2013年05月04日
「共同体経営とは何か?」17-2 生産様式ではなく統合様式が要 その2 ~統合様式が生産様式を規定する~
■はじめに
前回の記事では、因果関係と収束関係の違い、すなわち、思考方法の違いを明らかにしました。それを踏まえて、今回の記事では、具体的なお話をしようと思います。紹介するのは、マルクスです。
いうまでもありませんが、マルクスとは、共産主義の柱になった理論の生みの親。19世紀最大の哲学者であり思想家、そして経済学者です。そんな偉大な人が、どんな思考をたどって説を唱えたのかを考え、そこから企業改革に活かせる仮説を導こうと思います。是非、ご一読ください。
(具体的といいながら若干抽象的な話になるのは、本稿の話題的にお許しください。)
■マルクスの生産力説
1)マルクスの影響力
マルクスの理論は、新しい国を作ってしまうほどの大変な影響力がありました。そのため多くの人が研究し、賞賛と同時に批判もされています。100年以上経った今では、彼が言ったことだけでは説明できないことが多くあるといわれていて(そりゃそうです)、全てを鵜呑みにする人はあまりいないでしょう。
しかし、経済学を学ぶ人は、今でも少なからず触れる内容のようだし、大きなくくりで見れば“無意識の前提”的に影響力を保っている考え方ともいえるでしょう。
2)生産力説・・・生産様式が統合様式を規定する
マルクスの歴史観、すなわち「唯物史観」(唯物論的歴史観)。それを定式化した著書『経済学批判』の序に「生産力説」が集約されています(本文はこちら )。翻訳すると、
生産(諸)力と生産(諸)関係が人間社会の下部構造(土台)にあり、政治や法律や社会的意識が上部構造にある。そして生産力が発展すると、生産関係との間で矛盾を来たし始め、やがて社会変革へ至る。この変革を通じて人類の生産様式(生活様式と訳される場合もある)は、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的(=資本主義的)なものへ変遷してきた(最終的に共産制に行き着く)。
(引用:こちら)
ものすごく大雑把に言うと、「“下部構造”が変化すると“上部構造”も変化する(=社会変革へ至る)」。「上部構造は下部構造に規定される」とも言い換えられます。いずれの場合も、上部構造とは、政治や法律などのこと。下部構造とは、経済制度や生産にかかわる労働(関係)などです。この定式を巨視的に図解化すると、このようになります。↓↓↓
マルクスのいう諸概念をくくって、より具体的な別の概念で言い換えると、下部構造は「生産様式」、上部構造は「統合様式」に置き換えられます。そのうえで、もし、マルクスの言うとおりに社会変革が実現したとしたら「生産様式が変化した結果、統合様式が変化した」と総括されるはず。すると、上図のようになるわけです。各々の関係は「原因→結果」という一本矢印(→)で結ばれます。
(参考)
マルクスの「生産力説」とは1
マルクスの「生産力説」とは2
マルクスの下部構造
カール・マルクス
唯物史観
など
■収束関係で見るマルクス
1)生産力説の総括
マルクスの生産力説は、どこまで正しいのか。別の見方は出来ないのか。100年経った今では、大きな総括は可能になっています。
まず、概念的な話です。下部構造と上部構造という大きなくくり。これは、今でも適用可能な概念でしょう。私権原理のパラダイムの中では、社会のシステムは大して変わらない、ともいえます。ただ、いずれも、下部構造や上部構造のもととなる「生産力」「生産関係」「生産様式」などの概念が曖昧かつ複雑。結果として、全体的にスッキリとしません。特に、マルクスのいう生産様式は、現在的には(社会の)『統合様式』という概念に置き換えたほうが、より明快でスッキリします(このような見地から、前述の図解は別の概念で言い換えました)
つぎに、実践的な話です。マルクスの理論を、実際の社会もしくは国家に適用した結果、どうだったか。これは、論を俟たないでしょう。共産主義国家の樹立は、たいていがマルクスの死後に起こっていますから、彼が不在の中で行われたこと。全てがオリジナルの理論によっているとはいえません。しかし、共産圏=東側諸国の変遷(=崩壊または消滅)が史実です。
また、日本で考えてみると、生産力説が必ずしもあてはまらないことがわかります。なぜなら、日本の下部構造(≒生産力)は、世界で最も発展しているのに、社会変革が起きていないからです。下部構造は、厳しい経済情勢の中、地道な努力をしているのに、上部構造(政治や法律)が勝手に暴走しています。挙句、国益を損なうことがほぼ確実な条約を結ぼうとするなど、全く報いのない社会をつくりだしている始末。国民は怒っていますが、労働者が団結する気配はないし、社会変革に結びつきそうな気配はありません。
2)収束関係でみる歴史・・・統合様式と生産様式
ここで、仮に、史実を収束関係に捉えなおしてみるとどうなるでしょうか。わかりやすくするために、日本の歴史で考えてみます。
まず、中世。中世の日本は武家による武力支配社会。武家によって“士農工商”などの身分序列がつくられ、武力によってそれを強制共認させ、社会が統合されていました。食料の生産や流通は必要なものですが、それは、支配階級が必要と考えた生産様式と合致することになります。中世の場合、主たる生産は「米」の生産。すなわち農業です。で、これを図解化するとこうなります↓↓↓。
[武力支配]⇒[身分序列]⇒[農業生産]
次に、近代でも同じようにやってみます。年代的には江戸幕府以後。明治~昭和のイメージで図解化すると、こうなります↓↓↓。
[資力支配]⇒[市場拡大]⇒[工業生産]
この時代、支配階級の力の源泉は、武力から「お金」に変わっています。軍隊などの武力(武器)もお金で買える時代です。したがって、それに伴って支配階級の目的意識が変化し、より利益(国富)を得る生産様式が求められます。農業生産より付加価値の高い生産様式・・・それは、工業生産です。
以上、大変簡単ですが、支配階級が「どうやって社会を統合するか」を思考する過程に同化して考えてみると、必然的に、収束関係になることがわかります。
3)収束関係で見る生産力説
ここまで見てきた、日本の「統合様式と生産様式の収束関係」は、マルクスの生産力説図解にも当てはまりそうです。図解化すると、こう↓↓↓。
先に示した生産力説図解に対して、右方向に収束関係の矢印を付け足しただけです。が、たとえば、近世から近代の図解、
[資力支配]⇒[市場拡大]⇒[工業生産]と重ね合わせてみると、まったく逆の意味として理解できます。すなわち史実からすると
「統合様式が生産様式を規定する」もしくは「統合様式の変化が生産様式を変化させる」となるのです。収束関係でマルクスを見ると、全く逆の答えになります。実感しやすいように日本の史実を事例としましたが、米国や欧州諸国の場合は、もっとピッタリと当てはまるはずです。
ここで興味深いのは、マルクスの生産力説も同時に成立することです。つまり、因果関係でいうと「工業生産が発展した結果、市場拡大が実現し、さらにその結果、資力支配という統合様式が実現した」。史実と大きくは合致します。先に、収束関係と因果関係は思考のベクトルが「逆」と述べましたが、こういうことです。
4)なぜ、マルクスは因果関係思考でしか答えを導けなかったのか
マルクスの導いた答え=「生産力説」が、因果関係を掘り下げるにとどまってしまったのはなぜか。実現基盤を発掘し、可能性の実現の道筋=収束関係を示せなかったのはなぜか。それを端的に示す内容を引用します。
『マルクスの誤り 否定意識発では実現基盤を発掘できず、金貸しに利用されただけ』
~前略~
マルクスはどこで間違ったのか?
当時、労働者大衆は貧困のどん底にいた。それを何とかしようというのがマルクスの課題意識であった。そこまでは正しい。
また、現実を変えるには奇麗事の架空観念ではダメで、現実を対象とする構造認識が必要だという所も正しい。
ところが、マルクスの追求の原動力となったのは、貧困のどん底という真っ暗な現実に対する否定意識である。否定意識発で現実(歴史や社会)を構造化しても、実現基盤を発掘することはできない。従って、どこまで追求しても否定の論理から抜け出せず、実現の論理は出てこない。その典型が窮乏化説であり、これはマルクスが自らの否定意識を正当化するための理屈でしかない。結局、マルクスは実現基盤が発掘できなかったので「万国の労働者よ、団結せよ」という観念論(精神論)に飛びつくしかなかったのである。
■生産様式ではなく統合様式が要
1)企業改革における「統合様式」と「生産様式」
ここまで考えてきたことを、企業に適用して考えてみましょう。
企業組織でも、マルクスのお話と同じように、「統合様式」と「生産様式」が存在します。統合様式とは、役職(肩書き)の上下による組織統合の系統(序列統合)であったり、経営方針を導く取締役会などがこれに当たるでしょう。生産様式は、言うまでもありません。企業組織の生産行為全体の事です。普段、あまり考えないかもしれませんが、「統合様式」と「生産様式」という概念を通じて、自分の会社を眺めてみると、特徴や傾向、良いところや改善ポイントが見えてきます。
2)企業改革・・・どうする?
そのうえで、企業改革を考えてみましょう。「統合様式」と「生産様式」のどちらに手をつけるか。
実は、企業改革を考えるとき、社会一般に「生産様式」に着目する傾向が広くあります。特に大企業にこの傾向が強い。たとえば、機械化して生産量を増やすとか、人員削減をするというのがこれに当たります。競合する技術をもつ企業が合併したり買収したりするのもそうだし、生産拠点を発展途上国に移転するのも、生産様式に着目した企業改革といえます。
ところが、生産様式に着目した改革は、それのみの改革にとどまります。機械化して人員を削減しても、それで向上するのは生産物の単価だけです。企業の合併や買収では、少なからず人材的な混乱が生じるでしょう。いずれも、短期的な会計上の業績は上向くかもしれませんが、組織の構成員の活力向上には寄与しません (むしろ悪くなるかも)。
3)「統合様式が生産様式を規定する」・・・改革すべきは「統合様式」
長期的な業績の向上を目指して企業組織全体の改革をするなら、考え方を逆転させる必要があります。着想点は、「統合様式」です。マルクスの総括から導かれた「統合様式が生産様式を規定する」という「収束関係」に則って統合様式を改革するということです。図解化すると↓↓↓こう↓↓↓。
この図解からは、色々なことが読み取れます。
たとえば、二重矢印の先に生産様式があることから「日々の生産活動(生産様式)は、企業組織の社員にとって可能性(収束先)である」と読めます。
企業の生産品は、それすなわち食い扶持ですから、社員にとっては、疑いようのない可能性です。でも、それだけではありあません。生産品は、広く見れば社会に対する貢献であり、社会的な役割をもったものです。より良い生産品を生み出す努力は、社会的期待に応えることに他なりません。こういった意味で、生産活動(生産様式)は社員にとっての大きな可能性といえるでしょう。
また、同じ意図で統合様式を読むと、二重矢印の根元に統合様式があることから「生産様式が可能性足りえるのは、統合様式にかかっている」ともいえます。企業の統合様式が硬直的な(≒旧い)ままだと、成員(社員)の生産活動(生産様式)もそれに応じて硬直的な(旧い)ままになり、日々変化するニーズに追いつかなくなります。結果として、社会的期待に応える生産品がつくりづらい環境になっていくわけです。
これらを一言でまとめると「統合様式の適応的な変化が、生産様式の適応的な変化を生み出す」もしくは、「統合様式が変化しなければ、生産様式を含めた全体としての変化はない」といえます。
■まとめ
1)次代の統合様式
では、統合様式をどのように変えていけばよいのか。その答えは、本シリーズの中で重ねてご紹介してきました。すなわち、「共認原理」による組織統合です。
1970年、貧困を克服して以降の日本では、力の原理である私権原理・序列原理が崩壊し始めました。その結果、抑圧されてきた人類の根源的な欠乏が、可能性として開花してきています(共認収束)。企業組織の社員も経営者もこの流れの中にいますから、今なお残る旧い統合様式=私権原理・序列原理では、企業組織が統合できなくなってきている。旧い統合様式が残っているがために、共認原理に移行しているお客様の欠乏(本当のニーズ)を捉えきれずにいる。そのように総括できる事例は、そこかしこに転がっているでしょう。
統合様式は、時代とともに変化すべきものです。固定的に捉えることではないのです。
2)共同体企業~企業共同体
共認原理による組織統合。それに最適な企業形態はどのようなものか。答えは「共同体企業」です。肩書き序列による強制共認ではなく、成員の主体的な共認(自主管理)によって運営される企業組織。日々の生産活動が嫌々行われるものではなく、可能性として捉えられる組織。これらを実現するためには、統合様式と生産様式の両方を、自らのものと捉える(当事者となる)必要があります。それすなわち「共同体」です。
・・・マルクスの生産力説が、現在の企業経営者にどれほどの影響力を残しているのか、私にはわかりません。しかし、「無意識の前提」として、もしくは「因果関係」として、統合様式と生産様式を捉えているところがないでしょうか。そうでなくとも、どこかに、無意識の前提的な「固定した考え方」があるのではないでしょうか。
時代は今、大きな転換点を迎えています。旧い時代(私権時代)に動かしがたかった無意識の前提、すなわち「思考方法」、「統合様式」、「生産様式(労働や生産のあり様)」などに囚われたままであれば、それはまさに桎梏となります。旧く無用な桎梏から解き放たれ、「共同体企業」が『企業共同体』として手を取り合っていく。社会を変えていく糸口は、収束関係で結ばれた『企業共同体』の輪が広がっていくことと考えます。
長々と失礼いたしました。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
- posted by hayabusa at : 9:45 | コメント (0件) | トラックバック (1)
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