中略)
武力闘争は集団闘争であり、武装集団をどう統合するか→共認統合力が勝敗を決することになる。
 
人類の原始時代も採集時代も、武力時代も資本力時代もいずれも共認統合力が力そのものである。このことは、普遍的・歴史貫通的に指摘できる事実である。
 
では、私権時代の共認統合力と、共認時代の共認統合力の違いは何か?
 
私権時代は誰もが私権を求めて収束する、自分第一の時代。→自分(私権獲得)のための共認統合力となる。
(中略)
現在~近未来は、私権の衰弱→共認収束→みんな第一という価値転換が進行する。そこでは、みんなを充足させるためには何が必要かという観点が問われる。つまり、源泉部が自分発からみんな発に転換するため、みんな発でなければ共認統合力は形成できないのだ。

 
 

共認統合、その無限の可能性
 
(前略)
共認機能は、個体にとっては活力源、集団や社会のレベルでみれば統合原理そのものになりうるという特徴を持っている。つまり個体にとっての活力源と集団の統合原理が同じベクトルを持っていて、打ち消しあわないどころか、相乗的に上昇しつづけることができる。しかも、性闘争→序列統合は、生存圧力が働いてこそ作動するシステムであり、貧困が消滅したことによって命脈を絶たれるが、期待と応合の双方向性を持つ共認機能は、それそのものが、相手にとって/自分にとっての圧力源となる。つまり、共認とは(人間が共認機能を失わない限り)自ら無限に圧力を高めていけるという仕組みでもある。

 
このように、次代の闘争能力の獲得にまず必要になるのは、私権に縛られた個人を脱し、みんな発へ意識転換すること。その上で、共認統合の充足度を無限に上昇させていくには、みんなが納得できるだけの共認形成力の獲得が不可欠となります。
 
次回は、その共認形成力を獲得する為に必要なことについて追求していきたいと思います。

 

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