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2013年05月03日

「共同体経営とは何か?」17-1 生産様式ではなく統合様式が要 その1 ~因果関係と収束関係・・・思考方法の違い~

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■はじめに
 みなさん、こんにちは。
本シリーズは、これまで・・・・・・
新シリーズ『共同体経営とは?』~プロローグ~
『共同体経営とは?』1~遺伝子の共同体~
『共同体経営とは?』2~群れのもつ意味を探る~
『共同体経営とは?』3~人類の統合様式①共認原理☆*:・°
『共同体経営とは?』4~人類の統合様式 ②私権原理・序列原理
『共同体経営とは?』5-1 ~日本の村落共同体とは?① 主体性の高い集団自治
『共同体経営とは?』5-2 ~日本の村落共同体とは?② 闘争と生殖を包摂した集団
『共同体経営とは?』-6 日本的経営とは? ~特徴と歴史~
『共同体経営とは?』7~市場社会の常識を打ち破って登場した共同体企業 類グループ
『共同体経営とは?』8~経営者であり労働者である仕組み=自主管理体制とは?~
『共同体経営とは?』9-1~共同体の根本規範とは?=合議制システム~
『共同体経営とは?』9-2~共同体の根本規範とは?=合議制システム~
『共同体経営とは?』10~民主主義の欺瞞性☆~
『共同体経営とは?』11 社内ネットの可能性 ~認識の進化と実践の積み重ね この両輪が会社を変える~ その1
『共同体経営とは?』11-2 社内ネットの可能性 ~認識の進化と実践の積み重ね この両輪が会社を変える~ その2
『共同体経営とは?』12-1. 実績予測システム~経営への主体的な参画~
『共同体経営とは?』12-2. 実績予測システム~専門分化と職能意識からの脱却~
『共同体経営とは?』12-3. 実績予測システム~分化と統合が生み出す新しい生産の場~
『共同体経営とは?』13 社会事業としての「事実の共認」 ~実現論・るいネット~
『共同体経営とは?』14 社会の当事者になる仕組み~なんで屋・ネットサロン・なんで屋劇場~
『共同体経営とは?』15-1 事実認識に基づいた男と女の役割共認①~女の役割とは?~
『共同体経営とは?』15-2 事実認識に基づいた男と女の役割共認②~男の役割とは?~
『共同体経営とは?』16. 共認形成力の獲得~充足力+認識力が基盤☆~ 
と見てきました。大変長かった「共同体経営とは何か?」シリーズももうすぐ終わりです。
今回の記事は、これまでの内容を踏まえたうえで、ちょっと変わったお話をしようと思います。出だしは「思考方法」について。次回の記事(その2)では、マルクスの思考に迫ります。最終的には、企業組織をより良く変えていくために必要な仮説につなげていこうと思います。是非、ご一読ください。

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■思考方法の考察1:因果関係思考
1)「因果関係」に偏重する思考
 さて、私たちは、物事を分析する際に「因果関係」に最大の注意を払います。“分析”なんて大袈裟にいうほどのことはない日常的な会話、たとえば「なんでだろうねぇ~?」と問いかけたその先には、[原因]→[結果]という因果関係を推察する思考がついて回ります。そんなことを考えると、私たちの因果関係思考は、ほとんど無意識のうちにやっていると思えてきます。
 一方、私たちは、因果関係を明らかにして、それだけで満足してしまうことも少なくありません。たとえば、子供の“反省文”が典型例です。「なんで失敗したのか」、原因を一生懸命考えて、文章にしたら、もうお腹いっぱい。結論は、「次からは気をつけます」。・・・なんとも曖昧で掴みどころのない改善方針を示してお終いというパターンです。
 でも、私たち(大人)は子供の反省文を馬鹿に出来ません。失敗のあと、いい訳ばかりをあげつらう人は少なくないからです。「なぜ出来なかったのか」。否定意識や保身意識を伴って自問すると、出来ない理由にしか考えが及ばない“言い訳思考”になります。結果として、言葉は違えど「次からは気をつけます」的な子供だましの方針しか出せない、何ともお粗末なことになります。
失敗をフォローする相手が聞きたいのは「どうする?」という改善方針です。しかし、私たちは、因果関係思考に傾倒するあまり、因果関係以上に重要な「どうする?」を思考することを疎かにしている節は多分にあるでしょう・・・ね。
2)「無意識の前提」・・・・・・要素還元主義と因果関係思考
 なぜ、私たちは無意識のうちに因果関係思考に傾倒してしまうのか。その大きな要因として考えられるのが「要素還元主義」=近代科学の大前提となる思考方法です。
要素還元主義で導かれた答えは、[原因]→[結果]を端的に理路整然と説明することから、説得力があります。学者先生の言説、それを発信するマスコミ・・・私たちの周りには要素還元主義で思考されたコンテンツがあふれています。そして、私たちは、そのようなコンテンツを色々なところで見聞きし、もしくは、大学等で学んで、答えを導くスキルとして模倣しています。結果として、要素還元主義的な重要事項である因果関係に力点を置いた思考および論法になっていきます。
果たして、本当にそれで良いのか。要素還元主義をに潜む“危うさ”について、的を得た指摘をご紹介します。

『要素還元主義:可能性の低いことも起こる』より
~前略~
私が、このような架空の話をしたのは、科学的に考えていこうとするとき、実は無意識の前提をもっているのではないかという、注意を促すためでした。その「無意識の前提」とは、
可能性の高いものが起こるはず
結果と証拠にはなんらかの因果関係があるはず
というものです。私たちは、このような先入観を持って物事をみてしまっているのです。そして、その先入観を「無意識の前提」として、真実と思い込んでしまうのです。
 「無意識の前提」は、科学の重要な考え方である(要素)還元主義と呼ばれるものでもあります。還元主義とは、「結果は原因から」あるいは「原因から結果へ」というものが、一義的な因果関係で説明できるという考えです。その因果関係とは、法則や規則、あるいは理論などというものです。
 還元主義は、19世紀から20世紀にかけて科学の世界で広く展開されている考え方です。もちろん今の科学も、還元主義でなされています。科学の成したものをみると、還元主義的手法がいかに強力で、私たちに快適さ、便利さをもたらしたかがよくわかります。現在も、一番よく利用されている考え方です。いや、科学的な論文は、還元主義的に書かないと、不備があるとされます。取るに足らない可能性だけを議論して、一番の可能性を無視しているようでは、科学的論文と認められません。
~中略~
 還元主義では、何事かを成し遂げたければ、努力すればゴールにいけるということを保障してくれます。ゴールに行けないときは、その原因追求し、原因を克服すれば、きっとゴールは到達できるはずなのです。これは物事を成すときに、非常に重要な動機を与えてくれます。還元主義では、きっとゴールへは行けるという前提があるので、がんばれるのです。
 さらに還元主義では、複雑な現象を解明したいときは、複雑なものを単純化していきます。不要な要素を除き、より根本的な要素だけを選び、さらにどれが主たる原因かを検討していきます。それらの要素の中から、一番根源的な原因を見つけていくのです。このような還元主義が、近代の科学や技術を支えてきたともいえるのです。
 ところが、私たちには知りえない真実、あるいは稀な出来事では、可能性の高いものが起こるという論理が選ばれるとは限らないのです。特に歴史的な現象や事件は、一度だけしか起こらないことです。そこで小さな可能性を選んだことがあったとしたら、私たちは間違った結論をずっと信じていることになるのです。
 あるいは原因究明をいくらしても解明できない場合、そもそも可能性の高いほうに原因がないのかもしれません。だから、いくら可能性の高い方を探しても、答えが見つからないのかもしれません。
 もし可能性の低いものが選ばれた結果も、私たちの信じている科学の体系に混じっていたら、科学とは危ういものに見えてきませんか。
 探しても答えが見つからないときは、答えを探す場所がまったく違っているのかもしれません。真っ先に捨て去った少ない可能性の中に、答えがあるのかもしれません。
 還元主義を使わなければ、科学は成り立ちません。しかし、還元主義にも限界があることを知っているべきです。そして、もし還元主義が行き詰ったときには、捨て去った可能性を省みることもしなければなりません。そして、なにより科学自体には、そのような不備があることを承知して使っていく必要があるのではないでしょうか。(傍線は引用者によるものです)

 原発事故の直後、科学技術者が「“想定外”だった」と繰り返していました。これはまさに「可能性の高いものが起こるはず」という無意識の前提に立っていたことを示しています。すなわち、裏を返せば「可能性が低いことは起こりえない」。要素還元主義的な単純化思考のなかで、恣意的に切り捨てた事が起こってしまった。したがって「“想定外”だった」と言っているわけです。
もっと根本的に見れば、この「想定外」という物言いは“言い訳思考”としか言いようがありません。事故を防げなかった“出来ない理由”を、保身意識や(現実)否定意識を伴って考えた結果、「想定外」としか言えなくなっている。信用に足ると思っていた偉い人たちが、信じられないほど思考停止し、平然と言い訳を述べている。そんな姿を目の当たりにしたから、あの時、日本人の多くが愕然としたのです。
 ある意味、極限的な状態で現れたこの「想定外」発言。滅多に見れない事例ですが、それによって「要素還元主義的な、因果関係偏重思考は、どうしようもなくなると“言い訳思考”になる」という実績ができてしまいました。意地悪な言い方ではありませんよ。事実ですから。
■思考方法の考察2:実現思考
因果関係偏重思考を喝破する重要な投稿が るいネットにあります。以下、その引用です。

『因果関係と生成関係(実現関係)の矢印』より
実現の可能性を封印され、現実に対する否定意識と(変革)不可能視だけを深く刻印された旧観念パラダイムの下では、物事の摂理を原因→結果という因果関係で理解することが、当然の思考法となっている。
しかし、当然のことながら、その思考法or因果関係からは、決して実現可能性は導き出されてこない。
進化(=実現)の歴史が、常に逆境発の⇒探索(どうする?)⇒可能性収束⇒(新機能の)実現態の塗り重ねであるとすれば、実現の摂理は常に、逆境⇒課題(どうする?)⇒可能性収束⇒実現態という生成関係or実現関係(⇒)で表現されることになる。(かつ、時間軸上では、常に、古い左項から⇒新しい右項へと、⇒が引かれることになる。)
そして、因果関係などというものは、生成関係(実現関係)の中の、最初の逆境という項目の内部を説明するだけの公理にすぎないということも、一目で分かる筈である。もっとも、それ(因果関係の解明)はそれで必要で、徹底した原因分析によって窮極の原因に達することなしには、可能性収束が可能な実現基盤を発掘することはできない。(窮極の原因を打ち破る、より深い実在物が、即ち実現基盤である)
例えば、貧困という逆境の原因として、「資本の運動」という動因を明らかにするだけでは全く不充分で、そこには(「万国の労働者、団結せよ」という観念論以外に)、何の実現基盤も提示されていない。
更に深く「資本の運動」を成立せしめている根本原因をつきとめ、それが生存圧力を基盤にした私権意識にあることを明らかにしてはじめて、’70年に実現した科学技術etcによる「貧困の消滅」が、「資本の運動」を解体してゆく実現基盤であることに気付けると共に、現代という時代が人類史を覆すような大転換期であることをも教えてくれるのである。

 重要なのは、因果関係を根底まで掘り下げた上で、『収束関係(実現関係)』を明らかにすること、と述べられています。
 具体的な思考過程では、因果関係を掘り下げる過程は、問題(逆境)が生じている現在から時間軸をさかのぼる左向きの矢印「←」と位置づけらます。一方、収束関係(実現関係)を示すのは、未来に向かって“どうする?”を思考し、可能性の収束関係(実現関係)を明らかにするもの。すなわち「古い左項から⇒新しい右項へと、⇒が引かれることになる」わけです。因果関係と収束関係は、思考のベクトルがまったく「逆」なのです。
さて、今回はここまでにしましょう。因果関係と収束関係という思考の違いは、次回の記事で重要な論点になります。是非、覚えて置いてください。
次回の記事は、かの有名なマルクスの思考法からスタート。最後は、企業改革の着想点につなげます。ご期待ください。

 

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