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2013年04月27日

社会の期待に応える介護とは?(中編)

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画像はこちらからお借りしました。
前回の記事にも述べたように、「介護業界」は難しい状況にあるようだ。では、そもそも介護とはなんだったのか。何のために誰が作り上げてきたか・・・。歴史をさかのぼり追求し、積み重なってきた歴史をさぐっていきたいと思います!!

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■文明以前の社会、高齢者はどのようであったか?                                                     
文明以前の共同体社会(集団)において、高齢者はどのようであったか。当然ながらそれぞれの共同体に固有の外圧、生産様式、統合様式(規範etc)がある。未開部族(現代文明が入っていない部族)の事例を大きく分類すると、①高齢者が遺棄される社会(集団)、②高齢者の役割が活かされる社会(集団)、③高齢者が権威or権力を持っている社会(集団)があるようだ。
①高齢者が遺棄される社会(集団)
高齢者の介護を放棄、棄老、殺害する部族の多くは、生存環境、生産様式に共通点がある。北極圏や砂漠地帯といった、ギリギリの食糧事情、たびたび深刻な食糧難に見舞われる過酷な環境に暮らしている。また移動型の狩猟生活を基本としている場合が多い。集団全体の食い扶持を賄えないときは、高齢者を犠牲にしても集団の生き残りを優先せざるを得ない事情がある。移動生活の場合も、高齢者の存在が集団の存続にとって危険と判断される際は(高齢者を連れて移動することが深刻な負担となる場合など)、置き去りにされるという。
高齢者の介護放棄、棄老、殺害と聞くと、現代人は理解しがたいかもしれないが、彼らの置かれている過酷な外圧、そして集団の生き残りが第一ということを考えあわせなければならない。おそらく彼らは何世代にもわたってそうやって部族の存続を図ってきたわけで、高齢者自身もそのような処遇を自然なこととして受け入れてきたのではないだろうか。
②高齢者の役割が活かされる社会(集団)
高齢者が集団における「生産」「育成」「充足」「統合」「存続」という点で重要な役割を果たしている共同体もある。彼ら彼女らはどのような役割を担っているのか。
参考:『昨日までの世界 文明の源流と人類の未来』 

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狩猟採集社会では、人はいずれ老人となり、男性であれば槍でライオンを仕留められなくなる。女性であれば老女となって、重い荷物を持つての徒歩ができなくなって、モンゴンゴの実の採集にいけなくなる。それでも、高齢者が食料を獲得しつづける方法はある。そして、祖父母が、孫のために食料を獲得しつづければ、そのぶん親は子どもの食料確保にあくせくしなくてすむ。たとえば、アチェ族の男性は60代の高齢になっても、社会にサービスを提供しつづける。小動物に特化した狩りをしたり、果物やヤシのさまざまな部位を採集したりして、食料の採集に協力する。集団が野営地を移動する際に、通り道の小道をつけたりして、集団の手助けをする。クン族の男性は高齢になっても、動物を罠でつかまえたり、植物を採集したりしては、食料の足しにする。若い男性たちの狩りに同行しては動物の足跡を読んで、足跡の主の見当のつけかたを教えたり、狩りの戦略の相談に乗ったりする。また、タンザニアの狩猟採集民ハヅア族の女性のなかでもっともよく働く年齢集団は閉経後の祖母たちである。彼女らは、一日平均七時間働く。一日中、根菜類やベリー類、ハチミツ、果物を採集して歩くのである。子どもはいなくても、腹を空かせて待っている孫たちがいるからである。彼女らが食料採集に費やす時間が多ければ多いほど、孫の体重増加が早まるのである。
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高齢者がもっと高齢になって、一日七時間、根菜掘りができなくなったら何ができるのだろうか。それは、子守りである。祖父母が孫の子守りをすれば、子ども夫婦は育児の心配をすることなく、食料探しに専心できる。クン族では祖父母が孫の世話を、数日間連続で引き受けるようなこともよくある。その間、子ども夫婦は、泊まりがけで狩猟採集に出かけることができるのである。
高齢者は物づくりのサービスを提供することもできる。成人した子どものために道具、武器、かご、壷、織物といったものをつくってやることもできる。たとえば、マレー半島に住む狩猟採集民セマン族の高齢者は、吹き矢づくりの名手として知られている。このような物づくりの分野におけるサービスは、高齢者が若いころに習得した経験や技術を発揮できる分野である。実際、多くの場合、高齢者のほうが上手につくれるのである。かごや壷づくりの名人は、往々にして高齢者である。サービス分野のなかには、齢を重ねた人のほうが、よりよいサービスを提供できる分野もある。それは、医療サービス、宗教サービス、娯楽サービス、人間関係の相談、政治的貢献といった分野のサービスである。伝統的社会では、助産師や呪医が高齢であることが多い。呪術師や司祭、預言者、魔法使いも、たいてい高齢である。また、歌や遊びや踊りや通過儀礼といったものの教え手や率先者もまた、高齢であることが多い。高齢者には、若いころからの人間関係のネットワークがある。そのネットワークを利用して、自分の子どもの人間関係を広げてやることもできる。部族社会においては一般に、政治的指導者は高齢の人である。それゆえ、そのような社会では、「部族のお年寄り」という言葉が、部族の指導者を意味する言葉になっているほどである。
それでは、伝統的社会で生きる高齢者がはたせるもっとも重要な役割は何だろうか。ところが、文字体系のない社会では、すべてが人間の記憶頼りとなる。そのような社会では、高齢者は社会の生き字引なのである。私は、ニューギニアでの現地調査の最中に、私の質問に答えて村人が、「おじいさん[またはおばあさん] に聞いてみよう」というのを、何度も耳にしている。部族に背から伝わる神話や歌について知っているのは高齢者なのである。人々の親戚関係、いつだれがだれに何をしたかについて知っているのも、地元の何百種類もの動植物の名前と性質と利用法、生存環境が悪化したときにどこで食料をみつけたらよいかといったことについて知っているのも高齢者なのである。だからこそ、伝統的社会の人々にとって、高齢者の介助は死活問題だったのである。現代の船乗りにとっては海図の有無が死活問題であるのと同様、伝統的社会の人々にとっては、高齢者の知識が重要なものだったのである。

日本の縄文以来の村落共同体も、概ねこのような社会(集団)であったと考えて間違いないだろう(一部、飢饉の際などは棄老も行われたであろうが)。
かつては、男も女も年長者の知恵や見識が集団を下支えしていたという記録も多い。
参考:村落共同体に見る「寄りあい=話し合い」のありかた
③高齢者が権威or権力を持っている社会(集団)
高齢者が権力をもっている集団では、財産(所有権、相続権)、性(婚姻権)、食などにおいて高齢者に優位なシステム、規範が組み込まれている場合が多い。私有権(私権)が既に浸透していると見て良いだろう。高齢者は尊敬され介護がないがしろにされることはないが、私権期待(権力の移譲期待など)が混入していることも否定できないだろう。家父長権で統合される大家族、儒教的親族集団、南欧や中南米に見られるファミリー集団などの原型と言えるかもしれない。
■古墳から飛鳥時代に誕生した福祉施設の原点「悲田院」とは
飛鳥、奈良、平安、鎌倉と時代が流れ、都市が発達していくと共に、貧富の差が生まれ町には、貧しい人たちがあふれかえっていき、都市を治める支配層として、労働力or兵士となる民を懐柔するため(民が反乱などおこさず、素直に従うように)、都市のイメージを悪くしないようにするため、貧しい人や弱い立場の人を救護することが始まりました。
そして、聖徳太子が大阪四天王寺に設立した「悲田院」が日本における福祉施設のはじまりと言われる。悲田院とは奈良・平安時代に仏教の慈悲の思想に基づいて、貧しい人や孤児を救うための救護施設で、723年(養老7年)奈良の興福寺に施薬院とともに設けられたのが初見で、その後諸大寺にも設けられ、730年(天平2)光明皇后によって皇后職に悲田、施薬の両院制が公設され、奈良・平安時代を通じ救療施設の中心となりました。
画像はこちらからお借りしました。
参考:悲田院 
縄文以来の村落共同体においては、それなりに食糧が豊かな地域もあれば、相対的に貧しい地域、かつかつで生活に苦しい地域もあったでありましたが、それはその村全体がそのような生活レベルということであって、貧しい人を集めて保護するというような発想は、どう考えても登場しません。障害者や病人や老人もその村落共同体内で助け合うというだけのことでした。
弥生時代~古墳時代かけて大陸渡来民の流入を契機とする戦乱の時代を迎え、その中で勢力を増した武装集団の拠点として「都市化」が進み、そして都市の下層民は戦乱と権力支配の必然として村落共同体の時代以上に貧窮する、つまり「貧富の格差」が拡がります。こういう状態でないと、悲田院のような施設は登場しなかったと思います。
■高齢者が尊重されていた江戸時代の「長屋介護」
江戸時代は徳川家康の儒教的な仁政の影響もあり、高齢者が尊重されていました。老いは悪いことではなくめでたい事でした。基本的に家族とともに暮らし、高齢になっても定年はなく、経験が重視され社会的な役割も期待されていた。また、医療が発達しておらず、今のように長期間寝たきりになる事はなく、死ぬまでの短期間を家族に見守られて送られていた。一人暮らしの高齢者も、長屋などの相互扶助が一般化しており、周りの人たちが世話を焼いていたようで、また、天明の飢饉以降は七部積金と言う制度を作り、身寄りのない高齢者が食うに困った場合は、今で言う生活保護費を支給していました。
①古代ローマから江戸へ
そして江戸時代こそは、日本史に特筆すべき「老い」が価値を持った好老社会でした。儒教に基づく「敬老」「尊老」の精神が大きく花開いたのです。
「先憂後楽」という語に集約されるように、江戸の人々にとっては、今日と違って人生の前半より後半に幸福がありました。若返りという思想はなかったのです。こうした「老い」が尊重された社会というのはまた、「若さ」をたたえる社会よりも、人にも自然にもやさしい社会であり、文化であったと言えるでしょう。
参考:こちらから引用しました。
②日本の高齢化前夜の失敗から学び取れるもの
江戸時代の状況を伝えるいくつかの史料には確かに、上層の庶民や武士階級にあっては、老親の病状悪化に対処する親族・家族ならびに外部から招かれた介抱人による看病の様子を見て取ることができます。しかし、そこでおこなわれているのはあくまでも病状の悪化に伴う短期間の看護であり、ましてや、家族総出の生産活動によってかろうじて生活を維持していた大勢の人々にとっては「医療」は日常的なものではなく、生産に関与できなくなった老親を「介護」するなどという行為もほとんどおこなわれていませんでした。
参考:こちらから引用しました。
③『長屋の暮らしに学ぶ-1』 江戸時代の共同体
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医療が今ほど発達していなかった当時は、親と死に別れた子供や、子供に先立たれた老人も少なくなかったと思われますが、誰か彼かが世話をし、納まるべきところに納まっていたようです。
長屋という大家族ともいえる環境のおかげで、子供もひとり暮らしの老人も大勢に守られて暮らしていけたのかもしれません。長屋という家族に似た共同体が、実にさまざまな機能を果たしていたと言えます。「大家といえば親も同然、店子は子も同然」という言葉があるように、経験豊かな大人が常に若年層の相談に乗っていました。味噌や米を貸し借りし、親の帰りが遅ければ、小さな子供はどこかの家庭でご飯を食べさせてもらい、家族が薬代のために日中働いていてひとり残される病人がいれば、近所の誰かが気にして様子を見てくれ、夫婦喧嘩には近所の仲裁が入ったり…。長屋の生活は、貧しくとも案外幸せな暮らしにも思えます。
参考:こちらから引用しました。
画像はこちらからお借りしました。
④江戸時代にも生活保護があった
江戸時代も生活保護がありました。天明の飢饉(1782年~1788年)にともなって発生した江戸での大規模な打ち壊しにより、幕府が危機感を募らせ、江戸では「七分積金」という制度を作りました。簡単に言えば財政を切り詰めて、その分の7割を窮民救済に使うというものです。身寄りのない高齢者や子どもが食うに困るようなときは、調査の上、手当を支給しました。
参考:こちらから引用しました。
■宗教団体や篤志家が担い手であった明治時代「養老院」の誕生
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明治に入って「養老院」が登場する。明治政府はこれまでの江戸時代 とは異なることを示すための施策、儒教思想の人の掌握のひとつの手段であり、その背景には、貧しい人を憐れんで、何らかの対応をするのは国民である。と明治政府が基本的な考えを公にしたことから始まったと考えられます。
①初期の担い手はキリスト教
明治政府と結びついた西洋勢力が、布教と奉仕によって日本社会に根付く(大衆への共認域を拡げる)意図ということから、キリスト教団体(修道士、宣教師)が担い手だったようで、江戸政府が禁止していたキリスト教が、明治政府によって認められ、明治政府がお墨付きを与えたことで制度化されていきました。
②そもそもなぜ明治時代に養老院が登場したのか。
おそらく、明治時代に入り、資本主義社会化→市場社会化が進んだことが背景にある。農村から都市への人口移動、そして市場社会化の必然として都市下層民の貧窮化という状況が予想されます。そうでないとこのような施設は登場しないと思います、「都市化」「貧富の格差」による貧窮民を政策的に保護するという図式は、前節で述べた飛鳥時代の悲田院の構造と似ていることがわかります。
キリスト教団体もそうであるが、日本では篤志家や寺院・宗教家が福祉・介護を担う伝統が長く続く。失われてゆく共同体の代替機能とも言えます。福祉・介護は「奉仕」であるという伝統的な考え方。もちろん、古来から福祉・介護はもともと共同体内の当然の助け合い行為=自給行為だったということがありますが、明治以降、宗教団体や篤志家が担い手であったということも影響しているかもしれません。
■「福祉ブーム」到来!1970年代~現代の介護
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1973年の政府による福祉政策(老人医療費の無料化、医療保険の給付率の改善、年金の物価スライド制の導入など。「福祉元年」と言われる)に象徴されるように、財政(税金と保険制度)で国が福祉・介護を支えることが公然となり、世論も後押ししました。
戦後の高度経済成長期に都市への人口移動と核家族化が進行し、理想的、または標準的な家族像として、結婚し子供が生まれ、父はサラリーマン、母は主婦、子供は二人。最初は団地へ住み、お金が貯まったら戸建て住宅に住むという人生設計が既定化されてきました。しかし、いわゆるおじいちゃん、おばあちゃんのような「高齢者」は入っていない状況にあり、既に大半の都市民は相互扶助の基盤を喪失、高齢者の介護は税金や保険料を払って国にやってもらわざるを得ない状況になっていました。これが現在の介護の姿であるが、財政頼みという構造的問題(財政破綻すれば崩壊)、官製市場による歪み、そして介護が共認充足から遠ざけられているという根本的問題があるが、八方塞がりで答えがない状況です。
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※「介護」という言葉の概念
介護という言葉が法律・法令上で使用されたのは1892年の陸軍軍人傷痍疾病恩給等差例であり、この時「介護」は施策ではなく、恩給の基準としての意味を持ち、恩給の給付基準の概念として「介護」(助ける、まもる)という言葉が誕生しました。
後に「介護」が施策として浸透していく反面、障がい者の親は子供を施設へいれることへの抵抗と、面倒を見切れない大変さの板挟みとなり苦しむ人が増え、「公的介護保障の要求運動」が起こりました。それを経て1970年代、福祉ブームと呼ばれる時代が到来し、家族介護の支えとしても、「介護」という言葉が浸透した。その翌年にはクオリティーオブライフの考えが介護にも普及し、質の高い介護が目的とされるようになりました。
※医療と介護って
・医療と介護、どちらも官製市場であるが、医療の社会的地位は高く(医師の所得は高く)、介護のそれは低いのは何故でしょうか?
医療の歴史を紐解くと、近代西洋医療の源流にあるのは「権力者に仕える専門家」という姿です。対して介護はもともと「共同体内の助け合い=自給行為」であり、加えて医療業界には「薬」という、大きな市場が背後に控えている。金融資本家、グローバル企業etcにとって大きな収益をもたらす構造ができあがっていて、介護にはこうした後ろ盾がないという違いも大きいと考えられます。
参考:日本の医療・介護業界はどうなる? 

■高齢者観の変化
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かつての村落共同体の時代、高齢者は長老として「畏敬」の対象、経験と知恵を象徴する現役の存在であったと思われるが、近代以降徐々に「敬老」の対象、つまり表社会から敬して遠ざける存在となり、そして現代では結婚し子供が生まれ、新しい家に住むという人生プランから、「高齢者」は入っていない状況にあり、介護すべき「社会的弱者」扱いとなってしまっています。これと関連することとして、江戸時代の武士階級=官僚および商人階級あたりから「隠居」という概念が登場していて、現代で言えば、「第二の人生」「老後は悠々自適」という概念であると言えます。かつては、年齢に応じて共同体内の役割は変化するものの、生涯現役(一生なんらかのかたちで働くこと)が一般的であったはずです。おそらく「近代思想=個人主義、市場主義」の問題であり、「集団、共同体の解体」の問題。これによって、高齢者の社会的役割が喪失してしまっていることが根本的な問題だと思われます。
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■まとめ「時代と共に、変化してきた「介護」「高齢者」の概念」
時代の変化と共に、変化をしつづけてきた「介護」。この言葉には、積み重ねあげられた歴史があり、「資本主義社会化→市場社会化」、「農村から都市への人口移動」、そして「市場社会化の必然として都市下層民の貧窮化」という状況など、社会の変動と伴って「介護」という言葉は変わり続けています。
次の記事は、そんな現在の介護施設の事例を紹介したいと思います。

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